おばあちゃんが亡くなった日

5月7日の木曜日の早朝

おばあちゃんは亡くなった

おばあちゃんの元に家族が揃ったところで

医師がおばあちゃんの脈や瞳孔を再確認し

令和2年5月7日6時42分 ご臨終です

と言った

本当に言うんだな、と思った

また、亡くなった瞬間ではなく医師が確認した時間が死亡時刻となるそうだ

人が亡くなるといきなり葬儀の準備が始まる

分からないことをその場で質問などし

ひとまず全員うちの家に戻った

葬儀の準備は父と父の妹がしてくれる

7日、8日は出勤日でありどうしても進めなければいけない仕事があったので

家にいても出来ることがないしとりあえず出勤した

祖母が亡くなったことを社長に伝え、おそらく通夜は明日になるので明日夕方頃退勤させてほしいとお願いした

その日は20時半くらいまで働き、翌日出来ない分までなるべく進めた

21時半頃自宅に戻り、家に帰ってきたおばあちゃんに会いに行った

従兄弟が来ていた。

叔母がおばあちゃんに

「ことちゃんが来てくれたよ。ほら、起き上がってびっくりさせなよ」と話しかけていた。

おばあちゃんは入歯を入れてもらって

家にいる時のおばあちゃんの顔になっていた。

身体は、もうしっかり冷たい。

従兄弟と叔母と色んな話をした。

従兄弟とこんなにゆっくり話すのは久しぶりだったし、叔母ともなかなかこんな機会はない。

従兄弟がおばあちゃんの写真を漁っていたら切手のコレクションが出てきて、

「え、おばあちゃん切手集めてたん?おばあちゃんのこなんも知らんかったんやね」

と言っていた。

そう、おばあちゃんのこと何も知らない。

自分もそう思ってた。もっとおばあちゃんの世界を積極的に覗きに行けば良かった。

従兄弟は帰り、叔母はおばあちゃんちに泊まると言う。やはりご遺体と一緒(同じ部屋ではないけど)というのはあまり良い気持ちはしないもので、従兄弟も自分の母親のことを心配して

「お母さんも帰ったら?」

と提案したが

「おばあちゃん今までずっと1人だったんだからかわいそう。今日は一緒にいなきゃ」

と言っていた。

コロナでほとんど会えなかった。

おばあちゃんは長い時間、一人で頑張ってきたのだ。

「私も下で一緒に寝ていい?」

叔母を一人にするのは心配だったし、叔母の少し怖いという気持ちも分かる、自分も出来ることはしたいし、多分もうおばあちゃんの部屋で寝泊まりする機会も無いだろうと思い一緒に泊まることを提案した。

私はめっちゃくちゃ怖がりだ。

いくらおばあちゃんもいっても

ご遺体になってしまわれたら夜は怖いし

いけない想像もしてしまう。

一応、怖がっても良ければどうぞ化けて出てきてくださいと、念じたが

ご遺体は歩いてこなかったし化けても出てこなかったし何なら夢にすら出てこなかった。

でも本気で怖すぎて全く眠れないし2時半すぎに眠れたと思ったらまた4時頃に目が覚めてしまいとんだ寝不足になってしまった。

しかし、1つおばあちゃんの景色を見れたことがある。

おばあちゃんの寝室は北西にあるので光が入ってきにくいため、意図的に東に窓を作って朝日が入るようにしてある。あったらしい、この家に一緒に住んで約25年、今まで知らなかった。

そして朝日が虹色に光るようになってキラキラしていた。

おばあちゃん、毎朝こんな景色を見ていたのか。と、1つおばあちゃんのことを知れた。

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