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生きるという孤独
"ガブは ほんとうに しんじられる
ともだちが ほしいと 思った"
雨の夜に出会ったヤギの「メイ」とオオカミ「ガブ」の友情を描いた傑作『あらしのよるに』シリーズ、その番外編である。もしかしたら本編より好きかもしれない。
かつてガブは温かい両親のもとで幸せに暮らしていた。だが群れを治める偉大な父ガルルを亡くすと状況は一変、優しかった母は厳しくなる。
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ある日ガブは親友グルリのところへ遊びに行く。するとふたりの上下関係を決めるためケンカをしろと嗾けられる。親友の泣きっ面を見たくないガブはわざと負ける。その結果、仲間うちで一番の下っ端とされてしまう。
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友達には陰口を叩かれ、母にも見限られ、誰にも相手にされなくなったガブは、毎晩一人で丘に登って月を眺めるようになった。
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ある朝、丘の向こうに鹿の一群を見つけた。すぐに群れの皆に知らせようとガブは駆け出した。
やっぱり あの りっぱな ガルルの こだ
そう言ってもらえると信じて、尖った岩山で体じゅう傷だらけになっても、険しい崖で足を挫いても、必死に走る。
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ようやく辿りついたら、待っていたのは親友の裏切りだった。むなしくてむなしくて、痛ましい体のまま一人いつもの丘へと登る。
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最後にほっこり。父ガルルより出番の多い母に名がないのは、「母性」という抽象を描き出したかったからだろう。
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「群れ」とは弱肉強食の掟で動くものだ。でもガブがほしいのは、そんな外ヅラだけの場所で得られる優越感じゃない。
ほんとうに しんじられる ともだち
本編で「ヤギ」という外見ではなく「メイ」という中身を大事にした、その食欲=生存本能さえ上回るガブの「友情」は、このときの孤独に裏打ちされているのである。
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オモテ表紙の悲しげに目を細めた遠吠えは、ウラ表紙の空隙から続いている。その声は、いつか同じ心を持つ耳に届く。その日まで、たとえ一人ぼっちでも、がんばれガブ。
ガブの物語には明らかに、年齢や収入や地位や顔立ち体つき等で日々マウント取り合うわれわれの「サル山の原理」が反響している。人間だって群れをなしている動物に変わりはない。
そうなんだよな、そんな群れの「こうしろ・こうあれ」に従って生かされるんじゃなくて、自分が「こうしたい・こうありたい」と思うように生きるのなら、一人ぼっちになるしかないんだよな。「生かされる」んじゃなくて「生きる」のなら、孤独は付き物なんだよな。
でも、どこかに必ず「ひとりぼっちのガブ」はいる。今宵どこかにこうして静かに月を見上げている人はいるはずだ。
そう信じて明日も生きることにしよう、ガブのように。
完
『ひとりぼっちのガブ』 きむらゆういち・あべ弘士 講談社、2011年。
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