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天子ヶ岳と興国天皇御陵の神風串呂(№55)

この記事は、神皇正統家しんのうしょうとうけ極秘伝ごくひでん神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
 
串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
 
串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。 
 
ここでは、「静岡県富士宮市の天子ヶ岳と愛知県岡崎市明見町の宮崎山伝正院裏山にある興国天皇御陵との神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう! 
 
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。 




1、猿田小高陵を索めて

五皇一体の八幡大明神としてこの世に派遣された「三浦芳聖」の業績のひとつに、南北朝時代の動乱の中で、不明となっていた遠祖の終焉の地を探索し御陵墓を制定した事があげられます。

中でも、ほとんど手掛かりの無かった、長慶院法皇、小室門院元子内親王、興国天皇、松良天皇の終焉の地は、三浦芳聖の必死の探索活動と超能力と天佑神助なくしては、制定することは不可能であったと思われます。

この中でも、なかなか制定できなかったのが、興国天皇の終焉の地で、三浦家の系図には「猿田小高陵に葬る」と書かれてあっただけで、候補地はあったものの、制定は難渋を極めました。

この困難の壁を突破したのが神風串呂による解明でありました。

今回は、猿田二串の「天子ヶ岳」と「興国天皇御陵」とを結ぶ神風串呂をご紹介します。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、天子ヶ岳と興国天皇御陵の神風串呂

天子ヶ岳
静岡県富士宮市の天子ヶ岳(地図マピオン)

静岡県富士宮市の「天子ヶ岳」と愛知県岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院」裏山にある「興国天皇御陵」の神風串呂をご紹介します。

三浦芳聖は大著で、神皇正統の皇位継承があったかどうかを鑑定する重要串呂起点である天子ヶ岳(静岡県富士宮市)と興国天皇御陵(愛知県岡崎市明見町田代・宮崎山伝正院裏山)とを串線すると次の様な神風串呂になると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第三章

高千穂神社」(高千穂町)-「猿田」(日高村)-「牧平大門」(岡崎市)-「興国天皇御陵」(岡崎市)-「一色」(新城市)-「天子ヶ岳」(富士宮市)-「下加納」(河内町)-「古高」(潮来市)-「猿田」(鹿嶋市)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』133頁、現住所に改めました。)

【地文のみ掲載】 
「高千穂神社」-「猿田」-「牧平大門」-「興国天皇御陵」-「一色」-「天子ヶ岳」-「下加納」-「古高」-「猿田」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)高千穂神社(たかちほじんじゃ、宮崎県西臼杵郡高千穂町)
日本神話の天孫降臨で有名な神社。

【参照】『ウィキペディア』高千穂神社

(2)猿田(さるだ、高知県高岡郡日高村沖名)

画像3
高知県高岡郡日高村沖名 猿田(goo地図)

日本神話の天孫降臨の条に出てくる「猿田彦」を表わす地名。三浦家の系図には興国天皇は「猿田小高陵に葬る」と記されたありました。他の猿田とで、猿田二串の確定立証の串呂を構成しています。

(3)牧平大門(まきひらだいもん、愛知県岡崎市牧平町)
大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。

牧平大門
愛知県岡崎市牧平町大門(地図マピオン)

この牧平大門には「豊富神社」があり、主祭神は「白鬚神社」から勧請した「猿田彦命」で、三浦芳聖の子供の頃は祭礼時には、「小松白鬚大明神」の幟旗を立てたと述べています。

【参考】三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年(1454)愛知県岡崎市牧平町大門に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称されました。牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵もうじんの地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

【参照】牧平町大門についてはこちらをご覧ください。

(4)興国天皇御陵(こうこくてんのうごりょう、愛知県岡崎市明見町田代宮崎山伝正院裏山)

興国天皇御陵は、岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院」裏山にあるという。

三浦家の系図には「猿田小高陵に葬る」と記されてあっただけで、三浦芳聖が発表した「串呂哲学」「神風串呂」等の記録によると、この「猿田小高陵」を見つけるのに大変苦労したようです。

