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小さなラジオパーソナリティ



実家の前には、祖父母が営む会社の事務所があって、そこは孫たちにとっての遊び場だった。
事務所には、祖父と祖母それぞれのデスクと、もう一つは大きなパソコンがどんと置かれている。

学校から帰ってきた後や、暇な時間さえあればそこにいて、宿題をしたりおやつをつまんだり、パソコンを借りて小説なんかを書いたりしていた。

祖父のデスクのすぐそばには、古いラジオがあった。それは一日中流れていて、地元の訛りで話している番組もあれば、コテコテの関西弁でどこか異国気分を味わわせてくれるものもあった。

この時代はまだスマホがなくて、YouTubeはあったはずだけどパソコンから流そうだなんて考えたこともなかった。
あの空間にはラジオがよく似合っていたから。

流行りの音楽が流れたり、リスナーからのお悩みに答えたり、物語を朗読するコーナーもあった。耳から入ってくる情報だけで知らない世界を想像できるのが好きだった。



すっかり愛着が湧くようになると、聴いているだけでは気持ちが収まらず、ラジオのパーソナリティをやってみたくなった。

こういう時に声をかける相手は、いつも従兄弟の女の子だった。従兄弟の中でお互い唯一の同性で、年齢も近かったから仲が良かった。

ふたりで色んな遊びをした。
父が車から大塚愛の『さくらんぼ』を流してくれて、家族みんなが観ている前で創作ダンスを披露したこともあった。
アニメ『トム・ソーヤの冒険』のツリーハウスに憧れていた時期に、わたしたちの秘密基地だったダンボールハウスは、何度建て替えたかわからない。都度修復すればそれなりに持続するのだけど、最後はいつも雨に打たれて、無惨な姿になっていた。

「ラジオごっこしよう」


それっぽく書いた台本を彼女に持ちかけて始まった遊びは、思いつきの割には長く続いた。
ラジオにはマイクのON・OFFを切り替えるレバーがあって、「カフボックス」というのだそう。そんな本格的なものが近くにあるわけはなく、代わりにカセットデッキの録音スイッチを押して、自分たちの声をテープに収めた。

ひとりがパーソナリティ、もう一人がゲスト。彼女とは交互で役割を代わって、それを一度に3、4周も繰り返していた。不思議と飽きは来なかった。リスナーのメール文を自作するのも楽しかったし、慣れてきた頃には、台本を完全に無視して好き勝手にフリートークするだけの回もあった。

明確なルールなんて必要なかった。
パーソナリティとゲスト、その役さえあればわたしたたちはどこまででも行けた。

もし今その遊びをするなら、枠を決めて無意識にそこから出ないようにするんだろうな。
それも悪くはないんだけど、真っ白なノートに思いのままに描けたあの年のわたしたちが、今はちょっとだけ羨ましい。


その日、わたしたちは祖父母に連れられて大阪まで遊びに行くとこになった。
車の後部座席にふたり並んで、カセットデッキと台本があれば3時間の道のりも退屈にはならなかった。祖父母はよく嫌な顔をせずに聴いてくれたなと思う。

あのカセットデッキはどこへ行ってしまったのだろう。
今聴いたら、支離滅裂な内容だと思うだろうけど、

「〇〇のラジオ、本日のゲストはこの方ーー」

なんて。きっとキラキラしたわたしたちがいて、時々語りかけてくるに違いない。

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