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牛歩戦術

2017年、正真正銘の「大学1年生」だった4月、それは急に訪れた。
ベッドから起き上がれない。涙が止まらない。家から一歩も出られない。憧れの大学に胸躍らせて履修登録のボタンを押した授業たちは塵となって消えていって、あの日思い描いていたキャンパスライフはきっと二度と手に入らないことが嫌でもわかった。

──いや、たぶん、決して急ではなかった。
小学校は保健室登校、中学高校は留年すれすれを毎年駆け抜けていて、夜は毎日眠れなかったしご飯も食べられない日は多かった。そういえばめまいで真っ直ぐ歩けない日も確かにあって、当時だって、自分が一般的人間に比べて明らかに精神的な問題を何か抱えていたことには薄々気がついてはいた。
いたのだけれど、「もっと大変な人がいる」「私程度のつらさで病気とされるわけがない」「単に今ストレスがかかっているだけ」と思い込み、その可能性を頭から消しとばしていたのだった。しかし。

「今すぐ精神科に来てください。一刻も早く」
「抑うつ状態でしょう。とにかく今は休んで」
「検査の結果、ADHDの所見がありますね」

押されたのは烙印か背中か。
2017年、私は「病人」として生きることになったのだった。

──という長い前置きを挟みますが、これは私が少しずつ自分を好きになる話です。

さっきの長い前置きを通じて、感じて欲しかったことは2つ。

①私がADHDと抑うつの2つで苦しんでいること
②私にとって2017年が生まれ変わりの年であったこと

私にとって2017年は、「自分のぼんやり続いていた苦しみが、確固たるものに成形された年」でした。
思い返せば幼稚園くらいの頃から、確かにずっとぼんやりとは辛かったんです。でもそれは誰もが抱える苦しみだと思っていた。自分はただそれに耐えられず甘えているだけで、みんな本当は同じくらい苦しいのだと。
──逆に言えば、「私はそれでも普通なんだ」とも思っていました。

でも、2017年、よくも悪くもそうではないことがわかってしまった。

診断がついたから、だけではないです。
起き上がれなくなりました。学校に行けなくなりました。「普通の学生」の枠にもう収まれないほど異常な日々が続きました。診断はそれを後から言葉にしただけ。もう戻れなくなったから言葉にしたし、戻れなくなったから言葉になったんですね。

そんなこんなで「病人としての人生」を始めた2017年ですが、
そこから6年間、私が少しずつ自分を好きになっていく過程を、ここに記録しておこうと思います。

自分が嫌いだった。ずっと

なんで嫌いだったかと言えば、未熟だったからです。

社会に馴染めない。空気が読めない。
嫌いなことを我慢できない。すぐ不機嫌になる、泣く、怒る。
部屋が片付けられない。時間に遅れる。課題を忘れる。
継続的な努力が全くできない。

いや、わかっています。これら全部を完璧にできる人なんて珍しい。もちろん自分が発達障害の影響で人よりこれらが苦手だという要素は多分ありますが、私が必要以上に完璧であろうと必死だったこと、周りから完璧であるよう要求されたことで自分を未熟だと思い込んでいた部分もあるのでしょう。

そう頭ではわかっているけど、自分が許せなかった。あまりにも許せなくて、ナイフで自分を刺し殺そうとしたこともあったほどでした。とにかく憤りと恨みが募っていくんです、幼くて未熟な自分に。
多分2017年のアレは、自分を恨み続ける自分に自分が悲鳴をあげたのだと思います。まあ受験で余計に自分の嫌いなところ突きつけられたしね。

それでも生きていくしかなかったこと

でも知ってますか、自分で死ぬのってめちゃくちゃ難しいんです。

ナイフを胸に突き立てた日、皮膚のすぐ下の血管すらきちんと切れず、ほんの少し血が傷口に滲んだだけでした。どんなに頑張っても力がこもらなくて、自分のことを殺すことさえ満足にできないのかと絶望しました。

朝起き上がれなくて学校を休んだ日、首を吊ろうと思いました。でもどうやって?ロープやネクタイを探してきて、自分の足がつかないほど高くの場所に結んで、それから自分の首に結んで、台を蹴り倒して……起き上がれないほど気力を失ってしまった自分が、そんな複雑な工程を踏めるわけがありません。

やっと外に出られた日、道路に飛び出したら轢いてもらえるんじゃないかと思いました。でもふらふらと道路を渡っていると、どの車もちゃんと止まってくれるんです、当然です。ああ私は殺してもらうことすらできないんだな、当然だな、大体こんなクズ人間のために人を犯罪者に仕立て上げようとするなんて甘えの極地だよな。無理でした。

