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あのホテルで、待ち合わせよう。


帰省する日程を伝えると、決まって祖父は
「またいつものところにしようか」
とランチの予定を組んだ。


地元を離れて7年目を迎える。
上京したての頃、長期の旅行に来たみたいにわたしはずっとその街の外側にいた。部屋もなかなか身体に馴染まなくて、賑やかな実家の声を思い浮かべながら眠りについた。
ここに来たい、という感情だけでわたしはわたし自身を欺き続けた。

部屋の灯りを消すと僅かな光や音さえも閉じ込めてしまう田舎の夜が、夜中に遠くから聞こえる救急車の音や、何語かわからない若者らしき人たちの話し声、向かいのマンションから溢れる蛍光灯の光に包まれる夜へと変わった。

そんな街で幾千の夜を越えて、わたしの帰る場所はふたつになった。


***


「いつものところ」とは、駅前にあるホテルを指していた。ホテルの前にはこぢんまりとした駐車場があって、いつもベルボーイの格好をしたおじさんが車の案内係をしていた。
ホテルの一階にはカフェスペースがあって、祖父は特にここのランチを気に入っていたのだ。

わたしと同じく上京している弟も同じ時期に帰省しているのだけれど、なぜかいつもその席にはいなくて、祖父と母、わたしの3人だった。


ランチはいくつか種類があって、中でもわたしたちを虜にしたのがサンドイッチランチだった。

週替わりなのか月替わりなのかわからないけれど、具材は行く度に違っていて、ミートローフやサーモン、オムレツなどが多種多様な野菜と組み合わさり、耳がついた状態で4等分に切られてあった。その周りに太めのフライドポテトがこれでもかというくらい乗っていて、ジャンクフード好きのわたしには堪らなかった。

そこにスープとコーヒーがついてくるものだから、ホテルを出る頃には大抵13分目くらいのお腹になっている。「たらふく食べる」とはまさにこういうことだった。

帰省している間、祖父と会うのはこのランチだけではなかった。
親戚が揃って祖父の家でお寿司や鍋をつつくこともあれば、車の練習がてらに祖父の仕事場まで行って少しの間立ち話をすることもある。

わたしたちの会話は、お互い好きな映画や本、祖父の趣味であるゴルフの話か、わたしの近況報告がメインだった。
ファッションにも関心がある人で、この間は新調したチェックのロングコートを着ていくと、「そのコート、えらいハイカラやな」と褒めてくれた。
そこに母が加わっても、同じような会話が成り立った。



サンドイッチが段々とお腹に仕舞われていくのとは反対に、祖父はダムを放流するかのように祖母の話をし始めた。
彼女が生きている間に、わたしは大人になることはできなかった。子どもの遊びに付き合わせた思い出ばかりが残っている。

菩薩のように優しい人だった。
長く生きていてほしかった。


親戚の集まりや仕事場に立ち寄った時、祖父が祖母について語ることはほとんどなかった。

だから、「これいつも持ち歩いてるんよ」と祖父が手元から彼女の写真を出して来た時は驚いた。いつからか彼の中で整理できたことがあったのかもしれない。
写真には体調を崩す前の、わたしのよく知っている祖母が写っていた。

祖父と祖母の旅の話が好きだった。
日本各地の温泉を巡ったこと、アメリカのディズニーランドやユニバーサルスタジオに行ったなど世界の旅の話まで聞かせてくれた。
祖父が生き生きと話す姿を見てホッとして、わたしは祖母に会えたような気持ちになった。

現実から離れた束の間の休憩所。
あのホテルはそんな場所だった。
だから、わたしたちはあの場所で素直になれたのかもしれなかった。


食事を終えて、ホテルのロビーから外に出る。
祖父がこの後、映画館か喫茶店に行くのはいつものことだった。

「まあ、ぼちぼち行けよ」


これもいつものセリフだった。
祖父はわたしの肩をポンと叩いて、車に乗り込んだ。

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