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映画『ポップスター』感想

予告編
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 本日12月18日は、世界的歌手・シーアの誕生日

というわけで本日は、シーアが主題歌と劇中歌を担当した本作『ポップスター』の感想文を投稿しようかと。

 簡単にオススメするような作品ではありませんが、よければ読んでくださいー。


人体錬成


 本作は、スキャンダルからの再起を期して自らのトラウマと向き合うポップスターが主人公の音楽ドラマ。「主題歌及び劇中歌を大好きなシーアが担当している」という、たったそれだけの理由で観に行き、本編が始まるまで主演が誰かも知らないぐらいだったので、物語の始まりには肝を冷やしました。もし未見であれば、なるべく予告編やあらすじ等の事前情報無しの方が良いのかな……? 本質的にはあらすじを知っていようがいまいが関係無いんでしょうけど、なるべく身構えずに観た方が真っ直ぐ受け取れる気がします。だから、未見であればこれ以上読むことをお勧めしません。若干のネタバレ(ってほどでもないけど)もありますし。勝手でごめんね。



 正直言うと、決して明瞭な作品とは思えません。けれど、とても見応えがあるのも確かだと思います。印象的だったのは、本編で幾度も流れる特徴的なカメラワーク。そのシーンの状況を捉えるショットから、まるでその場に居るかのような視点へ、ワンカットで繋がる長回し。一度目は特殊部隊が校舎内に突入するシーン。特殊部隊員たちが駆け上がる様子を階段の上から映し、そして目の前を通り過ぎると同時にその隊員の背後に回るカメラ。突入する隊員と同じ視点で奥へ進むシーンは、『1917 命をかけた伝令』(感想文リンク)にも似た臨場感があります。

 その後も、主人公セレステ(ナタリー・ポートマン)とマネージャー(ジュード・ロウ)が会話しながら歩くシーン、セレステと娘のアルビー(ラフィー・キャシディ)が二人で歩くシーン等でも、そんな映像が流れる。

 特に印象深かったのは、セレステのライブ開始直前。バックヤードの彼女を捉え、ライブに参加するダンサーやスタッフたちと円陣を組んだりするところを同様のカメラワークでもって映し出す。様々な苦悩を抱えている彼女が、このプロセスを経ることでポップスターになる、その瞬間を目撃したかのような不思議な感覚。それだけで「ポップスターだ」とわからせる凛とした背中、そしてその先にある大観衆は、『ボヘミアン・ラプソディ』(感想文リンク)でのライブエイド直前のシーンを彷彿とさせ、「セレステって本当に居るんじゃないか」とすら思わせる力があるような気さえしました。

 ある時は眺めているようで、またある時はその場に居る者や当事者になったようで、でも時折、俯瞰のナレーションが流れてきて、しかもそれらがワンカットで繋がっているから作為の毛色が緩和されていて……。フィクションなのにまるでドキュメンタリーの気配も漂わせる本作は、最早、セレステという一人の人間を生み出したとさえ錯覚させる。『ボヘラプ』評でも同様のことを述べた気がしますけど、——「二時間かけて作り上げた偶像が、居るはずの無い人間の存在を観客に意識させる」——これは映画だからこそ可能なこと。こんな形容が正しいとは思えませんが、セレステという架空のアーティストを一人作り上げた本作の人体錬成は素晴らしい。延いては、彼女を演じたナタリー・ポートマンの演技力も。


 そういえば、タイトルにシビれたのは久しぶり。邦題の『ポップスター』ではなく、原題の『VOX LUX』に。英語については疎いからわからないけど、こんな言葉本当にあるのかな? たぶん無いんじゃないかな? でも、存在しないのに何となくその意味が理解できてしまう造語(←良い例えが浮かばないけど、例えば『前前前世』とかみたいな感じかな)で、尚且つ作品内で描かれている言語化しづらい部分を象徴するようなタイトルだとも思える。暗闇の中に光る街灯、車のフロントライトなど、可視光線としての光が随所に際立つのは、おそらく本作の根幹を示すヒントのようなもの。

 序盤、彼女を運ぶ救急車が鬱蒼とした森の中へ走り去って行ったのは、その後の彼女の人生の暗喩なのかもしれない。「見えない」「わからない」という意味での暗闇をイメージさせ、そしてその暗闇というキーワードは逆説的に光を際立たせる。先述した通り本作は明瞭ではないからこそ、全編を通して描かれる様々な光に、何かメタファーとしての側面を思い做すことを禁じ得ません。

 いや、単純に僕の理解力が足りないからか……。はぁ、まだまだ難しいなぁ……。


 本作のエンドロールにも驚かされました。一般的なエンドロールとは逆で、上から下がっていくクレジット。しかも音が無いから「え、なになに?」となり、自然とその意味を考えてしまう。これについても結局のところ正解はわからないのですが、プロローグで先行したクレジット(この時は普通に下から上がっていくパターン)が思い起こされる。波乱万丈な人生、そして紆余曲折を経て、尚もポップスターである彼女のライブを終えて、映し出される無音の逆走エンドロールは、人によっては「逆走」とか「戻る」といった言葉のイメージから「原点回帰」なんて言葉を想起させたり、人によっては虚無感を誘発させられたり……。

 うーむ……。彼女のアイデンティティーの体現だとか、或いは本編では描かれていないライブ後の彼女の心情の象徴だとか、もしくは劇中で描かれていたバッシングというものへの警鐘、その先にあるものを示唆しているだとか、何でも有りな気がする分、何もわからない。いやぁ本当に僕もまだまだだなぁ……。他の人の意見もお聞きしてみたいものです。

 ……感想を丸投げして締め括るのも久しぶりです。


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