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桃や李じゃないけれど。

気がついたら2019年ももう終わり。
最後の更新からもう半年経ったなんて、そんなバカな……

おひさしぶりです。はじめまして。
久々すぎてちょっと緊張しています。
自分の文体とかもすっかり忘れてしまったので、多少おかしくても、揺れがあっても、大目に見て下さい……

さて。
就活が終わって戻って来たと思った途端、
ぱたりとnoteから離れてしまったのですが、
その半年間私は一体何をしていたのかと言いますと、
・バイトを始めた(※かなりブラックだった)
・サークルの卒業公演をやった
・宅建取った
・もう1個資格取った
・卒論書いた

と、まあ端的に言って忙殺されてました。ゆえに要領の悪い私では、noteを書く時間を確保できなかったという。ただそれだけ。最近になってそれらが一通り終わり、ようやく落ち着きを取り戻しました。入社までにやらないといけないことはまだまだあるんですが……まあ、それは追々考えることにします……
ずっとフォロー外さないでいて下さった方々、
本当にありがとうございます。という気持ちです。

私の名前は

久しぶりの方も初めましての方もいると思うので、改めて自己紹介をしますと、私は杏。(あん)と申します。
本名じゃないですが本名にもこの漢字が入っています、というどうでもいい話もしておきますね。
もっとどうでもいい話をすると、本名は杏と書いて「あん」とは読みません。「きょう」でも「あんず」でも「もも」ないです。というか、この世に存在しない読み方をします。
そんなのあり?と思う方もたくさんいると思いますが、実は人名って読み方は何でもありなんです。極端な話、「太郎」と書いて「はなこ」と読ませてもOKっていう。寛容なんだか適当なんだか分からないシステム。

そんなわけで、ひらがなで書けばどこにでもいる平凡な名前のはずの私ですが、漢字で書くとキラキラネームもどきになります。いや、キラキラはしてないので、ただの変わった名前ってだけなんですけど……
別に自慢話をしたいとか、そういうんじゃないです。だって私は、自分の名前が好きじゃなかったから。

そこに意味なんて

当然ですが、名前を読み間違えられることは日常茶飯事です。
怪しい電話がかかってきたら一発で分かるので、その点は非常に便利ですけどね。ふりがなが振ってあるのに印刷ミスだと思われるレベル。それすら慣れてしまったので、もはや驚くことでもなくなりました。
新しい今のバイト先でも、最初の頃「あんちゃん」と呼ばれて、そのまま訂正するタイミングも見失い、まあ誰を呼んでるか分かればいいか~~と、しばらく間違った名前で呼ばれ続けてたくらいです。(さすがに今は正しい名前で呼ばれてますが!笑)

自己紹介をするたび、何か書類を提出するたび、周りは私の名前を珍しがります。
実際珍しい自覚はあるし、恐らく同じ漢字・同じ名前の人に出会うことはまずありえないと思うので、その点は全く気にしていません。毎度同じ反応をされるし、それは全然いいんです。
困るのはその次で「何か由来があるの?」「どうしてこの字でこの読み方なの?」と名前の意味を聞かれること

結論から言えば、私の本名に特に意味はありません。
父親が名前を考えて、母親が画数が良くて字面もいい漢字を当てただけ。
それだけ。まじで、ほんとに、それだけ。娘の私が言うのもなんですが、母親は割と天然な方なので、この漢字になった要因の1つはそこにあると思います。子供の名前付ける時くらい漢字はよく読もうな☝

今は大人なので気に留めませんが、小学校の頃はそれなりに嫌な思いを抱えていたことを覚えています。
あれは確か小5の時。自分の名前の由来を調べよう的な授業があって、本当に地獄だと思いました。なぜみんなの前で「自分の名前に由来はありません」とわざわざ言わなければならないのか、と。子供ながらに恥ずかしく、悲しくなったものです。
そしてこういう問いかけは、その場限りで終わらず、その後も初対面の人に出会う場面では比較的付いて回りました。特にないとしか言えないから、話は長く続きません。初対面でそんなだから、なかなか気まずいですよ。適当な会話を続けられなかった私も私なんですけどね。

杏は桃李じゃない、だけど――

そんなこんなで、私は長らく自分の名前が好きではありませんでした。名前の漢字を、好きになれなかった。
ところが、ある出来事をきっかけに、そんな気持ちに変化が訪れます。

それは小学校の卒業式。
今からもう10年も前のことです。
6年生、最後のHR。その終わりに、当時の担任の先生がクラス全員を呼名し、それぞれにメッセージを言ってくれました。
メッセージはすべて、生徒ひとりひとりの名前に絡めたものでした。
なぜ先生がそんなメッセージを考えたのかは知る由もありません。自分の名前が嫌いだと話したことは一度もないのに、まるで先生が私の気持ちを知っていて、それゆえに思いついたかのようでした。生徒それぞれに向けてなので、そんなことは到底ありえないと思いますが。

ひとりひとり、順番に名前が呼ばれていきます。
とうとう私の名前を呼ぶと、先生はこう言いました。
「“杏”という字には、“あんず”という果実の意味がありますね。その甘さに人々が惹かれるように、あなただけの魅力に惹かれて、これからも周りにはたくさんの人が集まって来てくれるはずです。そんな人たちを、どうか大切にしていって下さい。そしてどうかそのままで、あなたらしく堂々としていて下さいね。」
メッセージを聞きながら、私は号泣しました。
ああそうか、私の名前にもちゃんと意味はあったんだ。その時初めてそう感じました。そして先生のこの言葉をきっかけに、少しずつ時間が経つにつれ、自分の名前に対する感情は、徐々にプラスの方向へと変わっていったのでした。

あの時の先生のメッセージが「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」という言葉に由来したのかも知れないと気づいたのは、中学に入り、漢文を習うようになってからでした。
ならいっそ桃や李という字だったらよかったのに、と思ったことも……まあ…なかったわけではありません。でも「あなただけの魅力がある」「あなたらしく堂々と」――その言葉こそ、先生が“杏”という字に見出してくれた意味だったんじゃないかなと、今なら思えます。
杏は桃でも李でもない。
だけど、桃や李とは違う魅力がちゃんとある。
…………なんてね。
自分で言うことじゃないよ、それ。

後から見つかることもある

あの時の先生の言葉のおかげで、その後私は、自分の名前をそれなりに好きになることができました。
今、私はほぼすべてのSNSアカウントの名前を「杏。」にしているのですが、それは以前ほど、この漢字を嫌だと感じなくなったことも大きいのだと思います。思いますってなんだよ、って感じですが。その辺は正直自分でもはっきりとは分かりません。何となくでこのハンネを使っているので。

ただ、最近は単に名前を珍しがられるだけでなく、「この字でこの読み方って可愛いね」と言われることも心なしか増えた気がします。
ついこの前はパートさんに「“杏”は左右対称の鏡文字だし、まさにあなたの素直で誠実な為人を表してるね」なんてことまで言われて、嬉しいやら恥ずかしいやら…………

まあ、あれですね。初めからちゃんとした意味を持っているものなんて、実はそんなに多くはないのかも知れないです。
誰かとの出会いや、何かとの繋がりの中で、後から生まれてきうるし、そうして生まれた意味を自分で見つけていくべきなのかも。本当は。



……なんて、バイト先で名前の話をしながら、ちょっと昔のことを思い出した年末でした。

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