興国天皇(守永)の伝説地は東日本一帯に数多くあり、終焉の地の候補地もいくつか存在します。

三浦芳聖の著書によると興国天皇は、応永3年(1396)信州浪合なみあい(長野県下伊那郡阿智村)で遭難(替え玉が死亡)されたが、辛くも逃げ延び、静岡県浜松市天竜区佐久間町「平和ひらわ」に潜居した後、弟宮である「良玄りょうげん法親王」が営んでいた宮崎山伝正院に身を寄せたとしています。

猿田小高陵を宮崎山伝正院裏山に比定するに足る文献資料は無く、神風串呂と霊示(超能力)によって制定したようです。

なぜ、このように身近な所に有りながら分からなかったのかと言えば、三浦芳聖が数えの10歳の時に、父親が病気で急死したため、本来なら、口頭で伝える所が出来なかったためではないかと思います。推測にしかすぎませんが。

宮崎山伝正院は、尊良天皇の第二皇子「基良親王」(良玄法親王)が開基したお寺で、尊良天皇を陰祀せる「太子堂」が有名です。

【参照】興国天皇 (守永・もりなが) 

(5)一色(いっしき、愛知県新城市)
彼と之とは同じの意味で、リンクする串呂で代名詞の役割をする地文です。

(6)天子ヶ岳(てんしがたけ、1330m、静岡県富士宮市)
天子ヶ岳は、天子(天皇)を表わす地文です。国内唯一の地名です。
天子(天皇)を昭示(あるいは鑑定)する重要串呂起点です。

天子ヶ岳

【参照】「天子ヶ岳」に関する神風串呂
尊良天皇皇后「清子姫」を 昭示する神風串呂(№22)

御正体山と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂(№31)

名古屋市御所町の神風串呂5(№146)

(7)下加納(しもかのう、茨城県稲敷郡河内町)
三浦芳聖の長女「加納幸枝」が、興国天皇(戊辰年)の分身分霊であることを表わす地文であります。(詳細口伝)

(8)古高(ふったか、茨城県潮来市)
「こだか」と読めるので「小高」や「小鷹」の隠文。小高=こだか=小鷹は、興国天皇の別称、符号です。

尊良天皇の符号は大高(おおたか・大鷹)で、その皇子の興国天皇の符号が小高(こだか・小鷹)と符牒が合せてあるようです。

愛知県北設楽郡設楽町の「小鷹こたか神社」は、護良親王を祭神としていますが、護良親王が三河地方に来られたとは考えられず、南朝史学会の藤原石山氏は、守永=もりなが=護良で、興国天皇(守永)を御祭りした神社であり、他の伝承からも小鷹(こだか)が、興国天皇(守永)の別称であると考証しています。

【参照】小鷹神社(北設楽郡設楽町東納庫字小鷹山1番地)

(9)猿田(さるた、茨城県鹿嶋市)

日本神話の天孫降臨の条に出てくる「猿田彦」を表わす地文。三浦家の系図には興国天皇は「猿田小高陵に葬る」と記されたあったという。他の猿田とで、猿田二串の確定立証の串呂を構成しています。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「⛩高千穂神社」-「猿田」-「牧平大門」-「興国天皇御陵」-「一色」-「天子ヶ岳」-「下加納」-「古高」-「猿田」

愛知県岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院」裏山にある「興国天皇御陵」は、三浦家の系図に記されてあった興国天皇(守永)の「猿田小高陵」であることを「高千穂神社」が立証しています。

金ヶ崎城の陥落により父・尊良上皇が自刃したため、数えの10歳で両親を失った守永親王は、神皇正統の天子として皇位に就任しましたが、表面はあくまで親王として戦闘の第一線に臨み、東日本各地を転戦しました(内伝の天皇と言います)。

応永3年(1396年)信州浪合で遭難し不慮の最期を遂げたという説もありますが、三浦家の系図には「丁丑年崩七十、葬猿田小高陵」と書かれてありましたので、三浦芳聖は、この猿田小高陵の探索を続けました。候補地はいくつもありましたが決め手がなく、興国天皇の御陵制定は難渋を極めましたが、神風串呂の解明と霊示により確定されました。


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🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

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2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№54)
🟢次号(№56)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。