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映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』感想

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未来


 十数年前、南ボリビアで実際に行われていたという事件を基に執筆された小説が原作の本作。その話を初めて知った時は「まさかそんなことが」「つい最近のことじゃないか」と驚いたものです。オスカーの脚色賞を受賞したそんな本作ですが、アカデミー賞®授賞式の時点では日本では未公開。毎年、オスカー受賞作品とノミネート作品の中の数本は、日本での公開が遅れているので、それ自体に驚くことはもうありません。結果として、日本での公開は6月から……。

 鑑賞済みの方の多くがきっとそうなんじゃないかと思いますが、本作で語られる言葉の数々は、今、世間で持ち切りのとある話題を連想させます。授賞式の時点では多くの人々が知らなかった、或いは目を背けていたこと。公開日の頃には既に、誰もが知っていた恐ろしい話。鑑賞中、何度もその事柄が脳裏を過りました。挙げれば幾つも出てきますが、一番印象に残っているのは「暴行がまかり通る状態を作った」という言葉。



 
 今年、映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』感想文の中で、同じく今年公開の映画『恋のいばら』感想文での話を引用しながら、「構造上、男側が卑怯な形で優位に立ってしまうことがある」と述べました。また、「性加害者を守ってしまうシステムが一番の問題」とも述べました。『SHE SAID/シー・セッド』では、主人公の幼い娘の近くにも危険が潜んでいることが示唆されており、他人事ではなく、本当に身近なところでも起こり得ることを想像させられました。……とはいえ、まさか本当に身近なところでそんなことが起きていたという衝撃。本作は必見の価値ありの一本です。

※本項の終盤、ネタバレあります。ご注意ください。
 
 


 本作の見どころの一つは、起きた事件・行為そのものを直接は描いていないこと。冒頭、ベッドの上で寝ている女性の姿が映される。下半身には血痕やアザ。全体的に暗めの調光のため、うっかりすると見逃してしまうかもしれませんが、一瞬だけピクッと動く脚の動きで、否応なしに気付かされるはず。物語の設定上、行為や身体の事に関しての言葉が用いられない、そういった制約の中でも、直接的に描かなくても何が起きたかが理解できます。また、行為そのものを描かないことによって、本作を性的な目線で消費させないようにしている気もします。


 そんな冒頭シーンでは、オーナ(ルーニー・マーラ)のモノローグが流れます。今、彼女たちが暮らす村で起きている事態の説明。「それは何年も続いた」「私たち(女性)全員に」という言葉のタイミングで、無邪気に歩く少女の姿が描かれるのもとても印象的です。先述した『SHE SAID/シー・セッド』での話と同様、直接言葉で描かれなくても、そういった危険性が、こんな幼い齢の少女の身近にまで迫っていることが理解できます。

 また、行為自体も然ることながら、加害者の姿が基本的に映されていないのも薄気味悪い。その多くは足元だけだったり、背中や後頭部だけだったりします。それまで被害を幾度となく訴えながらも、「誇大妄想である」「悪魔の仕業である」といってロクに取り合ってもらえず、「女性である」という理由だけで、読み書きすら学べず、宗教コミュニティ内の教えを要因として、身体についての言葉も持ち合わせていない彼女らにとって、“顔が見えない” という得体の知れなさは、彼女らが男性へ抱く恐怖心や不信感の表れのように思えてきます。こういったこともまた、「(男たちが抱く)社会や女への偏見が問題だ」という、彼女らの話し合いの中で出て来たセリフの重みを際立たせている印象です。



 
 劇中、突然内容とそぐわない気がする曲調の音楽が聞こえてきます。モンキーズの『デイドリームビリーバー』。物語の序盤、世間知らずと皮肉られながらも、「夢だけしかない」と口にしていたオーナが言われた「夢想家(ドリーマー)」という言葉を思い出させます。彼女らには発言権が無く、時には動物のような扱いをされてきた。そんな彼女らが望む未来についての話し合いが描かれる本作は、全体的に暗い調光で、物語の性質上、語られる言葉も重たいものが多い。そんな中で場違いに感じるほどの明るいイントロは、そんな夢の景色が、現在の彼女らの境遇と大きく乖離していることを象徴しているようです。

 また、そんな解釈は、グレタ(シーラ・マッカーシー)が語った二頭の馬、ルースとシェリルの話を思い出させてもくれます。溝が多く、馬車では走りづらいという道の話。彼女の手綱に従ってはくれるけれど、とても危険な状態だったのだとか。その際、馬ではなく、道の先、遠くの方へと視線を向けることで、落ち着くことが出来たのだそう。

視点を変えること」が解決に繋がり得ることを伝えたかった、そんな彼女の回想シーンの中、馬車が走る道は遠く地平線の先までずっと続いている……。遠くを見ることを表しながらも、彼女らの未来もまた、現在の境遇との大きな乖離同様に、見えないほど遠くにあるのかもしれないとさえ考えてしまいます。
 



 そんな本作のラストシーン。村を出ていく女性たちの列を、高い視点から映したカット。遠く地平線の先まで続く道を進む様子——グレタが語った馬車の話の回想シーンと酷似したカット——は、彼女たちの採った選択が、逃避ではなく、未来へ向かうための選択だったのだと強調してくれるような印象があります。

その直後、抱えられる赤ん坊の姿、そしてオーナの「(オーナたち村の女性たちと)あなたの物語はきっと違う」というモノローグを最後に終幕する本作。次の世代である赤ん坊の姿に、彼女の言葉をのせることで、暴力による支配はもう繰り返してはならないと訴えている、そんなメッセージが最期の最後に改めて示されていたと思います。


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