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雨あめ降れふれ母さんが


 不快ばかり謳われる六月末に誕生日がある。

 梅雨は好きじゃない、が手放しに嫌いとも言えない。曇ぐもりに晴れ間が覗けば洗濯事情だけじゃなく喜ばしいし、虹まで架かれば命あることの感激ひとしおだ。なにより重たげな灰白一色の空にも雨だれの透明にも映える、におわしき藤色や葵色の大輪に出会える。

 この花、英語では学名そのままハイドランジアhydrangeaという。古代ギリシャ語が語源で直訳すれば「水の器」、他方われらが「紫陽花」は当て字かつ誤記が由来らしいが、どちらにせよ字からも甲乙つけがたいほど美しい。

 花あるところには愉しみがある。都会に出てきてますます湿気が苦手になったし、物心ついたころから寒い方が身になじんではいるが、この一花あればこそ初夏もまた愛すべき時季である。

クロード・モネ 『花のある庭』 (1900)

 愉しみがないのは誕生日の方だ。四十の悪路が見えてきた絶望のせいではなく、もともと無頓着である。父母を除いて「めでたい」と祝われ贈られた覚えがないからだろう、多感な時期に友人のほぼいなかった弊害はこんなところにも出てくるらしい。

 三十路を行きだしてからは、いよいよ理屈でよろってしまった。刻々と老衰が迫りつつある証をなにゆえ言祝ぐ用があろうか、めでたいのは成人以前の子供だけだ、などなど。まずわざわざ甘いものを食べたくなりもしなくなった。

 自分のものがどうでもよければ他人のものも同様、せっかく日付を教わっても忘れがちだ。それでどれほど痛い目を見てもいまだシェスケジュール帳やスマホなど外部記憶装置を持ちたいと思わないし、もう「誕生日とは喜ばしく祝うもの」という習慣それ自体に関心が失せているような気がする。

 最後にいた恋人(今のところ)は7月14日生れだった。知らされたときは「倍数で覚えやすいな」とか「世界史の観点からも記念日だな」とかうそぶいていたくせ、やはり当日には完全に失念していた。

「今日はなんの日でしょう」
「……バスティーユ牢獄?」

 15日になる間際に着信アリ、地獄をも聾する声色だった。衣食住のこだわり好き嫌い、過去の話、目下の悩み、将来の計画、あれこれすべて覚えていたのに、ただそれひとつきり忘れていただけで問答無用のギヨチン行き、

「大事に思ってない証拠でしょ」

 とかくに人の世は住みにくい。死ぬほど後悔したが、一週間もすれば冷めた。おかげで今も「7月14日」が記憶に定着してしまっている、もはやなんの意味もないのに。

 齢三十七の最後の夜も、一人打ち過ぎるに任せていた。そういえば生まれてからの実家暮らしより上京してからの独居暮らしの方が長くなりつつあるんだな、と寝床に入ってまっくらな中でふと思った。

ウジェーヌ・ドラクロワ 『民衆を導く自由の女神』 (1830)
1789年7月14日を描いたものではない

 あくる当日の朝は、早くも梅雨明けかと「夏来にけらし」のすがすがしい空模様だった。体じゅう渇きに水を撒いたような爽快感がしわしわ満ちてきて、ちょっと遠めのコンビニまで行くかとうきうき歩きだした。

 この爽快感は「善く生きている」という(心のではなく)体の声のような気がする。「早起きは三文の徳」というやつだ。ヴィタミンDや副交感神経うんぬん科学的根拠エビデンスを盲目的に頼っているより、自分の体にこそ耳を澄ませていたいものである。

汝自身を知れ

古代ギリシアの格言

 科学サイエンスだって間違える。もう鎌倉幕府は「いいくに作ろう」ではないのだ。そのくせ天気予報気象学が当たらなかったと悪態をつく輩は後を絶たない。はなから他力本願でいるわが身を呪わず、「てるてるぼうず」を引っ掛けもせず草履を蹴っ飛ばしてみもせず──

タレース (B.C.624-546)
古代ギリシアの哲学者で西洋初の気象予報士
熱中症で死んだとされる

 とかなんとか考えつつ送迎で混みあう車通りを避けて細道へと入ったら、ささやかな歌声が聞こえてきた。

「あめ、あめ、ふれ、ふれ、かあさんが、──」

 女生徒が二人、先をゆうゆう歩いている。もう遅刻の頃合いだろうに慌てた風ひとつなく、恋人のように腕を絡めあい、それぞれ空いている片手に色違いの小型扇風機を持ち、ギターバッグを背負っている。

「ジャノメでおむかえ、うれしいな」
「ピチ、ピチ、チャプ、チャプ、ラン、ラン、ラン──」

 歩調をゆるめて後ろについても、かすれた小声は振り返りもせず、そろって歌いつづける。

「いっつも思うんだけどさ、ジャノメってなに?」
「しらなあい。あめ、あめ、ふれ、ふれ──」
「──かあさんが、ジャノメでおむかえ、うれしいな」

 あるとき左の女子めこが問いかけた。そっけなく応じた相手の左手へ、ちょっとむくれた右手をすべりこませ、また軽やかに連れあいだした。2番を知らないらしくワンフレーズを繰り返しながら、

「ピチ、ピチ、チャプ、チャプ、ラン、ラン、ラン──」

 かそけき合唱が校門のある丘へと曲がっていった。すぐそばに背高く伸びた立葵が二輪、けざやかな朱と白のまじった花弁を色濃い青空へ凛とかざしていた。



ね、忘れないで、純潔!

吉屋信子 







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