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御正体山と三浦芳聖家との神風串呂(串呂哲学研究ノート№31)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「御正体山と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

1、御正体山は、何者か?を鑑定する串呂起点

皇大神宮内宮、石清水八幡宮、多賀大社、御在所山、と重要串呂起点から「三浦芳聖晩年の住所」への串呂をご紹介して参りました。

今回は「御正体山(みしょうたいやま)」から「三浦芳聖晩年の住所」への串呂をご紹介します。「御正体山」は、その正体を鑑定する地文で重要串呂起点です。国内唯一の地名(山岳)です。

正体とは、「隠されているそのもの本来の姿、本体」のことで、「正体を現す」「正体不明の怪人物」などと使用します。御が付くのは「その対象は、やんごとなきお方」ということです。串呂は地文による皇統正史です。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、御正体山と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂

三浦芳聖は、八大串呂起点のひとつである、その正体を鑑定する「御正体山」(山梨県都留市)と三浦芳聖晩年の住所(愛知県豊川市諏訪二丁目)とを串線すると下記のような串呂になると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

高甲良山」(田辺市龍神村)-「新田」(多気郡)-「三河吉野朝・御津府御所」-「ありし日の三浦芳聖家」(豊川市)-「大和地区」(豊川市)-「新開」(浜松市)-「京丸」(浜松市)-「勘行峰」(静岡市)-「天子ヶ岳」(富士宮市)-「御正体山」(都留市)-「八王子市」(東京都)-「大和地区」(和光市)-「神生」(つくばみらい市)-「大和名」(行方市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』55 頁。現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「高甲良山」-「新田」-「三河吉野朝・御津府御所」-「ありし日の三浦芳聖家」-「大和地区」-「新開」-「京丸」-「勘行峰」-「天子ヶ岳」-「御正体山」-「八王子市」-「大和地区」-「神生」-「大和名」

【地文の解釈】地文に地図がリンクしています。北方から解説しています。
(1)大和名(おおわな、茨・行方市小貫)

大和名
大和名(茨・行方市小貫)(MapFan地図)

大和と名づける。大和と名乗った。国内唯一の地名。和光市丸山台大和地区、豊川市豊津町大和地区とで大和三串の絶対確証の神風串呂を構築。

(2)神生(かんのう、茨・つくばみらい市)

神生(かみうみ)=神々の生成の意味。『古事記』には、天照大神とスサノオ命との間に、三女神、五男神(八王子)が生まれたことが記されている。三浦芳聖も五男三女を神生みし(儲け)た。

この神生(かみうみ)には、いろんな解釈が可能だ。三浦芳聖は「私は五男三女子の八人の子を生んだが、門人多数を浄化して神生みをすること」と解説している。浄化とは、霊性の向上の意味です。

【中級編】そのほかに、三浦芳聖には霊統の御子と呼ばれる子供が何人も有りました。これについては、機会が有りましたらご紹介します。古事記の「吹きうつる息吹きのさぎりになりませる神のみ名は」にちなんで、串呂では佐切(さぎり)、大神子(おおみこ)という地文があります。

(3)大和地区(やまと地区、埼・和光市丸山台)
行方市の大和名、豊津町の大和地区とで大和三串の絶対確証の神風串呂を構築。大和中学校、大和伸管所、西大和団地などに大和の地名が残っている。

1943(昭和18)年4月1日~1970(昭和45)年10月31日 まで存在した大和町(やまとまち)が和光市と改称された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』和光市(歴史、近代以降)

(4)八王子市(はちおうじし、東京都)
八人の皇子、またはたくさんの皇子の意味。古事記「天の安の河の誓約」では五男三女神が生まれている。三浦芳聖も「五男神、三女神および霊統無数の神生みをした」と述べている。

(5)御正体山(みしょうたいやま、山・都留市大野)

御正体山
御正体山(都留市大野)(地図マピオン)

御正体山は、その正体を鑑定する重要串呂起点で、御正体山という名の山は日本で唯一、ここだけです。『ウィキペディア(Wikipedia)』御正体山

正体とは、「隠されているそのもの本来の姿、本体」のことで、「正体を現す」「正体不明の怪人物」などと使用します。御が付くのは「その対象は、やんごとなきお方」ということです。串呂は地文による皇統正史です。

【参照】御正体山に関する神風串呂
大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 (№8)
「大日山」-「九重」-「切越」-「卍寺野薬師堂」-「御正体山」-「卍新井薬師」

(6)天子ヶ岳(てんしがたけ、1330m、静・富士宮市)

天子ヶ岳
天子ヶ岳(静・富士宮市)(地図マピオン)

