だり

どこかにある日常。エッセイを書いています。

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あの子はね、

昨日まで同じグループで仲良くしていた「あの子」たちと、次の日には挨拶すらしない関係になっていた。中学生の頃だ。 当時、学校でそういう類の人たちを度々見かけた。 「あそこ、分裂したらしいよ」 自分には縁の無い話だろうと思っていたけれど、ある日、わたしも「そういう類の人たち」になっていた。 「あの子」を褒めた言葉が次の日には悪口として広まっていて、悪口を言った張本人として同じグループにはいられなくなった。 何がどう伝わってそうなったのかはわからない。 大人になったらわかる

    • 5年前の夏、ソウルにいた。

      終電を逃しかけたのは、学生以来のことだった。終電が近づくにつれて電車の来る間隔が長くなっているせいで、ホームには人が溜まりに溜まっていた。 同じ方向の電車で帰る友人と、そのホームを目指して人混みを掻き分けた。時間がすぐそこまで迫る焦りとは別に、「あ、わたしたち今、学生してる」という謎の高揚感があった。こんな気分なのはお酒のせいもあるのかもしれない。 その時のわたしは、5年前の夏にすっかり引き戻されていた。 生まれて初めて行った外国は、韓国だった。 大学で何となくで選択

      • チョコスコーンの彼女の時代に

        今日は雨予報ではなかったのに、カフェの3階から見た外の世界は、いつ間にか本格的に雨が降っていた。 昨日n回目のビニール傘盗難の目に遭い、これからは如何なる雨の時も、いや、如何なる天気であっても折りたたみ傘を忍ばせておこうと決めた矢先に、油断した。 次の予定まで1時間ほど。どうかそれまでに止んではくれないだろうか。 カフェはソロ活の民で溢れていた。パソコンやノートに向かいながら自分の作業に集中している。 一方でわたしは、こういう状況で周りが気になってしまうタイプだ。10

        • 時代の後ろに隠れてしまったもの

          次の予定までまだ時間があった。 駅前の文房具屋さんにふらっと入ると、入り口のところに春らしいデザインのカレンダーやノートなどが並んだブースが設けられていた。 その中で一際光って見えたのは、満開の桜道が描かれたレターセットだった。その木々に沿って流れる小川と、奥の方には山々が見える。どこかにありそうで幾度の春を迎えても見られなかった風景が、繊細な線と淡い色づかいによって現れた。幾らかの桜の花びらが宙を舞っている。 この便箋には柔らかい春の風が吹いていた。 誰かに手紙を書き

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        あの子はね、

          姉と弟のふたり暮らしが終わった

          窓を叩くような強い雨が降っている。 さっきまでイヤホンから流れていたはずの音楽は、この雨にさらわれたみたいに急に聞こえなくなってしまった。 雨の中に自分だけが取り残された気分だ。 今だから、余計にそう思うのかもしれない。 一緒に暮らしていた弟が、この街から去った日の夜だった。 実家にいた頃、弟と「一緒に暮らした」感覚があったのは小学生までだった。 年齢が近いわたしたちたちは、思春期まで互いの遊び相手であり、泣き喚くほどの喧嘩をする仲でもあった。 そのどちらもが無くなっ

          姉と弟のふたり暮らしが終わった

          小さなラジオパーソナリティ

          実家の前には、祖父母が営む会社の事務所があって、そこは孫たちにとっての遊び場だった。 事務所には、祖父と祖母それぞれのデスクと、もう一つは大きなパソコンがどんと置かれている。 学校から帰ってきた後や、暇な時間さえあればそこにいて、宿題をしたりおやつをつまんだり、パソコンを借りて小説なんかを書いたりしていた。 祖父のデスクのすぐそばには、古いラジオがあった。それは一日中流れていて、地元の訛りで話している番組もあれば、コテコテの関西弁でどこか異国気分を味わわせてくれるものもあ

          小さなラジオパーソナリティ

          あのホテルで、待ち合わせよう。

          帰省する日程を伝えると、決まって祖父は 「またいつものところにしようか」 とランチの予定を組んだ。 地元を離れて7年目を迎える。 上京したての頃、長期の旅行に来たみたいにわたしはずっとその街の外側にいた。部屋もなかなか身体に馴染まなくて、賑やかな実家の声を思い浮かべながら眠りについた。 ここに来たい、という感情だけでわたしはわたし自身を欺き続けた。 部屋の灯りを消すと僅かな光や音さえも閉じ込めてしまう田舎の夜が、夜中に遠くから聞こえる救急車の音や、何語かわからない若者らし

          あのホテルで、待ち合わせよう。

          東京の子たち

          小学生の頃、平日の18時からテレビに食い入るように見ていたのは、Eテレの「天才てれびくん」、通称「天てれ」だった。 そこには、標準語を巧みに話す快活な小学生が何人も映っていた。 同世代くらいなのに、学校にいる子たちよりも口調が随分大人びている。 彼らは「てれび戦士」と呼ばれていた。 わたしの中で最初の、「東京の子たち」だった。 だから、彼らのイメージが東京そのものと結びつくのはごく自然なことだった。 都会で暮らす同世代という存在に感化され、「てれび戦士になる方法」を大

