螺鈿人形

都内うろうろ大学非常勤講師(限界語学)|記事中の美術作品はパブリックドメインです

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マガジン

  • 『女子大に散る』

    成熟まぎわの花々を活写しつつ条理なき「大学」を剔抉する連作短編集、各4000字程度・第一部として全10話。

  • 戯作創作

    胸に一物、背中に荷物。(織田作之助)

  • 『四季めぐり』

    実学全盛時代に文学部を博士課程まで進んでしもうた三十路どん詰まりワンルーム独居男の散歩漫遊エッセイ集、出会い別れる人動植静物に見た涯なき意想夢想を綴る、各2000字程度。

  • 夢現徂徠

    ロマンの織物/澱物

  • 翻訳蒟蒻

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『女子大に散る』 第1話・春はバスに乗って

 春、非常勤講師の依頼があった。なんの因果か女子大である。奉職一年めでコマ数に余裕があったし、すでに大学語学の現状には辟易としていたが夢も理想もまだあって、甘露かぐわしき禁断の花園へのご招待を辞するいわれは見当たらなかった。  なによりわが最寄駅からキャンパスまで片道20分少々の直行バスが出ているという。普段まったく足を伸ばさない方面の、別の私鉄沿線にもほど近い立地だ。通勤電車も人ごみも蛇蝎のごとく嫌悪する身にはこれだけで大きにそそられた。エッしかも一コマあたり月二八もくれ

    • 短編小説 薑

       臥薪嘗胆が報われて女子大の看護学部に常勤採用を打診されたのは、コロナ禍二年めの春だった。契約を更新した矢先だったが、自分の仕事が前学部長にして稀代の乙女トヨムラ先生の宿願でもあったれば、あと一年くらい時給換算して600円程度でも辛抱できた。 「あら先生、おつかれさま」  定年を過ぎていた先生は、その年度だけ嘱託として残ることになっていた。出勤日は毎週のようにお呼ばれして、お茶とお菓子つきでいろいろ話した。楽しかった。 「いつもご馳走いただいてすみません」 「いいのいい

      • 短編小説 蝶よ花よ

         まだ遠慮と物怖じの抜けない四月末の一年生のうち、最初に話しかけてきたのはAさんIさんEさんだった。授業後ヒソヒソキャッキャしては、 「先生──」  春風に吹かれたようにちょっとの距離を駆けてきた。「アア女子大」と悶絶しかけつつ、憂鬱ぎみの顔面つくろい出席簿をつけるふりをしていた。 「はいはいはい」 「あのっ、わたしたち特待生になりたいんです」 「だから『秀』ください」 「なんだそれ!」  本末転倒の要求に思わず笑ってしまった。特待生は年間の成績優秀者から選出される若

        • 『女子大に散る』 第8話・パパを探して

           しばらく図書館をうろうろしてから帰路についたら、停留所に大学始発バスが待っていた。午後6時を回ってガラガラで、おそらく最終便だろう。これぞ渡りに船と朝タクシーで来たことも忘れて飛び乗ったら、 「あ~せんせ~」  二年生のOさんが降車口そば二人席の先頭をニヤニヤ占めていた。毎度のように三限で一戦まじえてきたところだ。 ──次、Oさん。 ──えっとお、…… ──ん? もっかい。 ──だからあ、…… ──やべえ全然聞こえねえ…… ──エッへせんせおじいちゃん~。 ──最近な

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        『女子大に散る』 第1話・春はバスに乗って

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        • 『女子大に散る』
          10本
        • 戯作創作
          9本
        • 『四季めぐり』
          12本
        • 夢現徂徠
          19本
        • 翻訳蒟蒻
          14本

