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ポニーテール



「365日ポニーテール」


小学生の時、自己紹介の「チャームポイント」に書いた一言。
何だかアイドルのキャッチフレーズみたいだ。
けれど、例えばそこに体のパーツだけを書くなんてもったいないと思っていた。
それが唯一無二のものであっても、他の子と被ってしまったら、同じ単語で収めてしまったら、印象に残らない。

何か捻らなければ。
誰かに期待されたわけでも、圧をかけられたわけでもないのに、教室というあの狭いコミュニティの中で、なぜかわたしは爪痕を残そうと必死だった。

クラスのみんなが書いた自己紹介は、黒板の反対側の壁に貼り出された。
時には書道、時には絵が飾られるエリアにわたしの自己紹介もちゃんとあった。
右端。出席番号の一番終わり。

やっと自分の作品が世に出たのか。大袈裟だけれど、本当にそんな気分だった。


***

バレー部を辞めて、強制的にずっとショートだった髪を伸ばし始めた。
その頃からだ。ポニーテールをするようになったのは。

理想像があった。それが何に影響されて形成されたものかは忘れてしまったが、高さのあるポニーテールにしたかった。後頭部の一番高い位置から首元までするりと落ちてゆるい曲線を描くそれが、かっこよかったのだ。

次の月曜日からポニーテールで登校することを決めて、ドレッサーの前に座った。小物入れのボックスから髪ゴムと、いつものドライヤーで使うブラシを出してきて、何の見本もなしにひとまず束ねてみる。

当然、数年ショートでやってきたわたしにはできるはずがなかった。最初は母の手を借りながら、けれども本当に自己紹介の通り、毎日わたしはポニーテールで学校に通った。


***

目立つことが好きだった。
目立つ子たちと仲が良かったのもあるかもしれない。
授業中は先生に当ててもらいたくて、前のめりに手を挙げたり、運動会の部活パレードで率先して旗を持ったり、朝会で校歌の伴奏をしたり。
人にちょっかいを掛けに行くことも大好きで、よくいじられてもいた。


うちの小学校は公立だが制服があって、登下校中やイベント行事で外に出る時は、必ず麦わら帽子のような形の黄色い帽子を被らなければならなかった。

帽子と高いポニーテールの相性は最悪で、遠足や修学旅行の写真は全て、ボコッと浮いた帽子を被った自分が写っている。ポニーテールのかっこよさを帳消しにしてしまうほど、絶妙にダサかった。
それでも、当の本人は全く気にしていなかった。
ダサくてもポニーテールができるならそれでいい。

そんなふうに良くも悪くも、あの時は「まんまのじぶん」で生きていたのだ。

でも、そんなふうにいられなくなったのはいつからだろう。
軽やかに風を泳ぐポニーテールよりも、髪を下ろして毛先をくるんと内に巻いたり、外にはねさせてみたり、そういう髪型のほうが合っているかもしれないと思うようになったのはいつからなのだろう。

今日は上げてみようかなと思う日があっても、鏡の前で結んでみると、なんか違う。
型にぴったりとハマった感じがしない。
露わになったうなじが、ただ寒いだけだった。


今の会社に入った初日のこと。
オリエンテーションを行う会場で、自分の番号が書かれた席に座ろうとすると、すでにその隣に誰かが座っていた。
後の同期となるその彼女は、思わず息を呑んで見惚れてしまうほどの高いポニーテールをしていた。
衝撃だった。ほんの一瞬でぐっと気持ちを掴まれてしまった。
それくらい本当によく似合っていたのだ。

帰りの電車でも、あのポニーテールの余韻が頭から離れずにいた。

やっぱり、ポニーテールは自分の中で特別な意味を持つのかもしれない。
持たせている、とも言えるかもしれないけれど。

ずっとそうやって、ポニーテールが似合う向こう側に想いを馳せていたのだと思う。

そして、いいなぁと思うだけではやっぱり足りなくて。いつやってみるかなぁなんて、スケジュールを確かめながら、久しぶりに胸をふくらませていたのだった。

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