小人閑居してデジタルデトックス
日頃から「流行りすたりに興味なし」とかうそぶいているくせ、座右のMacBookProがブラックアウトして使えなくなるや早速「デジタルデトックス」と当世用語を並べ立てる節操なき小人が、ここにいる。是非もない、いくら精神を紀元前アテナイに19世紀末パリに遊ばせようと肉体は令和六年ニッポンから逃れられないものだ。それならたまには現代人を気取ってみてもバチは当たるまい、確定申告も済ませたところだし。
前段の「ブラックアウト」は「画面に何も表示されない状態」にふさわしいかと感覚的に用いてみたまでで、工学的に正しい用法なのかは知らない。「機械」には「人間」との対立項としてしか関心を覚えてこず専門的・技術的な知識は今もってほぼない。A級文学『未来のイヴ』または『R.U.R.』やS級アニメ『ドラえもんのび太とブリキの迷宮』または『攻殻機動隊』などについては夜を徹して語れるものがあるが、実物のパソコンについてはただ一介のエンドユーザーである。
購入したのは4年前の冬だ。博士論文下書きの酷使に耐え、痛飲嗟嘆の連夜に侍り、あの子この子と睦言愛語をまじわせる便箋となり、かの愚物さる無礼者の滑稽を表示し、故里の老親との通話口となり、大学語学なんて詐欺まがいの小売業を支えてくれた。益体もない文を思いつくまま書き殴る手ともなり、15年前にテレヴィを捨てた出不精の耳目に浮世の擾乱を届けてもくれた、まさしく拡張された自己だった。
しばらく前からバッテリーの持ちが悪くなり、スリープ状態からの復帰が目に見えてのろくなって、そろそろかとは危惧していた。異常なまでに発熱してファンをうならせることが増え、該当キーに触れずとも「っっっっっっっr」とか「えええええええ」とか突然叫び出すようになって、先夜うそのように静かになった。
モノが壊れたことを「死んだ(逝った)」と言いたがるのは現代ジャップ特有の平和ボケ語法のようで忌避したいが、擬人法そのものに抵抗はない。アニミズムの末裔ならではの語感なのだろう、先述の"black-out"だって視界が暗転する「失神」が第一義である。むしろ回復が望める語を選んだあたり未練たらたらでタチが悪いのかもしれない。
モノをモノだからとぞんざいに扱う性根は卑しいものだが、自ら益するため死物を鞭打ち延命させる手合いもまた同じだ。相続税を逃れんとして親の亡骸を「生きている」と偽装した畜生道の所業を見よ、イヌとて悼みゾウとて涙しクジラとて歌う「弔い」を捨てたヒトは動物にあらずゲジゲジかゴキブリに等しい。「もったいない」は「卑しい」とは別物であり、「清貧」とは「貧すれば鈍する」の謂いではない。
窓辺で春めく日差しを浴びている筐体は綺麗な外観のままで、一人の人間の4年ぶんの喜怒哀楽や清濁浮沈をすべて引き受けたとは思えないほど凛として落ち着いて見えた。ぶつけも落としもしなかったし、何かをこぼしたこともなかった。図らずもこの世に生を受けたものが天寿を全うしたさまを見届けられたとは、文字どおり難有いものである。八百万に御神酒を供えたくなった古人の意がよくよく身に沁みた。
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次年度のシラバス作成が催促される時期だし、当日のうちに新型を注文した。「時間どろぼう」の跋扈する現代産業社会では哀悼の念さえスケジュールありき、忌引にも日数が定められているとおりだ。年度末が迫り予算消費や新入準備に立て込んでいるのか届くまで一週間かかると言われ、「ハハンその間はデジタルデトックスだな」と気楽に構えたわけである。
帰省時を除いて年がら年じゅう欠かさず触れては閑居の慰みとしてきたモノが使えない。「デトックス」は薬物治療の"detoxification"の略語、その治療対象たるSNSにそれほど中毒していなくとも禁断症状って出るのだろうか──自己完結型人体実験に内心わくわくしてもいた。
一日、二日、三日が経っても指先は震えない。動悸が高まることもなければ呼吸が荒くなることもない。だがもはやウンともスンともジャーンとも言わないインテリアでしかないモノが、なんだか気にかかって仕方なかった。
開いたって電源コードをつないだって仕方ないのに、事あるごとに開いてはコードをつないでいた。ほんの数日前まで調べ物や暇つぶしに応えていた画面は当然ブラックアウトのまま、膝の上に置いても気の利いたピアノソナタを流しやしない。それでもまた同じように開いてみたり、電源ボタンを押してみたり、コードをつないでみたり、そのつど暗い画面に「あーあ」と残念がる顔しか映らなくても、また折々に────
予定より早く届いた新品と交換で、あっけなくリサイクルへと引き取られていった。思えば五日間、たびたび冷たい体に触れては生前の俤を偲んでばかりいた。一台しかない机の端に置きっぱなしにして朝食時も夕食時も変わらずそばにあって、いよいよお通夜のようだった。
毒は、SNSなんて二進法とテクノロジーの産物それ自体にはない。アルミニウムとレアメタルの塊を人間に相似させては哀惜してしまうような複雑怪奇の脳内にこそ毒はある。「せっかく強勢に従って『ディジタルディートクス』と頭韻が踏めるものを『デジタルデトックス』なんて凸凹に読ませる現代日本語って『運動エネルギー』と『エナジードリンク』を併存させてもまだ懲りない鈍チンだよなあ」と今も毒づいている頭こそが要治療なのだ。
そうなると、ここなる閑居小人は手遅れだ。「まあ生きていれば無毒無菌なんて夢のまた夢、気づかぬまに誰かを汚して誰かに汚されているが世のならいよ」と以毒制毒の屁理屈こねくり肺臓はタールでべとべと肝臓はアルコールでひたひた放題、35歳以上の国民健康保険加入者向け無料健康診断のお知らせを今年も破り捨てては顧みず「毒もまた己」と居直っている。禁術ロボトミーでもせねば解毒は叶わないだろう。
デトックスは失敗だった。わかりきってはいたが。
完
(注:米国の文物に毛ほども関心がない筆者の嗜好に鑑みて"detox"が米語だと「ディトックス」と発音されることは閑却されたい)
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