マガジンのカバー画像

翻訳蒟蒻

14
運営しているクリエイター

記事一覧

【短編訳】 赤い部屋 (1894)

「タイムマシン」や「透明人間」や「核兵器」の生みの親H.G.ウェルズによる深淵の怪談。  私はグラス片手に暖炉のそばに立っていた。 「よっぽど幽霊らしい幽霊じゃないと、ぼくは怖がりませんよ」 「それは、あなた次第ですよ」  ジイさんが横目で答えた。その手は腕までしわしわだ。 「28年の間、一度だってお目にかかったことありませんけどね」 「世間は広うございます。見たことないものも、悲しい話も、まだまだたくさんございますよ……」  次はバアさんが答えた。暖炉にあたって炎

【童話訳】 絵のない絵本・第19夜 (1837)

巨匠アンデルセンが月に託して語る 「芸術は長く人生は短し」の寓話 第十九夜 今宵も月が語ります。 「ある夜、ぼくの下には劇場があった。大きな立派なところさ。新人俳優の初舞台だからって溢れんばかりの入りだった。 楽屋の窓に、その俳優がいた。ふさふさのヒゲを生やした騎士の恰好で、ガラスに張り付くようにぼくを見上げて、涙を流している。 第一幕で、観客たちにさんざ笑われ冷やかされ扱き下ろされたんだ。 かわいそうなやつ! 彼の方は心から芸術を愛しているのに、芸術の方は見向き

【短編訳】 悪魔と作家 (1899)

『どん底』のマクシム・ゴーリキーによる厭世主義の佳品。  悪魔は退屈していた。始終ふざけていられるほど愚かではなかったのだ。この世には悪魔でも真剣になるべきことがあると知っていて、まるで人間のように自らの存在について考え込むこともあった。  ある秋の夜長、彼は墓地にいた。気晴らしでもないかときょろきょろしながら、人の世に伝わる古歌を口ずさんでいた。  メロディにつられて風が吹き回った。くたびれたように軋む裸の枝々が、墓石の十字架に当たり鈍い音を響かせる。黒ずんだ天にひし

有料
100

【短編訳】 老人とフープ (1909)

帝政ロシア象徴派の作家フョードル・ソログープの描いた老残と哀愁。 I  母親が、4才になる息子を連れて朝の田園を散歩している。みずみずしい頬を輝かせて、落ち着いた愛情ゆたかな微笑を浮かべ、子を見守っている。  子はフープと戯れている。大きな新品の黄色いフープだ。投げては追いかけ、膝をむき出した丸々しい脚でとことこ走り、けたけた笑っている。棒きれを振りながら、そんなにうまく回せなくても笑っている。  初めてのフープだった。まだまだ走るのに慣れておらずとも夢中になれるほど

【童話訳】 魔法の丘 (1925)

『くまのプーさん』の原作者A. A. ミルンによる幻想世界。オランダの挿絵画家ヘンリエッテ・ル・メールによる表紙つき。  むかし、あるところに王さまがいました。王さまは女王さまとの間に子供を7人もうけましたが、そのうち上から6人はみんな男の子でした。  「王家は三人息子がよい」という言い伝えがあるものですから、3人めも男の子だったときは嬉しかったものです。しかし、四男、五男、六男とつづいては、だんだん不安にもなってしまいます。 「ひとりくらい娘がいればな……」  ある

【童話訳】 妖精のおくりもの (1697)

童話文学の始祖シャルル・ペローによる、「ことば」の大切さを暗示する勧善懲悪フェアリーテイル。挿絵たくさん教訓詩つき。  昔あるところに、早くに夫を亡くした婦人が二人の娘と暮らしていました。姉ファニーは母親そっくりで、顔つきには不愉快なほど険があり、いじわるで傲慢な娘でした。妹ローズは亡き父親にそっくりで、まれに見るほど美しく、礼儀正しく思いやりのある娘でした。  似た者同士というとおり、母親は姉ファニーを溺愛し、妹ローズにはつらく当たっていました。食事はひとり台所でとらせ

【童話訳】 青ひげ (1697)

フランスの名童話作家シャルル・ペローによる、グリム童話からも削除された恐怖のおとぎ話、挿絵いっぱい教訓詩つき。  あるところに、王さまのような財産持ちの男の人がいました。大きな邸宅をいくつも所有しては何不自由なく暮らしていましたが、ひげが青いせいで「青ひげ」と呼ばれ怖がられ、ずっと独身でした。  青ひげのご近所さんに、りっぱな婦人がいました。婦人には美しい娘が二人いたので、青ひげはどちらかと結婚させてほしいと申し込みました。もちろん姉妹は譲り合います。 「あたし、むりで