眠れない夜を過ごして、起き上がれない朝を過ごして、ベッドで天井を見つめながら涙して、「あ、私死ねないんだ」と思いました。

飛べなくても、歩くことはできる

この絶望は、その後も度々私を襲いました。
自分のことが未熟で、どこまでも嫌いだった。死んでしまいたかったし、何よりこんな未熟な人間を殺してしまいたかった。でも、一つずつ理屈を突き詰めていくと、死ぬことはまず不可能だったんです。

そうして自分を追い詰めながらぼんやりと世界を見つめていると、私はいつしかあることにたどり着くようになりました。

完璧であるか、もしくは死ぬか。私は自分に、それしか許せなかった。ひとっとびに、自分という存在を解決させようとしていたんです。

でも、飛べなくてもいいのかもしれない。
一気に美しくなれなくても、一気に全てが解決しなくても、それでも、一歩ずつ歩くことはできるのかもしれない。

一つでいい。
一つでいいからやってみよう。
今の自分ができないことを。

──気づくのが遅いな、と思いました。
きっと世の中の人間は、もっと早くこのことにたどり着いているのでしょう。自分の狭い視野のせいで、私はいつでも自分を追い詰めている。そういうガキくさい自分が私は本当に嫌いで、でも、ちょっとだけ愛おしいと思いました。

1年に1回、私はレベルを上げていく

はい!
お待たせしました!
暗い話終わりです!

そんなわけで、私は2017年から「一歩ずつ歩いて行こうキャンペーン」みたいなものを毎年細々と展開しています。

そんな生まれ変わった私の、歴代目標がこちら↓

2017:とにかく生きる
2018:完璧でなくてもチャレンジしてみる
2019:人と関わる機会を逃さない
2020:将来の夢に向けて踏み出す/泥臭くても諦めない
2021:できるところから自分を美しく
2022:自分で責任を背負う努力をする←NEW!!

達成状況はどうかというと〜……なんと、今のところ全部満点💯
実際にどんなことに取り組んできたかというと、代表的なものがこちら↓

2017:とにかく生きる
→今も生存して記事書いているのが何よりもの答えです。偉かったね〜!
2018:完璧でなくてもチャレンジしてみる
→初めての飲食バイト、怒られながらも店が潰れるまで10ヶ月続けた
→興味のある授業に潜りにいき、ちょっとずつ登校の準備をした

2019:人と関わる機会を逃さない
→アカペラサークルに入ったり、クラスの打ち上げに顔出したり
 このときできた友達とは今でもずっと仲良しです、嬉しい

2020:将来の夢に向けて踏み出す/泥臭くても諦めない
→ライターのインターンを開始(詳しくはこちらの記事で)
→いろんな人の助けを借りて進振り成功👏
→「ずぼらのメガネ」の立ち上げ(詳しくは
こちらの記事で)
2021:できるところから自分を改善
→人間関係を少しずつ丁寧に構築するように意識した
2022:自分で責任を背負う努力をする←NEW!!
→一人暮らしを再スタート、今度は自分でちゃんと生活の準備をする
→レポートやインターンの課題を優先的に取り組めるように意識

こうしてみると本当に頑張ってるな〜、と思います(自画自賛)。

あとがき:とはいえ、人生はそううまくはいかなくて

まあ、残念ながら、自分のことは今でも反吐が出るほど嫌いです。

実は最近もずっと自己嫌悪が止まらなくて、この記事を書こうと思ったのも、その自己嫌悪の隙間にほんの少し日が射したのを捕まえたかったからでした。
こういうふうな角度で見たら、自分のことを好きになれるのではないかと。

忘れたくない。進むのは一歩でもいいこと。一歩でも進めば、前にはいけるということ。
私はこれまで6年間、確かに前に進んできているということ。

生まれ持ったスタートラインがいかに醜く感じられても、その結果前に進んでも進んでも今の自分を好きになれなくても、それでも前に進んだ分だけ、好きな自分に近づけてはいること。
1年でレベルが1つ上がっていくなら、80年かければレベル80にはなれる。

醜い自分を抱えてどうしても生きていかなきゃいけない私が、
唯一この世に希望を持てる方法は、多分この牛歩戦術なのです。


長くなっちゃった! 終わり!

ちなみに、こういうお話が好きな人は、この辺の記事も好きだと思うので、気が向いたら読んでみて↓

★就職できないと思い込んだ日々の話

★推しに恥じない自分になれそうな話

★自分の「努力できない」を打ち壊す話

★4年間で生み出した、自分の一つの集大成


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