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名古屋市御所町の神風串呂4(№145)

💟ご挨拶

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、「名古屋市御所町の神風串呂4」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。

1、中部国民道場の霊的位相

野村鈴と結婚後、名古屋市御所町に中部国民道場を創立した三浦芳聖が、皇国維新運動に邁進しつつ、皇祖皇宗の神霊を祭り、神道祭祀に励んでいると、天照大御神の霊示を賜るなど、神秘的な現象が起きたことを昭示する神風串呂をご紹介します。

こうした事を理解する一助として、三浦芳聖の略年譜をご紹介します。

昭和4年(1929年)8月24日、出山還俗。

昭和5年(1930年)4月~10月、土佐の深山にて仙人の修行、初歩の霊感を得る。帰途、阿波の鳴門にて「速開都比咩」を霊感す。名古屋市御器所町に「大日本会本部」を設立。「神道天祖教」教主「高木那忠」氏来り「神道復古連盟」の顧問に招聘さる。

昭和6年(1931年)2月、九州への往路、山陽線加古川鉄橋の上で「瀬織津比賣」を霊感す。帰途2月中旬、兵庫県加東郡滝野町の闘龍灘に「おどのあはぎはら」を霊感し、寒中禊祓いを実施す。滝野町に一泊、翌日千ヶ峰の中腹に日月の滝を発見、ツララ張る。神宮寺焼けてくすぶる。夏、一ヶ月間の参籠禊祓いの行を実施。12月9日、名古屋市御器所八幡宮にて野村鈴と結婚、名古屋市中区出口町2丁目34番地に転居。

昭和7年(1932年)5月15日、「五・一五事件」起きる。以後、東海郷軍同志会の結成のため奔走。夏、日月の滝で一ヶ月参籠禊祓いの行を敢行、日月の滝と命名。

昭和8年(1933年)春、朝拝時「天照大御神は酒は用いない。」の霊示あり。夏、日月の滝に1ヶ月間の参籠禊祓の行敢行。8月15日、神霊に導かれて15里の道程を徹夜で歩くも疲れず、翌16日、長慶院法皇崩御埋蔵の地「西山」を発見。

昭和9年(1934年)1月15日、名古屋市公会堂に第三師管在郷軍人大会開催され、緊急動議を出して昭和維新断行せんと対中華民国親善外交を提唱したるところ憲兵隊に検束拘引され、空振りに終る。

昭和10年(1935年)1月1日、中部国民道場創立。(名古屋市中区御所町)

昭和11年(1936年)、初頭、相沢中佐事件の公判闘争のため、単身世田谷区代田の山本海軍大将邸を尋ねる。2月26日、「二・二六事件」の決起部隊を支援するため、東海郷軍同志会の会員に指令を発し、上京するため名古屋駅に集合(56名)するも名古屋憲兵隊の騎馬隊に阻止され果たせず。

昭和12年(1937年)7月29日付にて「東洋平和の大方策(支那事変処理に関する意見書)」を近衛文麿公に送付。10月1日、 昭和区御所町となる。同月、支那事変に応召(第26師団独立歩兵第11聯隊陸軍後備役伍長)、12月1日付にて陸軍歩兵軍曹に昇進、中国各地を転戦。

昭和13年(1938年)3月10日、黄河渡河戦にて奮戦。5月9日腹部盲管銃創を受け内地送還さる。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、三浦(八頭町)と中部国民道場との神風串呂

三浦芳聖は、三浦(鳥取県八頭郡八頭町)と中部国民道場(名古屋市昭和区御所町2丁目9)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。

名古屋市御所町の串呂総合
(三浦芳聖著『神風串呂』17頁、1963年7月15日発行)

三浦」(八頭郡八頭町)ー「御祓山」(養父市)ー「鈴ヶ岳」(犬上郡多賀町)ー「天照」(福知山市)ー「中部国民道場」(名古屋市昭和区御所町2丁目9)ー「」(北設楽郡東栄町)ー「草薙神社」(清水市)

(三浦芳聖著『神風串呂』17頁、1963年7月15日発行)

【地文のみ掲載】
「三浦」ー「御祓山」ー「鈴ヶ岳」ー「天照」ー「中部国民道場」ー「月」ー「草薙神社」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています)
(1)三浦(みうら、鳥・八頭郡八頭町)
三浦皇統家をあらわす地文。串呂哲学の世界では、「後醍醐天皇の御名は三浦(紀北町)である」という設定になっていまして、後醍醐天皇以降の神皇正統の天皇の重要串呂上に「三浦」という地文が出て参ります。

八頭町三浦
三浦(鳥・八頭郡八頭町)(地図マピオン)

ア、八頭町三浦と山崎町御名との神風串呂 (№101)
三浦」-「御名」-「⛩伊弉諾神宮」-「由良町」-「由良港」

イ、沼田町「天皇原」と八頭町「三浦」との神風串呂(№41)
「由良」-「天皇原」-「天王」-「三浦」-「和田野」

ウ、八頭町の三浦と設楽町の小松との神風串呂(№68)
三浦」-「天照」-「南小松」-「小松」

【参照】三浦についての詳細は「三浦について」を参照ください。

(2)御祓山(みはらいさん、兵・養父市大屋町宮本)773.1m
神道のお祓いを表わす。ここでは、三浦芳聖が、中部国民道場で、皇祖皇宗の神霊を祭り、神道祭祀に励んでいたことを表わす。国内唯一の地名。