【演説訳】 大ドイツ芸術展開催の辞 (1937)

ナチス総統アドルフ・ヒトラーによる、かつて画家を夢見ていた感性が謳う芸術と人間。 芸術に国境はない、と言われてきた。それは国家や民族のものではなく、ただ「時代」のものだと。そうして印象派が、未来派が、キュビスムが、ダダイスムが、昨日から今日へと移り変わってきた。 そこにあるのは「流行」だ。どこの誰の手による制作なのかは関係ない。ただ時代とともに、服装のように、芸術は明日へと向かっている。 「毎年新しいものを!」 そんな号令のもと、奇怪なもの、空虚なもの、盗作、無知が、

【童話訳】 3びきのこぶた (1842)

作者不明、古くからイギリスに伝わる童話。かわいい挿絵たくさん。  むかしむかし、お母さんぶたと3びきのこぶたがいました。育ちざかりの子たちを食べさせるのは大変なので、ある日お母さんぶたが言いました。 「ねえ子供たち、世界は広いのよ。ひとりひとり、自分の力で食べていけるか、やってごらんなさい」  そこで3びきは、自分の暮らしを探しに行きました。 †  一番上のこぶたは、道をトコトコ歩いていたら、ひとりの人と出会いました。藁をかついで歩いてくるので、丁寧にたずねます。

【短編訳】 最後の授業 (1873)

19世紀フランスの自然主義作家アルフォンス・ドーデによる、戦災としての「文化」の悲劇。  朝に家を出たときは、サボろうと思っていた。もう遅刻する時間だったし、まず国語の宿題をやっていない。またハメル先生にこっぴどく叱られてしまう。  暖かくて、空気の透きとおった朝、ツグミが清らかに歌っている。わざわざ行って怒られるより、このままぶらぶらしている方がいいよなあ。  そう思っていたのに、草地のむこうに演習中のプロイセン兵がいたから、急いで学校へ向かった。なるべくそっちを見な

【随筆訳】 大衆、詩人、学者 (1911)

20世紀前半イギリスの辛口ふとっちょ名文家ギルバート・キース・チェスタトンによる、詩心とユーモアあふれる人間観察エッセイ。現代にあふれる「教養俗物」をけちょんけちょんにやっつける。  おおざっぱに言えば、人間は3つのタイプ*にわけられる。  それぞれ重複しがちで、よき大衆が詩人っぽいこともあるし、クソみたいな詩人が学者を気取っている場合もある。およそ分類などあてにならぬものだが、これらは現代の心理学*を補う視点ではあるだろう。その正当性について論じる準備はないものの、少な

【童話訳】 少女とマッチの火 (1846)

19世紀デンマークの巨匠アンデルセンによる、邦題『マッチ売りの少女』の原作。改行済み重訳。  ひどく寒くて雪の降る大晦日です。冷たい夜の街角を、フードもかぶらず裸足の少女が一人、とぼとぼ歩いています。  両足はしもやけとあかぎれまみれです。うちを出たとき靴は履いていました。でもお母さんの靴だったので大きすぎて、昼間に道を渡ろうとして馬車に追い立てられたとき両方とも脱げてしまったのです。たまたまそこにいた少年が右足の方を拾って、 「こりゃめっけもん!」 と持っていってし

【童話訳】 ちいさな赤ずきん (1697)

17世紀フランスのシャルル・ペローによる童話「赤ずきん」原作。「赤」が象徴する残酷物語、挿絵プラス若干おせっかいな教訓詩つき。  むかしむかし、ある村に、ちいさな女の子がいました。それはそれはかわいらしい娘で、たいそう大事にされていました。となり村に住むおばあさんときたら目に入れても痛くないほどの溺愛ぶりで、ちいさな赤いずきんをこしらえてあげたほどです。それがよく似合っていたので、村のみんなはその子のことを「赤ずきんちゃん」と呼んでいました。  ある日のこと、お母さんがパ

【随筆訳】 神秘と創造 (1913)

20世紀イタリアのシュルレアリスト、ジョルジョ・デ・キリコによる、描くこと/書くことへの激励。  ある作品を真に不滅のものとするためには、「人間」から逃れねばならない。論理と常識こそが邪魔なのだ。これらを乗り越えた先には、子供時代の夢と幻の世界がある。  芸術家は、その心の最奥の深淵から出発しなければならない。鳥の声にも葉のかすれ音にも邪魔されないところ、耳にするのは無価値なものだけだ。目を閉じれば幻が鮮やかに現れる。  親しみのある事物、誰かの考え、一般的なもの、よく