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#81 人が集まる人 人が離れる人

「すみませんでしたもうしません、はないのか?」

先日、父親から言われた一言である。

僕は実家暮らし故に、毎月必ず家にお金を入れている。
そのお金を父に渡すのに1日遅れてしまったのだ。

確かに渡すのを忘れてしまった僕の方に過失がある。
だから、「ごめん、忘れてた」と謝ったのだが、父はそれでは気が済まなかったようだ。

確かに悪いのは間違いなく僕の方だ。
だけど……どうにも虫の居所が悪い。
それは、想像以上に高圧的な言葉を浴びせられたからだろう。

今後は忘れまいと反省はしている。
だが、同時にこんな言葉を使う人間になりたくない。
父に対して、義憤を覚えてしまった。

言葉は人を孤独にする

過去の記事で何度か書いたが、僕にはモットーがある。
「何を言うかよりも、どう言うかの方が大事」という言葉だ。
noteではもちろん、日常生活でも極力人を傷つけない言葉を心がけている。

僕がそのモットーを持つようになったのには、二つ理由がある。
その一つ目が、父親を反面教師にしているからである。

父の言葉に怒りを覚えたのは上記以外にも数えきれないほどある。
父は無自覚にも、高圧的で自己中心的な人間なのだ。

僕や母に何か頼むときも基本的には命令形だ。
「お願いします」なんて言われたことはない。

上記のように謝罪を強要してきた割には自分は謝罪をしない。
悪いところを指摘すれば「それは今は関係ない」と棚に上げる。

そしてそもそも会話をすれば、自分の話しかしない。
自分は昔はこうだった、ああだった。自分はこういう努力をしてきた。
過去の武勇伝をただただ述べていく。
こちらから何を話そうとしても、手で制して止めて、自分の話をし始める。

家以外の父の姿を僕は知らない。
けれど、リタイアしてからというもの、ずっと家に籠っている。
家族以外の人間と話すこともない、孤独な老人である。

想像でしかないが、僕の知らないところでも高圧的で自己中心的な態度を取ってきたのだろう。
父の言葉を聞いていればわかる。
彼の言葉をかけられれば、誰もが関わりたくないと思うだろうから。

だから、僕は父を反面教師にすることにしたのだ。
言葉は、自らを孤独にすると学んだから。

周りに人が集まる人の言葉は救いがある

上記のモットーを持つようになった理由の二つ目。
それは、尊敬する人の言葉で救われたことがあるからだ。

僕には、大学時代にとてもお世話になった恩師がいる。
その方は社会心理学を専門としている教授で、大学1年の新入生ゼミで初めて出会った。

まとっている雰囲気が朗らかな方だった。
相談もしやすいし、雑談もしやすい。それでいて授業も面白い。
僕はその教授を師事するようになった。

当然の流れのように、卒業論文もその教授のお世話になった。
論文執筆に向けて、研究内容を発表する場が何度かある。
普段は朗らかな先生だが、研究発表のときは、指摘が鋭かった。

わかりづらい部分は、はっきりとわかりづらいと伝える。
学生が手を抜いたであろう部分だって、容赦なく指摘する。
僕も何度かその指摘に凹まされてしまった。
しかし、最後に必ず教授は学生にこう伝えるのだ。

「だけど、この部分はとてもよかった。だから、私が指摘した部分を修正すれば、もっといい研究になるよ

発表の中から必ず学生のよかったところも伝えるのである。
だから学生の表情を見ると、だいたい共通している。
皆、しゅんと落ち込んでから、パーっと明るくなるのである。
もちろん、それは僕も一緒だ。

教授の研究室にはコミュニケーションに関する資料がたくさん本棚に並んでいた。
コミュニケーションが研究対象だったからというのもあるだろうが、だからこそ教授は言葉に気を配っていたのだと思う。

それもあってか、師事する学生が絶えなかった。
そのおかげでいい後輩ができ、いい刺激を受けることにも繋がった。
コロナ以降お会いすることはできていないけれど、教授をご退任されてからも翻訳業や論文執筆など精力的に活動をされている。
そういえば、周りの教授陣がこう言っていた。

「あの先生は、人格者だからね」と。

教授にお世話になっていたのと同時期にラジオから流れてきた言葉。
「何を言うかより、どう言うかの方が大事だ」
これはまさしく、教授の姿勢をそのまま表しているものだと僕は感じた。

言葉によって人徳を集め、精力的な人生を歩める。
僕は教授の姿を見て、それを芯から感じたのである。
だから、僕は、ラジオから流れてきたその言葉をモットーにすることにしたのだった。

二人の父 言葉の違い

僕には血の繋がっている父はいるけれど、申し訳ないが、彼のことを尊敬することはできない。
30年以上、高圧的な言葉を浴びせられてきたからだ。

一方で、しばらくお会いしていないけれど、教授のことは勝手に「第二の父」だと思っているし、心の底から尊敬をしている。

孤独も決して悪くはない。
けれど、言葉によって人を傷つけてきた結果、孤独になるという人生は……父のような人生は絶対に回避したい。

できるならば、言葉で人を救える第二の父のような人生でありたい。


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