        記事

          『女子大に散る』 第7話・桜色ポリティクス

           面接にやってきた午後の女子大キャンパスは、うららかな晴天の下で不気味なほど静かだった。 「どうぞお掛けになって」 「失礼します」  後に講師控室と知ったところで年配の女性と差し向かった。麗しい言葉づかいに誘われてのっけから談笑してしまう。 「先生ずいぶん背が大きいのね」 「それが中身は空っぽなんです」 「あらあら、そんなことないでしょう」  トヨムラ先生は、当時まだ三年めを迎えようとする看護学部の構想段階から関わってきた初代学部長で、ターミナルケアが専門の元看護師で

          『女子大に散る』 第7話・桜色ポリティクス

          『女子大に散る』 第6話・えくぼの悪魔

           なんだか気だるくて早めに四限を終えた。ごった煮でよくわからない残り香ただよう教室で、消灯して、窓辺の空調棚に腰掛けてボーッとしていた。  五限始まりのチャイムが鳴った。午後4時半前、同じ階にわりあてられている授業はない。ようやく止んだ梅雨の雲居を静かに青が裂いてくる── 「わっ」  あけっぱなしの前扉から花車がひょっこり、 「びっくりしたあ」 「アハハしなないで」  三年生のSさんだ。相変わらず黒と白を基調に赤の点景をちりばめたゴシック風の粧いが板についている。

          『女子大に散る』 第6話・えくぼの悪魔

          『女子大に散る』 第5話・イノチ短シ恋セヨ乙女

           はやばや女子大勤めにも慣れて無聊に喘ぎだした春、百名足らずの新入生のうち最初に顔と名が一致したのはUさんだった。五月連休明けの授業後、教科書を手にやってきた。 「せんせえ」  普段耳にしている間延びの「せんせ~」とは異なる十数年ぶりの「感性」に同じ抑揚で、一瞬返事に窮してしまった。いつも廊下側の前方に一人で座っている理由が閃光していたのである。 「……せんせえかあ」 「あっすみません──」  漏らした感慨にきれいな奥二重が伏せってしまい、あわてて釈明する。 「いや

          『女子大に散る』 第5話・イノチ短シ恋セヨ乙女

          『女子大に散る』 第4話・Kの墜落

           Kも非常勤講師で、担当は語学ではなく専門科目だが、いわば同僚だった。初出勤の四月第二週火曜、ぶじに授業を終えて出勤簿に押印しようと講師控室へ寄ったら出くわした。 「あっ、お疲れさまです~」  世慣れたふうの語尾上げは160センチ少々の痩せぎすにぶかぶかリクルートスーツ姿である。袖に見え隠れする骨ばった手首、角刈りをふた月放っておいたような野暮ったい髪型にシミシワひとつない白皙の顔色で、まさか中学生かしらと疑りつつも、とんがった喉仏と青々しいヒゲ剃り跡に危なげなく「やや年

          『女子大に散る』 第4話・Kの墜落

          『女子大に散る』 第3話・黄白い誘惑

           十月初週、後期授業が始まった。秋雨つづきで鬱々たる中およそ二ヶ月ぶり大声で270分しゃべり続けたせいか、三限の一年生クラスを終えたころにはクタクタだった。 「先生……」  次の教室へと散ってゆく花々を尻目に座り込んで、教卓を挟んで目前に来ていた一輪にも声をかけられるまで気づけなかった。 「ハイハイどうしました」  とにかく腹が減っていた。早起きも久しぶりで朝はバナナにヨーグルトで間に合わせ、それから七時間あまりお茶と煙しか喫んでいない。それまでも昼はアメ玉で凌いでい

          『女子大に散る』 第3話・黄白い誘惑

          『女子大に散る』 第2話・天使のケア

          「子供みたいなこと言ってんじゃないわよ!」  午後4時半すぎ、講師控室へと戻るため渡り廊下にさしかかったら、くぐもった怒鳴り声がした。なんだなんだと目を上げるや、 (あっ先生)  突き当たりに見慣れた顔が覗いた。二年生のHさんだ。 (こんにちは) (おとといぶり~)  続けてぽろぽろ覗く。丁寧な会釈のMさん、ひらひら手を振るIさん、そろって実技科目の後らしく白衣姿である。小声なのでひとまず真似して、 (Aさんはお休みですか) (せっ、きょう、ちゅう) (バイ、アン

