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名古屋市御所町の神風串呂5(№146)

💟ご挨拶

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、「中部国民道場(名古屋市御所町)を基点とした神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。




1、悠久にして荘厳、遠大なる神風串呂

神皇正統第百代・大宝天皇の御座所跡である豊田市黒田町仲根の「卍正壽寺」と中部国民道場の在った名古屋市御所町とを結ぶ串呂をご紹介します。

大宝天皇の在世時代(1394年~1481年)と三浦芳聖の在世時代(1904年~1971年)は、およそ500年間の隔たりがありますが、この神風串呂は、その500年間の時を感じさせないような、悠久にして荘厳かつ遠大なる神風串呂です。

歌垣山市子殿町御衣野天子ヶ岳という国内唯一の地名が4個串呂しています。串呂主宰神のご苦心とご配慮を偲ばせる神秘的で驚異的な神風串呂です。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、天子ヶ岳と中部国民道場との神風串呂

三浦芳聖は、天子ヶ岳(静岡県富士宮市)と中部国民道場(名古屋市昭和区御所町2丁目9)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。

歌垣山(能勢町)-大宝(栗東市)-市子殿町(東近江市)-御衣野(桑名市)-中部国民道場(名古屋市)-卍正壽寺(豊田市)ー天子ヶ岳(富士宮市)(*草津市大宝は栗東市大宝と訂正しました。)

(三浦芳聖著『神風串呂の解明』36頁/1965年1月発行、新住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「歌垣山」ー「大宝」ー「市子殿町」ー「御衣野」ー「中部国民道場・名古屋市御所町」ー「卍正壽寺」ー「天子ヶ岳」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)歌垣山(うたがきやま、大・豊能郡能勢町倉垣、554m)
この地名は、神皇正統第百代・大宝天皇の御製(和歌)が、この串呂上の「卍正壽寺」に存在していることを表わす地名です。国内唯一の地名です。

歌垣山
歌垣山(大・豊能郡能勢町倉垣)(地図マピオン)

【参照】大宝天皇の御製については下記の串呂を参照ください。
🟡大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 (№8)
🟡大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 2(№10)

【参照】『ウィキペディア(Wikipedia)』歌垣山

(2)大宝(だいほう、滋・栗東市綣)
神皇正統第百代大宝天皇(美良)を表わす地文です。大宝公園内に大宝神社があり、同地区に大宝郵便局、大宝小学校、大宝幼稚園があります。

【参照】大宝天皇(美良)

栗東市大宝
大宝(滋・栗東市綣)(地図マピオン)

(3)市子殿町(いちことのちょう、滋・東近江市)国内唯一の地名
市の子を表わす地名で、殿は敬称です。芳聖が三浦市次郎の子供である事を表わす地名です。愛知県西尾市の市子いちご町と同様です。

三浦芳聖は、父・三浦市次郎(明治7年甲戌・1874年生れ)は、大宝天皇(応永元年甲戌・1394年生れ)の再現(同魂同霊)と述べています。

この「歌垣山」ー「大宝」―「中部国民道場」―「卍正壽寺」ー「天子ヶ岳」の大宝天皇に関係深い串呂上に「市子殿町」が存在する事は、上記の事と関連があると思います。

【参照】三浦芳聖伝 14、日曜院の住職時代(3)(№128)

市子殿町(滋・東近江市)(地図マピオン)

(4)御衣野(みぞの、三・桑名市多度町)国内唯一の地名。
倭建命にゆかりの地。御衣野地内に「⛩草薙神社」が存在します。

この御衣野は、この串呂上の「黒田の卍正壽寺」にある大宝天皇の遺品(御着物)を表わす地名ではないかと推察致します。

御製の短冊、写経、硯石などが遺っているくらいですから、ある時期まで、大宝天皇の御衣(御着物)が遺っていたのではないかと思います。

芳聖は『大宝天皇の「御衣」を納めて「菩提塚」とせられたものがある証拠があります。』と述べています。(三浦芳聖著『神風串呂』昭和39年7月発行、22頁)

御衣野
御衣野(三・桑名市多度町)(地図マピオン)

【参照】当地は倭建命が大和から東国へ東征の折り、尾津岬に立ち寄って、一振りの太刀を置いて旅だった。 その後、帰途にこの地に立ち寄った所、松の木にかけておいた太刀が、そのまま残っているのを見て、感激した。「草薙神社(尾津神社)」より要約

(5)中部国民道場跡(名古屋市昭和区御所町2丁目9)
昭和10年(1935年)1月1日に創立された三浦芳聖の道場兼住宅。芳聖は、この道場を拠点にして皇国維新運動に邁進する傍ら、朝夕神道祭祀と門人の養成に励んだ。

中部国民道場は、昭和20年(1945年)1月3日の米軍機による爆撃で全焼しました。

名古屋市御所町は、この串呂上の「卍正壽寺」が、大宝天皇の御座所(御所)であった事を表わします。現在、御所町は御器所町に吸収され消滅しましたが、御所町公園に御所町の名が残っています。

昭和区御所町
中部国民道場跡(名古屋市昭和区御所町2丁目9)(地図マピオン)

