じぶん史(家族のこと編①)
前回の自己紹介の中で
と、書いてから早一週間…
「クド過ぎて、独りよがり過ぎて、しょうもなさ過ぎて、うんざりされないように、ほど良いボリューム&伝え方にしなきゃならん…」
と、ウンウンうなっておりました。
が、しか~し!!!
「それが上手にできるようになってからじゃなきゃダメって、また自分に課して、身動きとれなくさせる、その謎の『セルフだるまさんが転んだごっこ』をいつまで続けるの??」
との声が出てきたので、
まずは一旦、
以前、さめじまみおさんのライティング・ライフ・プロジェクトで書いた
自己紹介を公開することにしました。
当時のカオスっぷり炸裂の文章すぎて、今後、冷静になったら非公開とか、しれっと淡泊な内容に書き換えていくかもしれませんが、
「物心ついた頃から内も外もコンプレックスの塊っぷり」をお伝えするのに必要な気がするので、まる出し&もろ出ししてみます。
今回は子どもの頃の家族とのエピソードです。
家族構成
4人きょうだいの末っ子(13歳&11歳上の姉と4歳上の兄)なのに、1番タテヨコ揃ってるので
「背高いねぇ、他の家族も?」と聞かれるたびに、
「いえいえ、お茶で言えば出がらしなのに、なぜか私だけデカブツなんですぅ」と、10代後半から現在に至るまでよく返してました。
お酒を飲んで職場でも親戚間でも問題を起こす、
にっくき父を皆で疎んじて、
足の悪い身障者だが健常者に負けるもんかと、
自分にも他人にもVery厳しい母の機嫌を損ねないように、幼少期から緊張した日々を過ごしてました。
大学時代に心理学をかじった兄に言わせると、
「我が家は機能不全家族で、
おまえはAC(アダルトチルドレン)で
ピエロを演じて生き延びてきたんだ」
とのことです。
ま、「この世に機能健全家族があるんかい?」とも思いますが。
我が家の鉄板ネタ集
家族が私のことでよくネタにしたことといえば、
◎生まれた時、お前だけでっかくて見た目も違ったから、近所のおばさんが
『このぼこだけ、どうしただい??』
と驚いた(笑)
◎兄は木に生えてたのを拾った。
お前は畑に捨てられてたのをしらないで
耕運機でかんましちゃったから、
こんな顔になった(笑)
◎4才くらいのころ庭であそんでると、
平日昼間に、あまりに図体のデカい子が
間抜け面で遊んでるから、
あのウチの子は知恵遅れの子だと
哀れまれてた(笑)
◎何かにつけて、きょうだいの中で
「栗っ爪」、「あぶら手」、「あぶら足」で
おまえだけお父さんそっくりと言われ、
己の3重苦を密かに恥じてました(泣)
◎念願の男子を3人目でやっと産んだ後での、
予期せぬ妊娠だったから
母は産むか迷ったけれど、
おじいちゃんが
『賑やかなのはいいことだ』と言ってくれたから
産んでもらえたんだ(美談)
と、こんなかんじです。
「この話題で盛り上がる時=家庭内が平和」だったし、「自分の図体や見てくれがこうなんだから、そういうもんだ」と受け容れてたように思います。
家でのわたしのキャラ
私は、家の中と外では、ほぼ正反対キャラだったように思います。
超泣き虫
泣きさえすれば許されると思うなよ!って、しょっちゅう母や姉に怒られてました。でも、超厳しい母と、年も離れて弁も立ちまくりの姉達に対抗できないから、泣くしか無かった…
片づけ苦手、だらしない、ドンくさい
学校ではゴリゴリのマジメ&しっかり者キャラだったけど、家では毎日毎日怒られまくってました
家族イチの食いしん坊&屁こきキャラ
毎晩、母の料理を「お~いし~いよ~♪」と、
錦鯉の長谷川ばりに声を出して伝えて
母がまんざらでもない顔になるのを見て
内心ホッとしてる子どもでした。
面白くって大好きだった叔母が屁こき名人だったこともあってか、
家の中でだけ積極的に「おなら」で笑いを捻出しようと頑張ってました。
こうして振り返ってみて、今の私が思うこと(2023/7/1現在)
約半世紀もの間、
私はみぐさい
私はだらしない
ちゃんとしないとバチがあたる…
と、
「鬼滅の刃」ならぬ「私滅の刃」を
刀鍛冶ばりに鍛え上げてきてしまった私。
その発端には、
心休まらぬ「極度な緊張感」が漂い、
常に張り巡らされた「異常な緊張感」や
「容姿に対する日常的なからかい」が当たり前だった
「刀鍛冶の里(=我が家)」の存在は否めなかった。
親きょうだいも「刀鍛冶」だったと、今、思います。
そして、そのことに長いこと無自覚でもいたし、
セラピーやインナーチャイルドワークで
分かったつもり、癒したつもりになっても、
根深く影を落とし、巣食っていました。
実際、この記事も最初書いた6/30時点では、
「家族に悪気は無かった」とか、
「壮絶な経歴を持つ方と比べれば」とか、
エクスキューズをまくしたてていて
「こんな程度で、家族を恨んでるわけじゃないんです」とまで書いてしまっていました。
でも、そうすることで、
今の私が、あの頃のわたしを無視しているのだと
更なる痛みを負わしているのだと、
今年のソーラーリターンをお願いしたchattomoさんから気づかせてもらいました。
親きょうだいや、
世の中の私より壮絶な経歴を持つ方々に気をつかう以前に、
もっと大切にすべき存在があったのに、
蔑ろにしていたんだと、ものすごくハッとしました。
欲していた安らぎや和やかさとは真逆の
緊張感や不安感や、
容姿や要らない子の惨めさに耐え続けながら、
幼心に「これ(食いっぷりと屁こき)で、母や家の中を明るくさせることが、兄に勝てる唯一の私のとりえだ」と必死だったんだなぁ。
「みぐさいだとか要らない子だとかそんなこと言わないで!!!」って、本当は怒りたかったし叫びたかったはずなのに…
だから今、あの時の小っちゃなわたしが猛烈にいじらしいし、
「今までごめんね。ずっとさみしかったね。いっぱいがんばってきたね。もう、むししないよ。がまんしなくっていいよ。」って、しっかり抱きしめてあげたい。
そう、心から思っているし、その誓いの意味も込めて、このnoteを書き換えました。
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