天子=天皇をあらわす地文。また、いかなる天皇かを鑑定する串呂起点でもある。

【参照】「天子ヶ岳」に関する神風串呂
ア、尊良天皇皇后「清子姫」を 昭示する神風串呂(№22)
金ヶ崎神宮-清子-天子ヶ岳-毘沙門-尊房

イ、天子ヶ岳と興国天皇御陵の神風串呂 (№55)
高千穂神社-牧平大門-興国天皇御陵-天子ヶ岳

(7)勘行峰(かんぎょうのみね、1450m、静岡市葵区奥仙俣)

勘行峰
勘行峰(静岡市葵区奥仙俣)(地図マピオン)

鑑行(かんぎょう)を表わす地文で、行(行い・修行)を鑑定するの意味。三浦芳聖は、御祖大神(みおやのおおかみ)により、常にその行いが鑑定されていた。そのバロメーターは天候気象であった。

(8)京丸(きょうまる、静・浜松市天竜区春野町小俣)

京丸3
京丸(浜松市天竜区春野町小俣)(地図マピオン)

京丸は、松良天皇の隠棲地のひとつで、この神風串呂は実証の串呂である。地文としては、「京」に「皇居のある土地。みやこ」の意味がある。

元中5年(1388)、足利義満率いる15万の大軍の猛攻に遭い、富士の皇居が落城したため、遠州京丸(浜松市天竜区春野町小俣)に集結して隠棲していた。「小俣(こまた)は不便で困(こま)ったの意味」。

応永元年(1394)遠州京丸で、第一皇子の美良親王(大宝天皇)が降誕し、皇太后が崩御した。(三浦家系譜)

【参照】京丸(静岡県浜松市天竜区春野町小俣)

(9)新開(しんかい、静・浜松市天竜区龍山町瀬尻)
新しく開く。蒙塵中の神皇正統家を新たに再開する。

(10)大和地区(やまと地区、愛・豊川市豊津町)
行方市の大和名、和光市の大和地区とで大和三串の絶対確証の神風串呂を構築。大和地区には「大和保育園」「大和公民館」「大和ちびっ子広場」「大和水源地」などに大和の地名が残っている。

1920年(大正9年)8月1日 豊津村と橋尾村が合併し、大和村となる。1954年(昭和29年)4月1日 宝飯郡一宮村に編入、その後、豊津町と改称された。

【参照】『ウィキペディア(Wikipedia)』大和村  (愛知県八名郡)

(11)ありし日の三浦芳聖家(愛・豊川市諏訪二丁目)

三浦家
三浦芳聖晩年の住所(愛・豊川市諏訪二丁目)(地図マピオン)

三浦芳聖は、昭和25年(1950)8月13日より昭和46年(1971)3月30日に帰幽するまでの約20年半、豊川市市田町諏訪林三十七番地(豊川市諏訪二丁目)に居住し、神風串呂講究所を開設し、神風串呂を解明し公表した。

三浦芳聖終焉の地でもある。 詳細はこちらを参照ください。

(11)三河吉野朝・御津府御所(豊川市御津町御馬長床・下佐脇御所)
三河吉野朝の後村上天皇、長慶天皇の「御津府御所」をピシンと貫通しています。

(12)新田(しんでん、三・多気郡大台町)
新たに田を開発する。蒙塵中の神皇正統家を新たに再開する。

(13)高甲良山(たかこうらやま、和・田辺市龍神村)1131.4m

高甲良山
(和・田辺市龍神村)(地図マピオン)

尊良親王(実は天皇)とその再現・三浦芳聖を表わす地文。国内唯一の地名。

尊良天皇は、嘉元2年(1304年)甲辰・8月8日御降誕。「龍神村の高甲良山」は、甲辰年生まれの高良(尊良)で、尊良天皇を表す地文。尊良天皇の再現・三浦芳聖は、明治37年(1904)9月17日、甲辰・陰暦8月8日降誕。

【参照】高甲良山の詳細はこちらを参照ください。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「高甲良山」-「新田」-「ありし日の三浦芳聖家」-「大和地区」-「新開」-「京丸」-「勘行峰」-「天子ヶ岳」-「御正体山」-「八王子市」-「大和地区」-「神生」-「大和名」

「甲辰年の尊良親王の再現・三浦芳聖の御正体は、蒙塵中の神皇正統家を新たに開く大和の天子であり、八皇子を神生みした。」と解読します。「大和」三串の絶対確証の神風串呂です。

「三浦芳聖晩年の住所」-「天子ヶ岳」-「御正体山」-「神生」

神風串呂は、神々から日本民族へのメッセージです!本来の日本民族として蘇るにはどうしたらよいかを認識するためのメッセージです。その為には串呂の主宰神が長年月掛けて串呂を構築した目的は何かを理解しなければなりません。

神風串呂の主宰神である「⛩皇大神宮内宮の神々」を始めとする日本神界の神々は、いつか真実が分かるであろう。武力を用いることなく、平和裏に、神皇正統の天皇が、万人に認められる日が来ることを願って串呂を構築されたのだと思います。


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🟠神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志 著)
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🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。