コトノヒー

亡くなったおばあちゃんのことを書くために始めました。今後は分かりませんがしばらくはおば…

コトノヒー

亡くなったおばあちゃんのことを書くために始めました。今後は分かりませんがしばらくはおばあちゃんのことを書き続けます。

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はじめに

5月7日の早朝、GW明けに父方のおばあちゃんが亡くなりました。 92歳でした。それまで元気だったのに、3月に転けて骨折し、2ヶ月経たないうちに逝ってしまいました。 1週間経っても色々な思いが頭の中を巡り、毎日涙が出てきます。 心の整理をつけるために、おばあちゃんが亡くなるまでの過程や 感じていることなどをつらつら記録していこうと思います。 自己満足で書いているので読み手のことを考えていません。読みにくいと思います。 いくつかに分けて書いていますが内容が被っている部分

    • クリスマス博士に

      俺は、なる…!!! おばあちゃんが亡くなった時の気持ちを整理するために noteを始めたのですが。 その更新も止まり、こちらの場を活用出来てなかったのですが 今日は全く別件で、自分への決意表明のために どこかに書き記したかったのでこの場を使わせて頂きます。 まず自分は元々歌うことが大好きな人間。 でも、特にこのジャンル、というものが無く 宗教音楽、童謡、ポップスなどなど… 今でもジャンルは?と聞かれると困る。 とりあえずアコースティックと答えてます。 そんなある日、絵本を

      • セコガニが大好きなおばあちゃん

        おばあちゃんはお肉よりも魚介類が大好きだった。 毎年この時季は、知り合いに仕事で城崎の方まで行く人がいて セコガニ大好きなおばあちゃんのために 「今年、カニいる?」と 毎回聞いてくれるのである。 私は仕事が忙しくてセコガニを受け取れないし おばあちゃんの夕食の時間に帰ってこれないので どうしようかなと思ったけど、後何回食べる機会があるか分からないし!ということで、 受取りとセコガニの調理〜剥く作業までを全て父親に託して おばあちゃんには二杯、他の家族は1人1杯ずつのセコガニ

        • 6月7日

          おばあちゃんが亡くなって丁度1ヶ月 月命日だ 毎日おばあちゃんのことを考える。 最近、頭で死んだことは理解していても 居なくなってしまったことに心が追いついていない 感じがするなと思う。 私はクリスチャンなのだが コロナで中止していた礼拝が先週から始まり 今日は久しぶりに礼拝に出席してきた 丁度お昼頃に礼拝が終わると、十字架に陽が差し込みとても綺麗だった 天気が良いとこういう素敵な光景が見れる。 先月、おばあちゃんが亡くなった日も本当に良い天気だった。 まさに五月晴れ、

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          パパは偉かった

          おばあちゃん、もう後10年も生きてないよ 数年前のある日こう言ってきたことがある そりゃもう90になるおばあちゃんなのだから 平均寿命は超えたし、確かに10年以内に亡くなる確率は高いだろう でもなんだかおばあちゃんて エネルギーが満ち満ちしているのを感じるし 足は弱くなってきたが頭はしっかりしてる 100歳も夢じゃないんじゃないかって 私は割と本気で思っていた 死ぬ確率があることを分かっていながら ゆーてまだ当分死なないだろうと思い そういった気持ちの緩さが おばあち

          パパは偉かった

          6月1日

          6月になった。 おばあちゃんが亡くなったのはもう「先月」のことになってしまった。 時間が経つのが早くて本当にびっくりする。 お葬式の時に頂いたお花も、だいぶしおれてきたので先週は追加で買ってきた。 毎日お花のお世話をするのは結構めんどくさいが 昔は興味の無かった草花にここ数年癒されるようになり、今回お花の世話を任命されたことは おばあちゃんからのレッスンなんだと思っている。 お花が大好きだったおばあちゃん。 7日の月命日にもまたお花を追加して、49日まてまは絶やさないように

          劇団四季

          2年半ほど前からおばあちゃんは下血を繰り返しその度に入退院を繰り返していた。 大腸の憩室から血が出ているが、具体的な原因は分からず、もうずっと付き合っていくしかないというものだった 直接死に関わるものではないけれど、入院してしばらく動かないでいると、元々悪いおばあちゃんの足はどんどん悪くなった 退院したてのおばあちゃんに会いにいくと 「あぁ、こんな足じゃもうどこにも行けない」 と嘆いていた。 そこで私は 「もし足の調子関係なく、どこでも行けるとしたらどこへ行きたい?」 と聞く

          後悔していること

          特におばあちゃん子というわけではなかった自分が なかなか気持ちが切り替えられないのは物凄く後悔してることがあるからだと思う。 ひとつは5/4、意識のあるおばあちゃんに会った最後の日。 痰の吸引器を使うことを拒否するおばあちゃんの説得に叔母さんと病院へ行った。 病室へは1人ずつしか入れないので先に叔母がが行き、私は休憩室で待っていた。 特に何を喋ろうかとかは考えていなかったけど しばらくちゃんと会っていなかったからとにかく会いたかった。 叔母が戻ってきて 「全然納得してくれ

          後悔していること

          私から見たおばあちゃんの記録(5月)

