その他「生きる」についてのすべて
平日の夜、仕事終わりに街へ繰り出すことは就職して片手に収まるほどしかなかった。
コロナで街から人が消え、「自粛」という言葉に誰もが縛られていた時期に社会人になったわたしは、毎日家から会社に行くことも、仕事終わりに飲みにでも行こうか、ということも経験しないままだった。
会社で気軽にご飯に誘える相手もできず、在宅ワークで8時間誰とも話さないまま一日が終わることもあった。
自ら終わらせなければ終わらないような退屈な日々に早くケリをつけたい。どこかでそう焦る自分がいた。
帰路へ向かう人混みを逆らうように掻き分け、都心行きの電車に飛び乗る。マスク越しでもわかる疲れ切った顔が、いくつも目が合っては通り過ぎた。
太いレールから外れて悪いことをしているような気分になるのは、この国の全体主義的な考えが染み付いてしまっているからだろうか。
ただ、それと同時にあったのは、一週間の大半を家で過ごしてしまっているがゆえの、檻から脱出したかのような喜びだった。
かじかむほどの寒ささえも新鮮で、季節に見合わない「清涼感」という言葉がこの時の自分には合っていた。
明日、東京は雪が降るらしい。
寒い中での待ち合わせが好きだ。
この時期は、挨拶した後の一言目が大体「寒いね」になる。わたしが待ち合わせをする人は毎度同じ人ではないのに、そう口を揃えて言うものだからおかしかった。
そして、自分も息を吐くように言っている。
学生を終えると、友だちと呼べる関係性になるまでが難しい。
「友だち」に綺麗な定義を求めようとするからだろうか。青春を共にした相手を無意識に思い浮かべ比べてしまうのだろうか。
「友だち」になった彼らとわたしを、一体何が引き寄せたのだろう。過ごした時間や若さ、あるいは「あの時間」だけが持つことを許された何か。そんな「特別」なものに思えてならなかった。
人との関係は、ある時あっさりと終わりを迎える。
偶然にも交わった全く別の人生なのだから、その方向が同じであり続けるなんて本当に奇跡なのだと思う。
大人になると、そういうスタンスでいた方が楽だった。
彼女は少し違った。
「いつか」「また」
そういった社交辞令のテンプレを、翌週に実現してしまうような人だった。
出会ってまだ日が浅いことを感じさせないくらい、あれよあれよという間に彼女とその周りにいる人たちが、わたしの生活を彩る存在となっていった。
20代、将来、夢、仕事、恋愛、結婚。
その他「生きる」についてのすべて。
社会に出るまではある程度道順が用意されているから、そのどれかを選べばよかった。
けれど社会に出た途端、そこで線路は途切れる。
この先どこに向かえばいいのか。
その出口で早速迷子になっているのがわたしだった。
「無難」という言葉に吸い寄せられるように、学生の頃に描いていた社会人像とはかけ離れている自分が、このままずっと続いていくようで怖かった。
「悩んでるって言ってたから、一回相談してみるのもいいんじゃないかと思って」
誰かに教えてほしかった。
でも、誰に聞いたらいいのかわからなかった。
そんな時に声をかけてくれたのが彼女だ。そんなふうに世話を焼いてくれる大人に出会ったのは、これが初めてかもしれなかった。
彼女自身も幾度となく相談しているというその人に、これから会いに行く。
もうすぐ彼女が来る頃だ。
見慣れない駅の改札口で、緊張を寒さで紛らわせながらわたしはその時を待っていた。
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