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映画『キングダム 運命の炎』感想

予告編
 

 一作目と二作目の感想文もあるので、もしよければ併せて読んでくださいー。

映画『キングダム』感想|どいひー映画日記 (note.com)
映画『キングダム 遥かなる大地へ』感想|どいひー映画日記 (note.com)


修羅の道とは


 人気漫画原作の実写化シリーズ三作目。春秋戦国時代の歴史劇なわけですが、少年漫画原作でもありますし、遂にパワーのインフレみたいなものが始まったような印象です。……まぁ元からそういう傾向はありましたけど。そして、今後も物語が続いていくことが確定のような演出と、新キャラクターのお披露目。しかもその度に「この配役でキタか!」と唸りたくなるようなスターを起用してくる……。どんどんとDCUやMCUを彷彿とさせるような世界観になってきた印象です。今後の展開への期待値は上がる一方ですが、昨今の芸能事情のことを鑑みますと、「どうか、関係者の一人も不祥事を起こすことなく欠けることなく続いて欲しい」と思ってしまいます。
 
 ちょっと脱線しちゃったかな? そろそろ本題に入ります。ちなみにですが、前作、前々作の感想文同様、原作漫画との比較などは含まれていませんので、あまり詳しい情報云々は一つも述べられません。


 

 一作目の感想文では「前に進むこと」、二作目では「強さの物差しが一つだけではないこと」を主軸にして、それぞれ感想を述べました。それぞれが物語の魅力であり、且つ、大きなテーマの一つのようにも思えたことです。この二つは、どんな逆境でも前進することを諦めない主人公・信(山崎賢人)のキャラクター性を、或いは『キングダム』という作品の魅力をも象徴し得るんじゃないかと感じていました。

 そして三作目となる本作を観て改めて感じられたのは、連帯や結束。たった一つの強さの物差しだけに縛られず、様々な視点から勝機を見出そうとする姿勢、前進することを止めまいとする意思を携えてきた「個」の集まりは、その一つ一つが劇中で言うところの「砕けない小石」——小さいけど、だからこそ固い、そんな小石——。大きな石ばかりでは積み上げられないけれど、そんな多くの小石たちが存在するからこそ、高く大きい頑強な城壁が出来上がる。もしくは小さいからこそ、一点にのみ特化することで巨岩に穴を穿つ矢にもなり得る。大きな目的、勝利、大義のためには欠かせない小石たち。その積み重なり。そして、その小石たちにも、それぞれを形作る想いや過去があることが描かれていたのも面白さの要因です。「絶対に生きて帰る」「愛する者を守りたい」「大切な者との約束がある」、もしくは「誇り」「自尊心」なんかも同様。そういった想いが “前に進もうとする意思” に繋がるし、一つの “強さの物差し” だけ縛られずに生き抜こうとする活力に繋がっていく。何事にも何者にも、基盤となる小石が存在し、その小石にもまた、それを形作る、より小さい石の積み重なりがあるんじゃないかと思わされました。

 本作で描かれるのは、そんな連帯や結束の果てにある勝敗……かと思いきや! その勝敗すらも、とある人物たちの因縁を決するという目的のための小石だったのでは?!と思わせる締め括り、そして続編への期待感を膨らませての終幕……。もうね、(深読みやこじつけも大いに含まれてはいますが)相変わらずテーマと展開、そして見せ方が見事に合致していて、非常に面白かったです。



 
 シリーズ一作目の中で嬴政(吉沢亮)が、共に戦うことについての覚悟を問うために信や楊端和(長澤まさみ)に対して用いた言葉——〈修羅の道〉——。僕は前作評の中で、「作中にその言葉自体が出てくることは無かったものの、描かれる死線の数々は正に修羅の道と呼べるものだった」という旨の感想を述べていました。本作では改めて、一作目にて語られた〈修羅の道〉について言及されていたのですが、作品を観終わった時、僕が抱いていた〈修羅の道〉という言葉のイメージは、これまでとは若干異なるものでした。今までは「これから歩まんとする道のりは、修羅の如く過酷で険しいものである」という認識でもって、共に戦う者たちの覚悟を問うていた印象。正確に言えばこれ自体もあながち間違いと思っているわけではなく、「若干異なる」というよりは「また新たな解釈が付加されたように思える」という形容の方がしっくり来るかもしれません。あくまで、僕の中では、ですが。
 
 序盤、嬴政が王騎(大沢たかお)に語った自身の過去。たった一つの目的——嬴政の命を守り通すこと——のために、大切な者の命が失われていたことが、嬴政のモノローグを挟みながら回想シーンとして描かれていきます。その後も、現在のシーンに至るまでの間に、前作・前々作での物語も含め、多くの犠牲が重なっているということが『キングダム』の物語の背景には存在する。〈修羅の道〉とは、修羅が行く道、修羅のような険しい道という意味だけではなく、「修羅が通った後の道」をも同時に指す言葉なのかもしれません。歩んできた道程の後ろには死屍累々の山が延々と続いていくに違いない。それら散っていった命すらも大義のための、ある種の “積み重なり”。修羅の道を行く覚悟とは、己が修羅に徹してでも成し遂げる覚悟があるかどうかの問いも含まれていたのかもしれません。だからこそ、嬴政が一作目で宣言した「戦乱の世を終わらす」というセリフの重みがよくわかるし、過去の回想シーンで紫夏(杏)が窮地の中で嬴政に向かって叫んだ「振り向くな!」という一喝が、今の嬴政の〈修羅の道〉を行くことへの覚悟の固さに繋がっているのだとも思わされます。

 中華統一という大きな夢の果て、その大局の最中だと考えれば、一つ一つの事象や命は小石程度なのかもしれません。けれど、それぞれが軽んずべからざる砕けない小石であることも同時に示してくれていたことが、本作の一番の魅力だったのかもしれません。


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