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夢現徂徠

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ロマンの織物/澱物
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あくびの中心

 「禍福糾纆」という四字熟語がある。出典は『史記』だったか『礼記』だったか覚えていない、「かふくきゅうぼく」と読む。  「禍」はわざわい、現代日本人の思考力を規定している「Google日本語入力」でもなんとか変換できる。「纆」は縄のこと、「糾」は縄を縒ることを表す。平たく言えば「ソファミ♭ファソソファミ♭ファミ♭レシ♭ド」のこと、御大美輪明宏女史が麗しい鼻母音まじりに囁く「人生プラマイゼロよ」とも言える。  これを基にしたことわざ「禍福は糾える縄の如し」の方がまだ膾炙し

残夏

 黄昏に音割れした『新世界より』が響く。17時だ。何処から鳴っているのだろう、と見上げた目が西日をかすめて思わずくしゃみが一ツ出る。  もう夕方は半袖だと肌寒い。あれほど囂しかったヒグラシも鳴りを潜めた。そろそろ夕涼みもおしまい、明日から散歩は午前中に戻そうかとてくてく行きつつ考える。  けだし「夕涼み」は夏の季語である。暑かった一日の終わりに涼風を迎える慣わしのことだ。蚊取り線香と風鈴のある縁側や軒先が思い浮かぶ一方、「夕涼みに出る」で散歩を表すこともある。  似たこ

イヌと語れば

 犬語が理解できるのなら英語も仏語も独語も古希語も簡体字も忘れてしまって構わない。七面倒なヒトなどもうたくさん、イヌとこそ触れ合っていたいものである。 「雷だあ!」 「ウ●コ中だよ」 「匿ってくれよう!」 「しょうがねえな──」 「オエッこれは無理だ、さいなら──」  実家の柴犬ケンとは意思疎通ができていた。亡き後は種々雑多なイヌの本を読み漁った。代償か埋め合わせか、ますますイヌが好きになった。  しかし言葉は道具、使わねば錆びるものだ。語学は「習うより慣れろ」が肝心で

花と芥のフラグメント

 3月末に母の誕生日がある。大学は春季休暇の終盤、非常勤講師ごとき親不孝者にも暇ができるので、今年も帰省した。  実家にいられるのはせいぜい1週間だ。それ以上になると、戻ってくる気力がなくなってしまう。うまい飯、足の伸ばせる湯船、花木の鮮やかにそよぐ庭、暖かな厚い寝床、──年を経るたび後ろ髪を振りほどくまでが長い。  どうにか去年と同じく18年前と同じく新横浜駅にひとり降り立ったら、上着の裾に桜の花びらが一枚ついてきていた。なァんだ今年は一人じゃないのか、と思うやたちまち

ひび

 気づけば一年のうち最も好ましい2月3月を過ぎるに任せてしまっている。  年末に書いた一悶着のせいで4月から実入りが減るため、大学が休みに入ってからというもの金策ばかりに奔走する日々である。飲まず食わずとまでは行かぬが読まず書かずの貧乏暇なし、我ながら実に情けない。  そうこうする間に侘助は首を落として紅梅は滴り、ついに桜がぽつぽつ吹き出した。年が巡る。また巡る。もう巡る。  霞がかった碧空の下をそぞろ歩いていると、ふと落し穴にでもはまったような、足の竦んでしまう瞬間に

 昔は清少納言を「セイショウ・ナゴン」と覚えていた。字面だけだと区切りがわからず、よくある姓名「二字・二字」がしっくり来た。「今和次郎」という民俗学者を知ったときも「イマカズ・ジロウ」だと思った。「森林太郎」も「シンリン・タロウ」以下略である。  正しくは「セイ・ショウナゴン」、「清」を苗字から取り「小納言」は官位を表す、なにかと比較されがちな「紫式部」と同様の通称(女房名)だ。ちなみに「コン・ワジロウ」は本名、ご存知「モリ・リンタロウ」は森鷗外の本名である。  まさか「

独身者の秋

 昔はキンモクセイが苦手だった。あの甘ったるい芳香が未熟な嗅覚には鮮烈すぎたのだろう、実家近くの土手を通り過ぎるたびウッとなっていた。  今では好きで仕方ない。初秋の醍醐味はもみじ狩りならぬキンモクセイ狩りにありと、それなき秋なんて桜なき春、葵なき夏、六花なき冬に違いないと、ある種モノマニアックな愛着まで覚えている。  いつだったか夢にまで見たほどだ。  起きたら両腕がその枝に変わっていた。ざわざわと葉が繁り無数の黄花がほころんでいる。脚は変わらないからそのまま仕事に出

