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八尺鏡野と在りし日の三浦芳聖家との神風串呂(№32)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、三種の神器を表わす八尺鏡野(和歌山県那智勝浦町)と在りし日の三浦芳聖家(豊川市諏訪二丁目)との神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、如来堂村(桐生市相生町)命名譚の神秘!

桐生市の南西にある相生町あいおいちょう1丁目は明治22年(1889)まで「如来堂にょらいどう村」、昭和29年(1954)までは「相生村大字如来堂」と称していました。

今回ご紹介する串呂上に、この如来堂(バス停)がある関係で調べていると、「如来堂」の由来というサイトに、串呂地文の命名譚めいめいたんともいうべき、興味深いエピソードが掲載されていました。(詳細後述)

また、愛知県北設楽郡豊根村大字「古真立こまだて」という地名があります。一体、だれが何のために、このような地名を付けたのでしょうか。

さて、これまで、皇大神宮内宮、石清水八幡宮、多賀大社、御在所山、御正体山、と重要串呂起点から「ありし日の三浦芳聖家」への串呂をご紹介して参りました。

今回は「八尺鏡野やたがの」から「ありし日の三浦芳聖家」への串呂をご紹介します。「八尺鏡野」は、「№18」でご紹介しましたように、皇位継承を鑑定する重要串呂起点で、国内唯一の地名です。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、八尺鏡野と在りし日の三浦芳聖家との神風串呂

三浦芳聖は、重要串呂起点のひとつである八尺鏡野(和歌山県那智勝浦町)と在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪二丁目)とを串線すると下記のような串呂になると述べています。

(三浦芳聖著『神風串呂』通算177号49頁)

八尺鏡野」(那智勝浦町)-「石鏡町」(鳥羽市)-「ありし日の三浦芳聖家」(豊川市)-「古真立」(北設楽郡)-「両神山」(秩父郡)-「天神」(本庄市)-「如来堂バス停」(桐生市)-「天神町」(桐生市)-「明神」(白河市)-「大平山」(田村市)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第二章59頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「八尺鏡野」-「石鏡町」-「在りし日の三浦芳聖家」-「古真立」-「両神山」-「天神」-「如来堂バス停」-「天神町」-「明神」-「大平山」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)八尺鏡野(やたがの、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

八尺鏡野
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 八尺鏡野(地図マピオン)

八咫鏡(やたのかがみ)を表わす地文。八咫鏡は日本神話に出てくる皇位継承に不可欠の神宝(三種の神器)の一つ。八咫鏡は、三種の神器(鏡、玉、剣)の中で最も重要とされる。

串呂では、八尺鏡野は、皇位継承(神皇正統の天皇に登極したこと)を昭示する(鑑定する)地文で、重要串呂起点。詳細はこちらを参照下さい。

(2)石鏡町(いじか町、三重県鳥羽市)

石鏡町は、神宝「御鏡」を表わす地名。石鏡町は、ここだけの日本国内唯一のユニークな地名です!詳細はこちらをご覧ください。

【参照】「石鏡」を串線する神風串呂は下記を参照ください。
御鏡は石鏡だった事を昭示する神風串呂(№17)
竜巻現場と名鉄鳴海駅との神風串呂(№46)

(3)在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪二丁目)

三浦家
愛知県豊川市諏訪二丁目(地図マピオン)

三浦芳聖は、昭和25年(1950)8月13日より昭和46年(1971)3月30日に帰幽するまでの約20年半、豊川市市田町諏訪林三十七番地(豊川市諏訪二丁目)に居住し、神風串呂講究所を開設して、神風串呂を解明し公表した。三浦芳聖終焉の地でもある。 詳細はこちらを参照ください。

(4)古真立(こまだて、愛知県北設楽郡豊根村大字)

古(いにしえ)の真(まこと)を立てる、即ち、神皇正統家を立てるという意味に解釈します。『ウィキペディア(Wikipedia)』古真立

このような珍しい地名を、いったい誰がいつ付けたのか非常に不思議です。もちろん国内唯一の地名です。

(5)両神山(りょうかみさん、埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄)
埼玉県秩父郡小鹿野町と秩父市の境目にあり、秩父山地の北端にある山。標高1,723m。日本百名山の一つ。国内唯一の地名(山岳)

山名は、イザナギ、イザナミの神を祀っていることから両神と呼ぶという説、日本武尊の東征のおり、この山を八日間見ながら通過していったので八日見山と名づけられた説、「龍神を祭る山」が転じて両神山となったという説など、諸説ある。『ウィキペディア(Wikipedia)』両神山

(6)天神(てんじん、埼玉県本庄市) 
天神地祇(てんじんちぎ)の天神で、天津神(あまつかみ・天孫)をあらわす地文。住居表示に関する法律により消滅。天神川に地名が残っている。群馬県桐生市天神町とで天神二串の串呂を形成している。

地図は、右上の「地理院Vecter」をクリックすると見ることが出来ます。

【参照】『ウィキペディア(Wikipedia)』天津神・国津神 

(7)如来堂バス停(にょらいどうバス亭、群馬県桐生市相生町1丁目)