          5月4日 病院から連絡。痰がだいぶ絡んでいるので吸引器を使いたいのだが嫌がるので家族から説得さてほしいとのこと。 父も以前使ったことがあるそうで、本当に無茶苦茶痛いらしい。この説得係に叔母が任命され、私もしばらく会っていなかったのでついていった。 面会証をつけて、先に叔母が病室に入り私は休憩所で待った。 しばらくして叔母が戻り 「全然納得してくれんわ〜ことちゃんからも言ってみて〜」と言われた。ぎょ。 私自身は説得しに来たのではなくおばあちゃんの様子を見に来たので、命に関わるこ

          私から見たおばあちゃんの記録(5月)

          私から見たおばあちゃんの記録(4月まで)

          おばあちゃんは元気だった。 足は悪くなっていたけど頭はとてもしっかりし 食べることが大好きだった。 今年に入ってからは数えるほどしか会ってなかったと思う。 2月、コロナが流行り始め、おばあちゃんと直接会うのを避けていた。 3月13日、おばあちゃんがこけた事を父がLINEで知らせてきた。 「おばあちゃん、昼に転んで骨折しました!今、病院に来ています。命には全く心配無い様子」 高齢者の横転には気をつけろと言うが、命には心配無いというの安心した。 おばあちゃんは一人で

          私から見たおばあちゃんの記録(4月まで)

          5月21日

          おばあちゃんが亡くなってから丁度2週間。 まだ書けてない記事がいくつかあるのだが、 その時その時のリアルな気持ちも残していきたいので書く。 2週間、あっという間だ。 相変わらず毎日涙は出てくる。 頂いた花がまだ咲いているので凄いなと思う。 このまま3週間、1ヶ月と月日は流れて おばあちゃんの居ない毎日が当たり前に なってしまうことが寂しい。 いつまでも泣いてたらおばあちゃんが心配するなと思う反面 泣くことで自分の中におばあちゃんかいることを確認し安心してる気もしてきた。

          5月9日 お葬式と火葬

          お葬式は11時から。 死後も2日経つと、やはりおばあちゃんの顔つきがだいぶ変わってきた。 今更だがうちで作ったおばあちゃんの祭壇(?)は、なるべくお金をかけずシンプルに、でもお花だけふんだんに使って下さいというリクエストをし、とても綺麗な祭壇になっていた。 おばあちゃんはお花が好きだったのでとても良かった。 昨日のお寿司屋さんが、生前お世話になったからとおばあちゃんにちらし寿司をプレゼントしてくれた。物凄く有難い。ありがとうございました。 お葬式が終わり、棺に思い出

          5月9日 お葬式と火葬

          5月8日 お通夜

          8日の朝、おばあちゃんにおはよう、行ってきますの挨拶をしてから出勤した。 仕事をなんとか進めたいところまで進め、16時に退勤。 17時過ぎに家に帰り喪服に着替える。 元々葬儀は家で身内だけで を希望していたおばあちゃん うちの家族と叔母家族以外に 父の従兄弟たち数人とおばあちゃんの弟が来た おばあちゃんには16歳下の弟がいる おばあちゃんの弟が来て、すぐにおばあちゃんの顔を見に行った 声にならない声が聞こえてきて、胸が痛かった 77年間ずっと一緒に生きてきた

          5月8日 お通夜

          おばあちゃんが亡くなった日

          5月7日の木曜日の早朝 おばあちゃんは亡くなった おばあちゃんの元に家族が揃ったところで 医師がおばあちゃんの脈や瞳孔を再確認し 令和2年5月7日6時42分 ご臨終です と言った 本当に言うんだな、と思った また、亡くなった瞬間ではなく医師が確認した時間が死亡時刻となるそうだ 人が亡くなるといきなり葬儀の準備が始まる 分からないことをその場で質問などし ひとまず全員うちの家に戻った 葬儀の準備は父と父の妹がしてくれる 7日、8日は出勤日でありどうしても

          おばあちゃんが亡くなった日

          おばあちゃんが亡くなるまで

          3月13日 かかってきた電話を取ろうとして歩行器ごとこける 病院A 3月半ばすぎ、複雑な骨折の仕方をしてると判明したためリハビリ施設がついてる老人専門の病院に入院する 高齢のため心配だった全身麻酔の手術も無事終了、術後から意識は明瞭。 4月16日 ストレスで十二指腸に穴が空き緊急手術 4月19日 脈拍が190まで上がり病院Bへ転院 理由は脱水症状と栄養失調。 入院していたにも関わらず有り得ない事態。 病院B 適切な処置のおかげで体調を持ちなおす 4/

          おばあちゃんが亡くなるまで

          おばあちゃんの今まで

          おばあちゃんは二世帯住宅で一緒に暮らしており、 足が悪く家の中も歩行器でヨロヨロと歩く状態だった。 毎朝父が朝食を準備し、週に2回ほど父の妹が身の回りの世話をしに来、 リハビリや福祉関係の人が来る際は母が対応していた。 それでもベッドからの寝起きや、お手洗いは一人で出来たので 基本的には1人で暮らしていた。 3月13日、電話がかかってき、受話器を取った瞬間、歩行器ごと転けた。 すぐさま上にいた父と母が駆けつけ、病院に連れて行ったところ 肋と鎖骨が折れていた。

          おばあちゃんの今まで