本当の自分はどこにいるのか
こんばんは。キュイです。
「本当の自分はどこにいるのか。」
ふと突然、そんなことを思いました。
「本当の私ってなんだろう」と、よく色々なところで聞くと思います。
私もよく聞くし、割とありきたりな文字ですね。
でも、よくよく考えると、確かに、私ってなんだろうと思います。
「私」という人間はどんな人物なのか。どんな人なのか。性格なのか。
自分でもよく分からないし、知らないのかもしれません。
なぜそんなことを思ったのか。
本当に突然、ふと私の性格について思いついたんです。
私の性格、人格って、どれが本当なんだろう、と。
きっと、昔から顔を使い分けてるのかもしれません。自然と。
自分ではそんなつもりはありませんが、家族の前、友達の前、男性の前、他人の前など、色んな場面で顔を使い分けているのかもしれない。
他記事で私のことについて書いていますが、幼少期から色々と人の顔を伺うような過ごし方をしてきました。
虐待等ではありませんが父親の性格上、何かに怯えるクセがついていたのかもしれません。
よそではいい顔をして、家では態度がでかい、みたいな。いわゆる内弁慶ですね。
よそでも、他人や友達、男性とそれぞれで顔が違うため、本当の私はどれなのか分かりません。
それは今でも同じ。
私の持っている顔。
当たり障りのないよう、一般的な上辺だけのふるまいをする顔。
少し女を出したような、出せてないような顔。
気を許し、少し明るいけど、本音は隠す顔。
相手に同調し、適当に流す顔。
おかしな態度や、間違ったことが許せない、正義感のある顔。
他人には一切興味がない、ツンとしたきつい顔。
母親であり、厳しい顔。
家族なのに、どこか上辺だけの顔。
まったくどうしたらいいか分からない顔。
言い出したらキリがないほど、色んな顔が出てきます。
これは、きっと生きていたら誰でもある顔たちなんでしょう。
でも、ふと思ったんです。
私の顔はどれが本当なのか。
私は、普段基本的には、上辺を取り繕って生きています。
自分の性格が怖いんです。
私の性格、恐らくとんでもなくひどい。
口が悪く、悪態もつくし、自分勝手で自己中。間違ったことは絶対に許さない。
だから、地で行くと恐らく人との付き合いはできないのです。
私の上辺を取り繕う姿は、どうやら上手くいっているようで、なんとかやってます。
なんとか、人の波を渡ることができてるようです。
でも、やっぱり自分の性格は怖い。
年を取るごとに、父に似てきているのではないかと不安になります。
父は虐待等ではなく、昔はよくあった一般的な頑固親です。
まぁ、外で騒げばビンタなどはよくあったものですね。今では虐待と騒がれますが、私の子供のころは普通なことでした。
でも、大人になって、いざ父の性格を見ると、やはり変だなと思うように。
普通じゃない、というか、人としてやっぱり変というか。
1人が長いとこうなるんだ、とも思いましたが、母は昔からそうだと言っていたので、元々なのかな。
だからこそ、私自身もそうなるんじゃないかと怖くて。
一番最初に付き合った彼も、私自身は素を出し過ぎて我儘すぎたなと後悔しました。
こちらから別れを切り出しましたが、きっとあちらもそれで良かったんじゃないかと思います。
このことも、私が自分を隠すことになった理由の1つかもしれません。
やはり、素を出し過ぎるのはよくないと。
結局、慣れてくると素が出てしまうのですよね。
実際、主人にも最初は上手く隠していましたが、やはり一緒に過ごすようになり、どんどん素は出てしまいます。
でも、そんな私のことも受け入れてくれている。ありがたいです。
でも、アマノジャクなもので、1度そういう態度になっちゃうと、戻すのが大変で。。。
急に丸くなったと思われるのもなんか恥ずかしくて。
そんな変なプライドは取っ払いたいところです。
そんな私は、今は本当にひどいもので。
ついイライラして怒る日々が続いています。
子供にも嫌な思いをさせていると思います。
いやだいやだ。私だってなんとかしたい。
いつもならすぐに仮面を被ることができるんですが、これが家族ってことなのか。
家族には中々、自分を隠すのって難しいですね。
でも、やっぱり私自身がどれなのか分かりません。
例えば1人でいるとき。
色々妄想とかってしますよね。
その中の私は、ものすごく明るいんです。
作ってる私じゃなくて、恐らく本当の私。
明るくて、ひょうきんで、面白い。
え。それって結局、1人でいるときが本当の私ということなのか?
それはそれで悲しいですね・・・。
でも、これがきっと本当の私のはずなんです。
この顔の自分なら、きっともっと受けれいてもらえる気がする。
でも、この自分を出そうとすると、外では演技のようになってしまうんです。
そこで思いました。
私は普段から、肩に力が入っている、と。
人と接するのに、気合が入りすぎていると。
過去のトラウマから、人と接する、話すこと自体が私にとってはある意味試練で、常に気を張っているんでしょう。
だからこそ、私は本当の自分を出すことはできない。
1人でいるときの私は、私だけが知る私。
でもそれが私のはずなのに。
その私は、世間には出れない。
なんてもどかしいんだろう。
「トラウマ」というのは、ずいぶんと厄介ですね。
自分自身を永遠に自分の中に閉じ込めてしまう。
こんなトラウマは抱えたくなかったものです。
自分ではそんなに大きなものと捉えていませんでしたが、いざこうなってくると、面倒だなと。
肩の力を抜いた、本当の私で勝負してみたい。
でも、それがなかなかできない。
だって、性格上難しいんです。
ある程度関わってきた方に、突然素の私が登場。
恥ずかしいんです。なんで急に変わった、と思われるのが。
知り合ってすぐだったら、全然いいんですけどね。
だから、コミュ力の高い方がとても羨ましいんです。
最初から明るい方が本当に羨ましいし、どうしたらそうなるのか教えて欲しいくらい。
自分を隠す仮面って、色んな種類があるのかもしれないですね。
私は暗い方向に隠すけど、明るい方向に隠す人もいるんでしょう。
いいなぁ。明るい方。
きっと、本当の私を表に出すことができていたら、違う世界が広がってたと思います。
なんでこんな風になっちゃったのか。
トラウマの種類というのもあると思いますが、私は正直ハズレのトラウマ引いちゃったのかも。
でも、私は希望も持ってるんです。
いや、正確には持った、かな。
色んな出会いがあって、私の生きがいや生き方が新しく見つかりました。
やりたいことや、やれそうなこと、私が変われると分かったこと。
たくさんの発見がありました。
だから、私はまだこれからいろんなことができるし、変わることができる。
そう教えてくれた人たちがいました。
だから、私はこれから努力してでも、自分を変えたいと思います。
30半ばにもなって、何言ってるの、と思うかもしれないけど・・・。
やっぱり、私は自分の父のような人間にはなりたくない。
毎日、笑顔で溢れた暮らしをしたい。
自分の努力でなんとかできる。
前を向いて、本当の私を探そうと思います。
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