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群馬県桐生市相生町1丁目(地図マピオン)

如来 (にょらい)とは、仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。あるいは、大乗仏教における諸仏の尊称。『ウィキペディア(Wikipedia)』如来、如来堂は如来を安置する建物(寺院)。

ここでは、「五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖の住居の尊称」と解釈します。八幡大明神は、本地垂迹では阿弥陀如来であり弥勒如来です。

巻頭で述べましたように、桐生《きりゅう》市の南西にある相生あいおい町1丁目は明治22年(1889)まで「如来堂にょらいどう村」と称していました。この如来堂村は、明治22年4月に5か村が合併して相生村が誕生した際に「山田郡相生村大字如来堂」となりました。

昭和29年(1954年)10月1日に桐生市に合併して、現在の名称である「桐生市相生町1丁目」となり、如来堂にょらいどうという地名はバス停や歩道橋にその名称が残っています。(「如来堂の由来」より)


如来堂の由来」より

この如来堂という地文(バス停・歩道橋)について調べていると、「如来堂」の由来というサイトに、串呂に必要な地名の成立譚せいりつたんともいうべき、興味深いエピソードが語られていて、その内容が「串呂哲学的」でしたのでご紹介します。

鎌倉時代、仁田山にたやま(群馬県桐生市川内かわうち町)に、荘司しょうじ園田太郎そのだたろう成家なりいえという武士がおり、大番役おおばんやくで都(京都)へのぼった際、法然上人ほうねんしょうにんに出会い仏門に入りました。 智明坊(ちみょうぼう)と名乗り、法然上人の下で6年間の修行を重ねた後、故郷で教えを広めるため帰国することになりました。 

その際、上人から天智てんじ天皇の護持仏ごじぶつだったという、由緒ゆいしょある阿弥陀如来像あみだにょらいぞうを頂戴し、牛の背に積んで仁田山への道を急がせました。すると藪塚やぶづか(新田郡・現在の太田市)まで来た所で牛が倒れて死んだので時間を取られ、やっと出発するや渡良瀬川わたらせがわの増水で足止めとなり、前進することが出来なくなってしまいました。 

そこで一行は、仕方なく薊村(あざみむら、如来堂村の古名)の塚の上にお堂を建て阿弥陀如来像を安置して布教ふきょうを始めたところ、あちこちで霊験が現れたので、薊村(あざみむら)が如来堂村に改称されたというのです。

「如来堂」の由来(誤字を訂正した・護仏)

私は、この「如来堂」の由来を読み、鎌倉時代に如来堂村と命名されたのは、串呂主宰神(天照大御神)が関与している!とすぐに直感しました。

串呂主宰神(天照大御神)が神風串呂の設計図に従って、長年月掛けて必要な地文を設けてきた苦心談が残っていたと理解したからです。


(8)天神町(てんじんちょう、群馬県桐生市)
天神地祇(てんじんちぎ)の天神で天津神(あまつかみ・天孫)をあらわす地文。埼玉県本庄市の天神町とで天神二串の串呂を形成している。『ウィキペディア(Wikipedia)』天津神・国津神

(9)明神(みょうじん、福島県白河市白坂)
明神(みょうじん)とは、日本の神道の神の称号の一つ。(天皇を指す場合には「あきつかみ」と読む。現人神参照。)ここでは、五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖の尊称と解釈します。『ウィキペディア(Wikipedia)』明神

(10)大平山(おおひらやま、福島県田村市大越町下大越)
天下太平(世の中が平和でよく治まって いること)を表わす地文(山岳)。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「八尺鏡野」-「石鏡町」-「在りし日の三浦芳聖家」-「古真立」-「両神山」-「天神」-「如来堂バス停」-「天神町」-「明神」-「大平山」

この串呂は、天照大御神の御魂代である「八尺鏡・石鏡」は、「在りし日の三浦芳聖家(豊川市諏訪二丁目)」は「天津神・明神」の住む「如来堂」であると鑑定している。古(いにしえ)の真(まこと=真実)を立てれば世界は太平になると解釈します。

豊根村の古真立こまだては、神風串呂の地文として見るとき始めて理解される地名です。いにしえまこと(真実)は、第百代大宝天皇を以って岩戸篭り中の神皇正統・三浦皇統家のことをあらわす地文と解釈します。

「如来堂の由来」で、ご紹介し考察いたしました様に、神風串呂の主宰神は、長年月を掛け、神風串呂を構築するために、ご苦心なさっています。

このあたりの微妙な消息が理解できますと、我が国は、本来の日本民族として蘇ることができると考えます。

天照大御神様がその気になれば、鎌倉時代に、神風(台風)によって元寇(文永の役、弘安の役)を退けたように、国難から逃れることができます。

🟡『ウィキペディア(Wikipedia)』元寇#台風
🟡在りし日の三浦芳聖家の神風串呂


🔴神風串呂を学びましょう!

串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。

これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!


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🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№31)
🟢次号(№33)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!