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【演説訳】 大ドイツ芸術展開催の辞 (1937)

ナチス総統アドルフ・ヒトラーによる、かつて画家を夢見ていた感性が謳う芸術アートと人間。

現代日本でカタカナ語「アート」は「作品」のように扱われがちだが
本来の "art" は「人間」そのものを含意する単語


1937年7月19日
「ドイツ芸術の家」(現「芸術の家」)
「大ドイツ芸術展」がこけらおとし


芸術に国境はない、と言われてきた。それは国家や民族のものではなく、ただ「時代」のものだと。そうして印象派が、未来派が、キュビスムが、ダダイスムが、昨日から今日へと移り変わってきた。

そこにあるのは「流行ファッション」だ。どこの誰の手による制作なのかは関係ない。ただ時代とともに、服装ファッションのように、芸術は明日へと向かっている。

「毎年新しいものを!」

そんな号令のもと、奇怪なもの、空虚なもの、盗作、無知が、我が物顔で芸術を僭称している。国家社会主義ドイツ労働者党ナチスが現れるまでのドイツにも、そんな「現代アート」があふれていた。

違う。間違っている。

われわれは、偉大なる「ドイツ芸術」を求める。一時の流行ではない、永遠に価値のある、アーリアドイツ人の創造力の賜物たまものを。ここ「ドイツ芸術の家」は、そのために建てられた聖堂である。

『ウィーンのオペラハウス』 (1912)
右下に署名「A. ヒトラー」

芸術とは時代のものではない。人々のものだ。

時代は変わる。生まれさかえ、過ぎ去ってゆく。芸術が時代のものであるならば、1937年の芸術も、40年、50年、60年の芸術もまた、時代とともにほろんでゆくだろう。

人間もまた死すべき存在だ。だがアーリアドイツ人が不滅であれば、その芸術もまた不滅である。

芸術とは断じて「流行」の産物ではない。それは民族の表現である。民族の手によって民族の生命が表される、そのことだ。

キュビスム、ダダイスム、未来派、印象派、等々は、われらアーリアドイツ人となんの関係もない。これらはただの創作上の失敗だ。才能なき人間による創造への冒涜、詐欺だ。

そのわかりにくさを正当化させるため、誇張され歪曲された「アート」がまかりとおってきた。その結果として、いまや単なる愚行やナンセンスまでをも、それは意味してしまっている。

  • 内的経験

  • 無意識

  • 力強い精神

  • 未来への不安

  • 意欲

  • 共感

  • 時代の要請

  • 人間性の暴露

こんなもの、すべてたわごとだ。技量のない作品への言い訳にすぎない。

『ミュンヘン郊外の邸宅』 (1914)

ドイツの牧草を青に、空を緑に、雲を黄色に、物事を違ったように見る「アーティスト」がいる。

実際に草や空や雲がそう見えているのかもしれない。そうであれば、その人間に必要なのは「アート」ではなく「眼科」だ。芸術的ではなく医療的に興味深いものだ。

もし実際にそう見えているのではなく、なにかしら創作上の理由によってそう描いているのであれば、それは国家への冒涜ぼうとくである。われわれの国土を歪ませ人々を惑わせるなど、刑罰に処すべき大罪だ。

ここ「ドイツ芸術の家」は、そういった不■者や犯罪者のために建てられた場所ではない。

『湖畔の木』 (1911)

芸術家とは、芸術家同士のために創作するものではない。すべての仕事と同じように、人々のために創作するものだ。

虚偽の「アート」に騙されてはならない。国家社会主義ドイツ労働者党ナチスは、わが帝国から、われわれの民族としての純粋さと生命を破滅させるものを、取り除きたいのだ。

本「大ドイツ芸術展」の開催をもって、現代の「アート」の愚かしさに終止符を打とう。これより始まるのは、われらがアーリアドイツ人の文化を腐敗から守るための、戦争である。

われわれは、われわれの芸術を取り戻さねばならない。





1938年撮影

○ヒトラーはもともと画家志望で、厳格な父を早くに亡くしてから風景画の模写や絵葉書を細々と売っていた。本文に挿入している画像は当時の作品。

○美術アカデミーの入学試験に二度落ちて、よき理解者であった母親を乳癌で亡くし、画家の道を諦める。

○失意のうちに放浪生活を続け、第一次世界大戦に従軍し負傷する。その経験と敗戦に続く国家の窮乏を目の当たりにして、政治の世界に入る。

○古典主義を熱烈に好み、当時の美術アカデミーでも流行しつつあった「現代アート」を「退廃芸術」と呼んで終生憎悪していた。

『聖母子』 (1913)





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