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しがない20代のはなし、6

お久しぶりです、私です。

「毎日投稿するぞ!!」とプロフ変更してから、ぱったり更新できていませんでした。いつも夜に書いているのですが、その時間帯取れず…

そんなことはさておき


今日は、私が最近悩まされていることについて話したいと思います。

私は、1か月半前に仕事をやめ、今は次に向けて準備をしている最中です。

これまで、機会と出会った人をを大事にし、やりたいことに向けて道筋立てていろんなことにチャレンジしてきました。状況を客観的に見て、不満に思う時は、なるべく自分の言葉で伝えてきたし、それは、自分が意見がない人間になりたくなかったから。必要だと思えば、資格の勉強をしたこともあったし、大学の学部も、いつか生かせるような学部にしたいと選びました。

目標に向かって真っすぐ、寄り道をしたとしても、「そこ」を目指すことを忘れない。

ただ、最近は、これが果たして本当の「私」なのか、分からなくなってきました。

少し話を変えます。

私は、「こんな風に生きたい!!」と、尊敬に値する推しが二名います。その二人の共通点は、

・夢を周囲に公言していたこと

・夢を実現するために、何をいつまでにやるかを記した「夢ノート」を創っ    ていること

・自己プロデュースを含めた努力に余念がないこと

・伝えてくる言葉が、論理的であること

・自分の立場を理解したうえで、ファン含めた周囲へかける言葉にとても説得力があること

私の推しは、私がこうありたいと思う形の理想形でした。それは今でも変わらないし、尊敬しています。

ただ、ここで一つ疑問が生じます。

今まで私が歩んできた道は、私の足で歩いてきたものだったか?

もっとわかりやすく言うならば、今まで、本当に私の意見で行動してきたことって何度あったか、ということです。

私は、推しの生き方にあこがれ、尊敬し、そうありたいと願う一方で、そうしてきたことにより、私自身が本当に言いたかったこと、やりたかったこと、できることを今、見失ってしまっているのです。

それに気づいたのは、キャリアカウンセリングを受けているときでした。

私自身、目標も、そこに行くまでの道筋も逆算して立てていたつもりなのに、「今、あなたはどこに向かうべきかがはっきりしていないから、モヤモヤするんです」と言われた時に妙に納得いってしまったことが、ある意味ショックでした。

それ以来、私の言動の所在が分からずにいるのが現状です。画像でわかりやすく「推し活症候群」と書いたのはこのためです。

推し活や、推しが悪いといいたいのではなく、また、いわゆる担タレになりたかったわけでもありません。矛盾しているように思うかもしれませんが、そうではないのです。

今までやってきたことと逆のことをすればいいかと言われると、それは違うし、じゃあ、どうすれば私がやってきたことだし、いってきたことだ!!って胸を張って言えるようになるのか。

まだ探し中です。

でも少し変わったな、と思うのは、こんな探し物の途中でもいいじゃん!と思えるようになったことです。今までの自分は、迷うことをどこか「悪」としていたような気がします。(自分に対してのみ)

てな感じで、そのうち答えが出ればいいな、と思いながら明日も何とかいきていこうかな。

そんな私の、#6。


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