          『女子大に散る』 第2話・天使のケア

          noteでお会いした諸姉諸兄と文芸同人誌『夢幻』を始めました。 天道魔道の隘路で綴られた各編、哀愁の写真、華美な揮毫、かわいい小悪魔と虫(虫)、ご愛顧ください。 ECサイトで創刊号を販売中↓ https://reve8realite.official.ec/ (A5判・全138頁・本体400円)

          noteでお会いした諸姉諸兄と文芸同人誌『夢幻』を始めました。 天道魔道の隘路で綴られた各編、哀愁の写真、華美な揮毫、かわいい小悪魔と虫(虫)、ご愛顧ください。 ECサイトで創刊号を販売中↓ https://reve8realite.official.ec/ (A5判・全138頁・本体400円)

          小人閑居してデジタルデトックス

           日頃から「流行りすたりに興味なし」とかうそぶいているくせ、座右のMacBookProがブラックアウトして使えなくなるや早速「デジタルデトックス」と当世用語を並べ立てる節操なき小人が、ここにいる。是非もない、いくら精神を紀元前アテナイに19世紀末パリに遊ばせようと肉体は令和六年ニッポンから逃れられないものだ。それならたまには現代人を気取ってみてもバチは当たるまい、確定申告も済ませたところだし。  前段の「ブラックアウト」は「画面に何も表示されない状態」にふさわしいかと感覚的

          小人閑居してデジタルデトックス

          寂しいおじさんと二年後に死ぬ乙女

           乙女に「おじさん」と渾名されるは快、「寂しい」まで添えられれば欣快の至りだ。こちらが独身独居とか俗世的交際ぎらいとか足腰の衰えありだとか公言せずとも嫋やかなる目は全部お見通しで、そんな時ばかりその奥にシャーロック・ホームズばりの洞察力が冴ゆるを見るも心憎い。 「はいどうぞ」 「……先生なんか慣れてる」 「慣れてる?」 「スタバよく来るんですか?」 「たまにな」 「え~もっとあたふたするかと思ったのに~」 「なんだそれ。だからスマホ構えてたのか」 「そ。緊張してるかなって」

          寂しいおじさんと二年後に死ぬ乙女

          あくびの中心

           「禍福糾纆」という四字熟語がある。出典は『史記』だったか『礼記』だったか覚えていない、「かふくきゅうぼく」と読む。  「禍」はわざわい、現代日本人の思考力を規定している「Google日本語入力」でもなんとか変換できる。「纆」は縄のこと、「糾」は縄を縒ることを表す。平たく言えば「ソファミ♭ファソソファミ♭ファミ♭レシ♭ド」のこと、御大美輪明宏女史が麗しい鼻母音まじりに囁く「人生プラマイゼロよ」とも言える。  これを基にしたことわざ「禍福は糾える縄の如し」の方がまだ膾炙し

          あくびの中心

          希諸姉諸兄幸弥増訪 令和六年 元日 レオナルド・ダ・ヴィンチ 『龍の素描』(1517)

          希諸姉諸兄幸弥増訪 令和六年 元日 レオナルド・ダ・ヴィンチ 『龍の素描』(1517)

          残夏

           黄昏に音割れした『新世界より』が響く。17時だ。何処から鳴っているのだろう、と見上げた目が西日をかすめて思わずくしゃみが一ツ出る。  もう夕方は半袖だと肌寒い。あれほど囂しかったヒグラシも鳴りを潜めた。そろそろ夕涼みもおしまい、明日から散歩は午前中に戻そうかとてくてく行きつつ考える。  けだし「夕涼み」は夏の季語である。暑かった一日の終わりに涼風を迎える慣わしのことだ。蚊取り線香と風鈴のある縁側や軒先が思い浮かぶ一方、「夕涼みに出る」で散歩を表すこともある。  似たこ