5月21日

おばあちゃんが亡くなってから丁度2週間。

まだ書けてない記事がいくつかあるのだが、
その時その時のリアルな気持ちも残していきたいので書く。

2週間、あっという間だ。
相変わらず毎日涙は出てくる。
頂いた花がまだ咲いているので凄いなと思う。

このまま3週間、1ヶ月と月日は流れて
おばあちゃんの居ない毎日が当たり前に
なってしまうことが寂しい。
いつまでも泣いてたらおばあちゃんが心配するなと思う反面
泣くことで自分の中におばあちゃんかいることを確認し安心してる気もしてきた。
悲しくて泣いているのか、悲しい事を確認するために泣いてるのか
よく分からなくなってきた。
慣れてしまいたくないけど、いつまでも後ろを向いていてはいけないなと思いながら
でもやっぱりめそめそ毎日過ごしてる。

昨日は休みだったので
おばあちゃんちの玄関を開けて
庭でぼーっと過ごしていた。
叔父が庭の花たちに水やりしに来てくれていた
生前からやってくれていることだ
「見たことない花が咲いてる。おばあちゃんかねぇ」
と言っていた。

また、叔父が帰ってからしばらくした頃
おばあちゃんの家に電話がかかってきた
びくっとしたが、居留守も良くないかと思い
もしかしたらおばあちゃんの友人かもしれないし
でももしかしたら押売りさんかもしれないので
名乗らずちょっと警戒しながら はい… と出た
「…ことちゃん?」
電話をかけてきたのは叔母だった。
叔母は眼の病気を患っていて定期的に手術を受けている。
昨日手術をし、今日経過をお医者さんから聞いてきた帰りだったそうだ。
いつも術後と、医者からの話を聞き終わった後に
おばあちゃんに報告の電話をしていたらしい。
誰も出ないと分かってはいたけど、
いつもみたいにかけてみたということだった。
昨日の術後かけた時は、誰も出ずにFAXに切り替わった。
今回ももうくぐ切り替わるなと思ったら
私が出たのでとてもびっくりしたとのことだった。
私もびっくりした。笑
でも電話に出れて良かったと思った。
おばあちゃんが亡くなってから息子が優しくなった。未だにたまに電話をかけてきてくれる。おばあちゃんが遺してくれたものは大きいわ〜とよろこんでいた。
今回、おばあちゃんが亡くなったことでこの叔母と同じ時間を過ごしたり、気持ちを共有することが増えた
おばあちゃんがいなくなったら寂しさを共有出来る人がいるのは有難い
亡くなった日からお葬式の翌日まで、ずっと泊まり込んでた叔母が帰る際にお礼を言ってくれたが
私にとっても叔母の存在は有り難かった。

その後、おばあちゃんが毎日何を食べていたか書いているノートを見つけた
最後の日付は3月7日だった
おばあちゃんもこの1週間後に転けて
丁度2ヶ月後に死ぬとは思ってなかっただろうなと
改めて最近まで生きていたことを再確認し
胸が締め付けられた。

とある瞬間からいなくなる
命の仕組みはなんとも不思議だ

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