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魔に逢えば夏の夜は夢

 日差しやわらぎ暦は処暑、あれほど勢力あった蝉時雨もだんだん疎らになってきて、夜は鈴虫がリイリイ鳴きだしている。  首都西方は秋分をしおに曇りがちだが、幾分ましになろうと暑いものは暑い。近ごろ散歩に出るのはもっぱら夕方である。  この時季の夕方はいかにも「魔的」だ。そこなる者は人か鬼か妖か「誰そ彼」と確かめるべき逢魔時は、18時ごろ暮れなずむ今こそ間に合う。妖精乱舞の真夏の夜の夢、これに始まり。  駅の方からやってくる影法師が、ふらり、ふらりと通り過ぎる。うそ寒い気配が

あの堆い積乱雲のむこう

 小学3年か4年かの夏休みの宿題に、「ぼくの・わたしの夢」という作文があったらしい。30年近く前のことだし、先立って母と電話するまでまったく記憶になかった。  まだ31日まで夏休みだった、9月の未成年者自殺率なんて騒がれもしていなかった平成初期、田畑山水に囲まれた母方の祖母の家へ行って、大きな重たい桐の机で、手のひらを真っ黒にして書き上げたという。  その机のことはよく思い出せる。毎年そこで夏冬の宿題にかかっていたからだろう、脚にそれぞれ四神獣(白虎・青龍・玄武・朱雀)の彫ら

Sとの契約

 暑気に澱んだ駅前を抜け、陽炎の揺らぐ路地へと入る。傾けどなお鋭い日差しに眼精疲労の目が沁みて、視界がぼやけて足取りふらつき、ひとまず道端に寄りて木陰に憩う。  やや早めの仕事帰りは午後4時前、酷暑のせいか家々の隙を埋めるは姿なき蝉噪ばかりで、人も車も見かけない。  すぐそこアスファルトの一隅が湿っている。築半世紀はゆうに超えていそうな平屋の前、打ち水の跡だ。いつも早朝から庭木やプランターの手入れに余念ないおばあちゃん、ついさっき遣ったのだろう。  こないだ冷蔵庫が空っ

雨あめ降れふれ母さんが

 例年なら不快ばかり声高に謳われるころ、6月末に誕生日がある。  梅雨は好きじゃない、でも手放しに嫌いとも言えない。曇ぐもりに晴れ間が覗けば洗濯事情だけじゃなく喜ばしいもので、虹まで架かれば命あることの感激ひとしおだ。なにせ重たげな灰白一色の空にも雨だれの透明にも映える、におわしき藤色や葵色の大輪に会える。  この花、英語では学名そのまま Hydrangea という。古代ギリシャ語が起源の直訳「水の器」、他方われらが「紫陽花」は当て字かつ誤記が由来らしい。どちらにせよ字か

王のまなざし

 根が田舎者だからか、多忙になるほど野生に触れたくなる。そこで多摩動物公園を訪った。「東京ドーム10何個ぶん」とか全然ピンとこない広さを誇る、ひと山まるごとえぐった丘陵地帯にそびえる都営の動物園である。  あちこちぶらぶらしながらようやく着いたのは午後4時前、閉園まであと1時間だ。次々ゲートを出てくる遠足の子供、デート学生、家族連れ、中国語、などなど週半ばの平日でも繁盛しているらしい。  さてと園内マップに対峙したら、一点に目が吸いこまれる。  実家で暮らしていた柴犬ケ

花曇りセンチメンタリズム

 語源は「晴る→春」でも朝から白々しい曇天、芥の花びら数多の散る中をあてどなく散歩する。青天を衝かんと伸びて匂わしき桜花この世の春を謳えど、いまやどの木も葉ばかりに。かくもあえなき三日天下よ。  春は桜、夏は蝉、秋は紅葉、冬は雪。四季に「刹那」が欠かせないように、人事一切の辛苦塵労むなしさ悔恨等々もまた邯鄲一炊、夢のまた夢、いずれ消えゆくものなるや。  路傍に茶ばんで干からびる残滓がさとす、わが身世にふるながめせしまに。  あの若葉もその花も、冷たく厳しい冬あってこそ爛

四月の底ゆくフラヌール

 物心ついたころから冬好きなのは確かなのに、年々(主に腰が)寒さに勝てなくなっている。この年明けから三月いっぱいも、仕事を除けば食糧調達くらいでしかロクに外出できなかった。  運動不足のリハブにと、そろそろ歩き出す四月。マンションの階段を下りるだけで腰の左側がジンジンするので、右へ左へあんよは上手、のっそりと、さながら冬眠明けのクマが行く。  そういえば野生のクマって冬ねぐらに篭る前、掌にアリをいっぱい潰してなすりつけておいて、冬眠かたがたそれを舐めては飢えを凌いでいるら