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6月1日

6月になった。
おばあちゃんが亡くなったのはもう「先月」のことになってしまった。
時間が経つのが早くて本当にびっくりする。

お葬式の時に頂いたお花も、だいぶしおれてきたので先週は追加で買ってきた。
毎日お花のお世話をするのは結構めんどくさいが
昔は興味の無かった草花にここ数年癒されるようになり、今回お花の世話を任命されたことは
おばあちゃんからのレッスンなんだと思っている。
お花が大好きだったおばあちゃん。
7日の月命日にもまたお花を追加して、49日まてまは絶やさないようにしようと思う。

昨日おばあちゃんの家で過ごしていると、おばあちゃんちの電話が鳴った。
前回のようにまたドキドキしながら電話に出てみると
おばあちゃんの旧友からだった。
私は今までこの人のことをしらなかったが
おばあちゃんが手帳に一言日記をつけていたのを見つけ、
それを読んでいるとたまに出てきていた名前だったので
すぐに分かった。

おばあちゃんは元気かと聞かれ、
心を痛めながら少々お待ちくださいと伝え
父に代わり、父から伝えてもらった。
おばあちゃんが亡くなったことを知らせる葉書は
昨日出したところだったので
この方はおばあちゃんが亡くなったことを知らなかった。
入院していたことは知っていたようで、
何回か電話をかけていたがいつも繋がらず
やっと繋がって安心したんだとのことだった。

この方はおばあちゃんの女学校時代の友達
と、いうことは7、80年来の友達ということだ。
亡くなったことを伝えると
「とうとう友達がみんないなくなってしまった」
と、電話の向こうで泣き出してしまったらしい。

長く生きるということは
たくさんの人を見送るということだ。
たくさんの人が亡くなっていく中で
同い年の友人がいるというのは心強いことなんだと思う。この人の寂しさは想像してもしきれない。
そしておばあちゃんが亡くなったことに心を痛めてもらえるのは有難い。

長く生きてきた人たちは多くの別れを乗り越えてきた人たちなんだと思うとそれだけで尊敬してしまう。

自分もこれからどんどん経験していくことになるのだろう。
その時に、後悔なくお別れできるように心がけていこう。
当たり前の存在は、当たり前じゃない。
大事な人の大事な人も、大事にする。

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