          東京の子たち

          ヘンなの

          実家の朝食は、いつも決まってご飯と味噌汁、ヨーグルトの3品だった。 母が値引き商品として見つけてきた、あるいは父が突然パン屋さんで買ってきた食パンが、ご飯に代わって出てくる週末も時々あった。 そんな中、「何かに代わって」ではなく、プラスαとして登場するメニューがあった。 我々子どもの人気を集めた、朝食のスペシャルゲスト「ハムエッグ」だ。 我が家のコックである母の機嫌が良い時なのか、それとも卵の賞味期限が切れていたのか、出てくるタイミングは謎だった。 パリッと焼いたハム

          ヘンなの

          その他「生きる」についてのすべて

          平日の夜、仕事終わりに街へ繰り出すことは就職して片手に収まるほどしかなかった。 コロナで街から人が消え、「自粛」という言葉に誰もが縛られていた時期に社会人になったわたしは、毎日家から会社に行くことも、仕事終わりに飲みにでも行こうか、ということも経験しないままだった。 会社で気軽にご飯に誘える相手もできず、在宅ワークで8時間誰とも話さないまま一日が終わることもあった。 自ら終わらせなければ終わらないような退屈な日々に早くケリをつけたい。どこかでそう焦る自分がいた。 帰路へ向

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          逃げる、から始まっていた

          大人になって、特にここ数年で顕著に低くなっていったのは、「行動力」の壁だった。 仕事を変えたのも一つ大きかったし、在宅ワークがゆえに、広がらず深まらずな人間関係をどうにかしたくてSNSで新たなコミュニティを見つけたのも、些細かもしれないけれど何かが変わるきっかけになった。そう思っている。 誰ひとりとしてその人の背景がわからない場所に飛び込んでみるのは、簡単なことではなかった。飲んでみなければ、天然水か泥水かはわからない。やっぱりそれなりにリスクはある。 周りにはいない種

          逃げる、から始まっていた

          ちょっと、プラネタリウム行ってみない?

          平日の昼間、わたしはサラリーマンに紛れて牛かつを食べている。 それが今日のはじまりだったらよかった。 新宿三丁目駅から徒歩1分の牛かつ屋は、まだお昼前なのに長蛇の列ができていた。 今日はこのお腹で来てしまったなあ、と思いつつ、それを見越して朝食を少なめにしたことを少し後悔した。 これは並ばないと食べられないものだったのだと悟り、今にもメーターが空腹に振り切ってしまいそうな身体を引きずりながら、わたしはその店を後にした。 有給を1日使って3連休で行くつもりだった友人との

          ちょっと、プラネタリウム行ってみない?

          でも、それはもう一人の俺がやったことだから

          一言で言ってしまえば、彼は魅せ方が上手かった。 彼の周りにはいつも人がいる。 「お前がいないと、アイツとふたりはなんか違うんだよな」と言われる交友関係が存在する。 「君しか」「お前じゃなきゃ」は彼の生活にたくさん散りばめられていて、生徒会、部活のキャプテン、ゼミ長、飲み会の幹事、彼が座る席にはいつもそういった類の名前がついていた。 そんなふうに誰かから求められる彼のことが羨ましかった。 ある時、本人の前でその魅力を語ったら、「そう言ってくれてうれしいよ」と言う割にはあ

          でも、それはもう一人の俺がやったことだから

          地元から車を10時間走らせ、父が東京に来た。

          得体の知れないウイルスが、街を漂うようになってまもない頃、離れて暮らす父から突然連絡が来た。 「お父さん、車で東京行くからな」 行こうと思ってるんだけど、どうかな?というような聞き方をしないところが、あまりにも父らしくて笑ってしまった。 大学最後の年だった。就職先が決まって、あとは何をしてもいい残りの自由時間がぽんと渡された。渡されたのはいいものの、旅行に行ける状況ではないし、まず公共交通機関を使って、この関東圏から出ることすら難しかった。 見えない何かに脅かされるこ

          地元から車を10時間走らせ、父が東京に来た。

          化粧室から出ると道に迷う

          「大人になったら、子どもの時に苦手だったものが食べられるようになる」という体験を最初に迎えたのは、上京してまもない大学生の時だった。 その昔、わたしはお肉がほとんど食べられなかった。今まではなんとか上手く潜り抜けていたのだが、ある時サークルの打ち上げが、ついに焼肉のターンになってしまった。 修学旅行でみんながジンギスカンを食べる中、周りの野菜を漁っていた私にお肉の革命が起きたのはこの時からだった。 「食べなかったら、人生損をする」とはよくいうが、それはこういうことだった

          化粧室から出ると道に迷う

          ポニーテール

          「365日ポニーテール」 小学生の時、自己紹介の「チャームポイント」に書いた一言。 何だかアイドルのキャッチフレーズみたいだ。 けれど、例えばそこに体のパーツだけを書くなんてもったいないと思っていた。 それが唯一無二のものであっても、他の子と被ってしまったら、同じ単語で収めてしまったら、印象に残らない。 何か捻らなければ。 誰かに期待されたわけでも、圧をかけられたわけでもないのに、教室というあの狭いコミュニティの中で、なぜかわたしは爪痕を残そうと必死だった。 クラスのみ

          ポニーテール