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6月7日

おばあちゃんが亡くなって丁度1ヶ月
月命日だ

毎日おばあちゃんのことを考える。
最近、頭で死んだことは理解していても
居なくなってしまったことに心が追いついていない
感じがするなと思う。

私はクリスチャンなのだが
コロナで中止していた礼拝が先週から始まり
今日は久しぶりに礼拝に出席してきた
丁度お昼頃に礼拝が終わると、十字架に陽が差し込みとても綺麗だった

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天気が良いとこういう素敵な光景が見れる。
先月、おばあちゃんが亡くなった日も本当に良い天気だった。
まさに五月晴れ、といった感じで
今日という日を選んだのだな、と思った。

礼拝が終わり、近所の和菓子屋でお供えのお菓子を買った。
おばあちゃんがよく行っていた和菓子屋さんだ。
今日は月命日、また位牌が届く日でもあったので叔母夫婦が来ていた。
業者さんが位牌を持って来た。
表に戒名、裏に名前と命日と年齢が彫られている。
内容に間違いがないか一文字ずつ確認していく中でおばあちゃんが亡くなったことを改めて実感し涙が出てきた。

業者さんが帰り、叔母夫婦、それから私の両親とおばあちゃんの話をあれこれした。
あの時ああしてればという気持ちはみんなそれぞれあるようで、私はおばあちゃんのことを皆で話せる時間が救いになっている。
楽しいや美味しいはもちろん共有したいが、悲しみも共有することで緩和されていくものなのかもしれない。

あまり真面目に過ごしすぎるのも嫌なので
昨日買いに行ったお花は
お供え用なんですけどあまり関係なく楽しい感じにしてください!
と頼んでアレンジしてもらった。黄色やオレンジが入ると一気に楽しい雰囲気が出る。
祭壇の前にはおばあちゃんが昔作ったちぎり絵の作品を飾った。
今日は叔母夫婦もお供えのお菓子を用意してくれており
そこに私の買ってきた和菓子と、たまたま見つけた紫陽花の形をした金平糖を飾った。
仏間がだいぶ楽しいことになってきた。
おばあちゃん楽しんでくれてるかしら?

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