【参照】伊東市の小室山と妙覚塚との神風串呂(№77)
御祓山」-「法用」-「弓削」-「小室門院元子内親王御陵・妙覚塚」

【参照】綾子姫命御陵(上臈塚)
「御祓山」(兵・養父市大屋町)-「田貫町」(京都市右京区京北)-「綾子姫命御陵」(静・浜松市天竜区船明)

御祓山(兵・養父市大屋町宮本)(地図マピオン)

(3)鈴ヶ岳(すずがたけ、滋・犬上郡多賀町)
三浦芳聖の妻「野村鈴」を表わす地名。

犬上郡多賀町鈴ヶ嶽
鈴ヶ岳(滋・犬上郡多賀町)(地図マピオン)

野村鈴との結婚に関しては、「三浦芳聖伝 22、運命の赤い串呂・野村鈴と結婚(№136)」を参照ください。

(4)天照(てんしょ、京・福知山市)国内唯一の地名。
天照大御神のご神徳をあらわす地文であり、天照大御神を表わす地文でもあります。

同地内に「⛩天照玉命神社」(あまてるたまのみことじんじゃ)がある。天皇=現人神(あらひとがみ)=天照大御神

天照
天照(京・福知山市)(地図マピオン)

この串呂に「天照」が存在する事については、芳聖が中部国民道場で皇祖皇宗の神霊を祭り、御祓(神道祭祀)に励んでいたら、天照大御神から霊示を賜るなど、神秘的な現象が起きたことを表わします。

あるいは、妻・野村鈴との縁談は天照大御神が神界の仲人であると解釈することも出来ます。この件については、「運命の赤い糸・三浦芳聖結婚の神風串呂(№137)」を参照ください。

この「天照」については、下記の神風串呂を参照下さい。
天照」(福知山市)-「⛩松尾大社」(京都市西京区嵐山宮町)-「⛩皇大神宮内宮」(伊勢市)

(5)中部国民道場跡(名古屋市昭和区御所町2丁目9)
昭和10年(1935年)1月1日、建築された三浦芳聖の道場兼住宅。昭和20年(1945年)1月3日の米軍機による爆撃で全焼しました。

昭和区御所町
中部国民道場跡(名古屋市昭和区御所町2丁目9)(地図マピオン)

御所町時代の三浦芳聖の歴史
昭和5年(1930年)10月、名古屋市中区御器所町字中屋敷12番地に住居。
昭和6年(1931年)4月1日、御器所町の一部が中区御所町と改称。
昭和6年(1931年)12月9日、中区出口町2丁目34番地に転居。
昭和10年(1935年)1月1日、中区御所町に中部国民道場を創設。
昭和12年(1937年)10月1日、 昭和区御所町となる。
昭和20年(1945年)1月3日、米軍機の爆撃で全焼、豊川市萩村へ疎開。
昭和46年(1971年)3月30日、三浦芳聖帰幽。
昭和47年(1972年)8月1日、御所町消滅。

この御所町時代の歴史を見ると、名古屋市御所町は、まるで三浦芳聖の為に出来、用が済んだら消滅したように思われ、串呂主宰神のご配慮のほどが偲ばれます。これも「神風串呂史観」を立証するよい資料だと思います。

(6)(つき、愛・北設楽郡東栄町)
陰陽の関係で、月は夫婦の婦を表わす。

夫(地球)と妻(月)の関係。ここでは、芳聖の妻「三浦鈴(明治39年丙午生れ)」の内助の功を表わします。

また午年生まれの守り本尊が月天子(勢至菩薩)であることも関連していると思います。

東栄町月
月(愛・北設楽郡東栄町)(地図マピオン)

【参考】山口保吉著『 芳花鶴水園の聖地』71頁に、興国4(壬午)年11月15日の満月の日に降誕の故を以って長慶院法皇を「月」で表わす。また、同頁に午年生まれの守り本尊が月天子(勢至菩薩)であることから、長慶院法皇を「月」で表わす。また、同書95頁には、「長慶天皇天授五年九月二十日崩御し給ふ。二十日の仏日は月光菩薩なり因みて月大明神と称す。」と出ています。

山口保吉の著書
『三河吉野朝の研究』 山口究宗堂 昭和15年
『芳花鶴水園の聖地』 山口究宗堂 昭和18年 

月という地名は、現在2ヶ所確認しています。
静岡県浜松市天竜区月

(7)草薙神社(くさなぎじんじゃ、静岡市清水区草薙349)
祭神は日本武尊 (やまとたけるのみこと)。この串呂の守護神です。

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草薙神社(静岡市清水区草薙349)(地図マピオン)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「三浦」ー「御祓山」ー「鈴ヶ岳」ー「天照」ー「中部国民道場」ー「月」ー「⛩草薙神社」

野村鈴と結婚後、名古屋市御所町に中部国民道場を創立した三浦芳聖が、日夜、皇祖皇宗の神霊を祭り、神道祭祀に励んでいると、天照大御神の霊示を賜るなど、神秘的な現象が起きたことを昭示する神風串呂です。

前回の号(№144)で、中部国民道場は三浦皇統家の御所だったことを昭示する神風串呂をご紹介しましたが、名古屋市御所町の中部国民道場は、霊(串呂哲学)的に申しますと、皇祖皇宗の神々を祭祀する「賢所かしこどころ」に相当する道場であったことを昭示する神風串呂です。

また、芳聖の妻「三浦鈴」は、天照大御神が神界の仲人であり、芳聖が中部国民道場を経営するうえで「内助の功」があったことを表わします。


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💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
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🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

💟皆様方の御支援をお願い致します!
読者の皆様方のご支援に感謝しています!現在、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。一日も早く完成したいので、今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。

🟡前号(№144)
🟢次号(№146)

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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