御所町時代の三浦芳聖の歴史
昭和5年(1930年)10月、名古屋市中区御器所町字中屋敷12番地に住居。
昭和6年(1931年)4月1日、御器所町の一部が中区御所町と改称。
昭和6年(1931年)12月9日、中区出口町2丁目34番地に転居。
昭和10年(1935年)1月1日、中区御所町に中部国民道場を創設。
昭和12年(1937年)10月1日、 昭和区御所町となる。
昭和20年(1945年)1月3日、米軍機の爆撃で全焼、豊川市萩村へ疎開。
昭和46年(1971年)3月30日、三浦芳聖帰幽。
昭和47年(1972年)8月1日、御所町消滅。

この御所町時代の歴史を見ると、名古屋市御所町は、まるで三浦芳聖の為に出来、用が済んだら消滅したように思われ、串呂主宰神のご配慮のほどが偲ばれます。これも「神風串呂史観」を立証するよい資料だと思います。

(6)正壽寺(しょうじゅじ、愛・豊田市黒田町仲根24)
神皇正統第百代・大宝天皇(美良)が写経された「大般若経六百巻」の一部、御製の短冊、硯石などの遺品(御物)が存在している寺院。

この串呂に依って、「卍正壽寺」は、大宝天皇の御座所であった事、上記の遺品が大宝天皇の御物(御衣野)である事が昭示されています。

画像9
大宝天皇が念書された大般若経六百巻の一部
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大宝天皇ご愛用の硯と、ご親筆の短冊 
題 「真弓月」ほのぼのと明けゆく空を眺むれば  月ひとりすむ西の山かげ 

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』318頁2の写真版)

豊田市黒田町
正壽寺(愛・豊田市黒田町仲根24)(地図マピオン)

(7)天子ヶ岳(てんしがたけ、静・富士宮市上柚野)国内唯一の地名。
天子ヶ岳は、天子(天皇)を表わす地文。天子(天皇)を昭示(あるいは鑑定)する重要串呂起点。

「大宝」ー「名古屋市御所町」ー「卍正壽寺」ー「天子ヶ岳」と、豊田市黒田の「卍正壽寺」が、大宝天皇の御座所であった事を昭示しています。

🟡この地名が富士山麓(富士宮市)にあることに注意して下さい。大御神(静岡県駿東郡小山町)と同様に富士王朝ゆかりの地名だということです。

天子ヶ岳
天子ヶ岳(静・富士宮市上柚野)(地図マピオン)

【参照】「天子ヶ岳」に関する神風串呂
🟡尊良天皇皇后「清子姫」を 昭示する神風串呂(№22)
🟡御正体山と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂(№31)
🟡天子ヶ岳と興国天皇御陵の神風串呂 (№55)


4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「歌垣山」ー「大宝」ー「市子殿町」ー「御衣野」ー「中部国民道場・名古屋市御所町」ー「卍正壽寺」ー「天子ヶ岳」

黒田の「正壽寺」は、大宝天皇の御座所(御所)であり、同寺の遺品が間違いなく大宝天皇の御物である事を昭示すると共に、中部国民道場長・三浦芳聖は、大宝天皇(美良)の直系皇孫で、三浦市次郎様は大宝天皇の再現であり、名古屋市御所町で誕生した三浦敏正(起義・ゆきよし)様は、大宝天皇の再現である事が昭示されている神秘的な神風串呂です。

永享10年(1438年)、大宝天皇は、愛知県岡崎市切越町に隠棲し、爾来満16年間、大般若経六百巻を念書し、皇威の回復を熱祷祈願されました。

享徳3年(1454年)、この熱祷祈願が成就し、日本神界より、この世に派遣された「三浦芳聖」が、この串呂上に「中部国民道場兼住宅」を建築したという、悠久にして荘厳かつ遠大なる串呂主宰神の神計りを垣間見る事のできる、神秘的で驚異的な神風串呂です。


5、名古屋市御所町の神風串呂(まとめ)

名古屋市御所町の神風串呂1(№142)
「神懸通」ー「三浦芳聖の母・元子の墓」ー「太神山」ー「御在所山」ー「中部国民道場」ー「聖岳」

名古屋市御所町の神風串呂2(№143)
「⛩金崎神宮」ー「矢合」ー「中部国民道場」ー「三浦芳聖降誕地」

名古屋市御所町の神風串呂3(№144)
「三浦」(紀北町)ー「御麻生薗町」ー「中部国民道場」ー「三浦山」

名古屋市御所町の神風串呂4(№145)
「三浦」(八頭町)ー「御祓山」ー「鈴ヶ岳」ー「天照」ー「中部国民道場」ー「月」ー「⛩草薙神社」

名古屋市御所町の神風串呂5(№146)
「歌垣山」ー「大宝」ー「市子殿町」ー「御衣野」ー「中部国民道場・御所町」ー「卍正壽寺」ー「天子ヶ岳」

宗心と三浦起義様出生地(名古屋市)との神風串呂
宗心(香・東かがわ市入野山)ー大宝(愛・海部郡飛島村)ー三浦起義様出生地(名古屋市御所町2-9)ー生子(茨・坂東市生子)


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💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
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🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)


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🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

💟皆様方の御支援をお願い致します!
読者の皆様方のご支援に感謝しています!現在、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。一日も早く完成したいので、今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。

🟡前号(№145)
🟢次号(№147)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。