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過程を楽しむのだ、にんげんよ

努力が実らないのが怖い?
頑張っても成果が出なかったらどうしよう?

そんなものを求めるからつまらないのだ。
ゴールを決めても、そこに向かう途中にそんな不安に苛まれるのなら、
はじめからゴールにいればいい
自分はもうゴールにいるんだと思えばいい

幸せになるために毎日を生きる?
こう考えたらどうだろう
自分はとっくに幸せで、今日が終わったら人生が終わりと言われても
構わない。夢半ばで敗れたんじゃない、自分はずっと夢のまんなかで生きていた。その夢から覚めるときが来ただけ、なんだと。

そう思えない人もいるだろう
どう考えたっていまの自分の状況は幸せとは言えないし、毎日が不自由だ、と
早く現状を打破して、夢のような生活を送ってみたい、と

そう思っている人なら、毎日を努力の日々として過ごしているだろう
やりたくないことも、辛いこともすべては未来の夢や目標のため

でもそうやって努力していると、こんな不安に襲われないだろうか
もし成果が出なかったらどうしよう
いま自分がしていることが全部無駄なことだったらどうしよう
思うような結果がついてこなかったら?

そんな不安な気持ちになった時、僕ならこうする
違う、俺はこれが楽しくてやってんだって言えることだけをする

成果や結果が出ないことを仮に失敗としても、
楽しむことが目標なら何も文句は言えないのだ
なぜなら大きい目標や夢を掲げてたとて、その根本には自分が楽しめるかどうかがあって、楽しめたならその時点でミッションは達成されているからだ

名のある山に登頂することを目標にするのではなく、
あくまで登山することを目標にする
のだ

途中、非常事態やトラブルが起きるかもしれない
たとえどんな試練があろうと、上手くその試練を乗り越えられても、逆にその試練によって登頂が断念されても、それは全てが"登山"というものの一部なのだ。だから、自分が「登山楽しかったー」と思う事ができたら、誰も文句は言えないのだ。

だからこそ僕は言いたい
過程を楽しめと

夢なんて実に不確かで、実現できる保証なんてないものが多い

じゃあその夢が叶わなかったら失敗なのか?
それまでの道のりは意味がなかったのか?

そうさせないのが、道のり全力楽しめ論なのである

いつ終わりが来ても満足
どんな結末であれ満足
そう堂々と言ってやるのだ
誰に?それは自分が死んだとき、自分を迎えてくれる神様にだ

目的や夢を持つのは立派なことだと思う
でも、そのために今の自分が辛くて大変なだけじゃなんか納得いかない

いまの延長が未来なら、どこかのタイミングでパッと未来が
切り替わるわけじゃない

いまを楽しむことが気づけば「未来」になっているのだ

だから僕は道中を楽しめる人になりたい
「楽しい」がはたから見たら「夢に向けた努力」になっていてほしい



常時お金には困っている貧乏大学生です。図書館にない本、映画鑑賞や旅行の費用とさせていただきます。そこで得た知識や経験を基にこのページを発展させていきたいと思っています。