見出し画像

名古屋市御所町の神風串呂1(№142)

🔴この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
 
🔴串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

🔴元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
 
🔴地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
 
ここでは、三浦芳聖が解明した「中部国民道場(名古屋市御所町)を基点とした神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。
 
🔴神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
 
🔴串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。
 
 🔴神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。




1、名古屋市御所町について

三浦芳聖は、昭和5年(1930年)10月、名古屋市中区御器所町字中屋敷12番地に住んでいました。すると、この御器所町の一部が、昭和6年(1931年)4月1日、中区御所町と改称されました。

芳聖は、昭和6年(1931年)12月9日、野村鈴と結婚した頃、この名古屋市中区御所町のすぐ東南方の中区出口町2丁目34番地に住んでいました。

芳聖が昭和10年(1935年)1月1日、中区御所町に道場兼住宅を新築後、昭和12年(1937年)10月1日、 昭和区御所町となりました。

「御所(ごしょ)とは、主に天皇など特に位の高い貴人の邸宅、またはその人を指す、歴史上の称号のひとつ。」『ウィキペディア』御所

この昭和区御所町の道場兼住宅は、昭和20年(1945年)1月3日、米軍機による爆撃で全焼しました。

この御所町は、芳聖が帰幽した年の翌1972年(昭和47)8月1日、昭和区御器所二丁目・御器所三丁目・恵方町にそれぞれ編入され消滅しました。

この御所町の歴史を見ると、まるで三浦芳聖の為に出来、用が済んだら消滅したように思われ、串呂主宰神のご配慮のほどが偲ばれます。これも「神風串呂史観」を立証するよい資料だと思います。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、御在所山と中部国民道場との神風串呂

三浦芳聖は、御在所山(三重県三重郡菰野町菰野)と中部国民道場(名古屋市昭和区御所町2丁目9)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第二章 第四節

神懸通」(小豆郡小豆島町)ー「三浦芳聖の母・元子の墓」(神戸市高坐)ー「太神山」(大津市)ー「御在所山」(菰野町菰野)ー「中部国民道場」(名古屋市御所町)ー「聖岳」(静岡市葵区)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第二章 第四節)

【地文のみ掲載】
「神懸通」ー「三浦芳聖の母・元子の墓」ー「太神山」ー「御在所山」ー「中部国民道場」ー「聖岳」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています)
(1)神懸通(かんかけどおり、香川県小豆郡小豆島町)
神懸通(かんがかりつう)と読み、霊感・霊通・霊力が備わっている事を表わす。

実際、三浦芳聖は、昭和5年(1930年)4月から10月まで、土佐の深山、梶ヶ森の仏岳山で神仙道を修め、さらに昭和6年(1931年)夏より、兵庫県岩座神の「日月の滝」で禊祓いの水行を実施し、霊感・霊通・霊力が備わっていました。

神懸通
神懸通(香川県小豆郡小豆島町)(地図マピオン)

(2)三浦芳聖の母・元子の墓(兵庫県神戸市高坐)
三浦芳聖の母「元子」のお墓の在った場所。現在は、再開発で別の墓地に移転した。

(3)太神山(たいしんさん、滋賀県大津市)
太神山は太神(おおかみ)=大神で霊格が大神(天皇)を表わす。

太神山
太神山(滋賀県大津市)(地図マピオン)

(4)御在所山(ございしょやま、三重県三重郡菰野町、1212m)
何がおわしますかを鑑定する重要串呂起点。御在所岳の別名。

三重県御在所山
御在所山(三重県三重郡菰野町)(地図マピオン)

全国各所にある御在所山の中で、鈴鹿山脈にあるこの三重県三重郡と滋賀県東近江市に跨る御在所山が、地誌からも地文の上からも標高からも最高の重要串呂起点。8大串呂起点のひとつ。詳細はこちらを参照ください。

(5)中部国民道場跡(名古屋市昭和区御所町2丁目9)
昭和10年(1935年)1月1日、建築された三浦芳聖の道場兼住宅。昭和20年(1945年)1月3日の米軍機による爆撃で全焼した。

昭和区御所町
中部国民道場跡(名古屋市昭和区御所町2丁目9)(地図マピオン)

御所町時代の三浦芳聖の歴史
昭和5年(1930年)10月、名古屋市中区御器所町字中屋敷12番地に住居。
昭和6年(1931年)4月1日、御器所町の一部が中区御所町と改称。
昭和6年(1931年)12月9日、中区出口町2丁目34番地に転居。
昭和10年(1935年)1月1日、中区御所町に中部国民道場を創設。
昭和12年(1937年)10月1日、 昭和区御所町となる。
昭和20年(1945年)1月3日、米軍機の爆撃で全焼、豊川市萩村へ疎開。
昭和46年(1971年)3月30日、三浦芳聖帰幽。
昭和47年(1972年)8月1日、御所町消滅。

この御所町時代の歴史を見ると、名古屋市御所町は、まるで三浦芳聖の為に出来、用が済んだら消滅したように思われ、串呂主宰神のご配慮のほどが偲ばれます。これも「神風串呂史観」を立証するよい資料だと思います。

(5)聖岳(ひじりだけ、静岡市葵区)
聖岳は「天皇」を表わす。漢和辞典を引くと聖には天子の意味があると出ています。聖運、聖駕、聖皇など数え上げれば枚挙に暇がないほどです。

聖岳静岡市
聖岳(静岡市葵区)(地図マピオン)

現在地図検索で確認できる「聖岳」という山は以下の4ヶ所です!
(1)聖岳(佐賀県多久市)(2)聖岳(静岡市葵区)
(3)聖岳(神奈川県小田原市)(4)聖岳(長野県飯田市)

【参照】十津川村の三浦と守義との神風串呂 (№57)
「三浦」-「守義」-「中田」-「聖岳」(静岡市葵区)-「鏡」

【参照】皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る! (№5)
「⛩皇大神宮内宮」-「高松町」-「小松原町」-「和田」-「小松」-「小松天皇御陵」-「藤太夫島」-「松長」-「聖岳」(小田原市)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「神懸通」ー「三浦芳聖の母・元子の墓」ー「太神山」ー「御在所山」ー「中部国民道場」ー「聖岳」

三浦芳聖が昭和10年(1935)1月より昭和20年(1945年)1月3日まで、皇国維新運動の拠点として創設した「中部国民道場」の神風串呂です。

「中部国民道場」に何が御在ますかを見る串呂起点「御在所山」との神風串呂で、神懸通、三浦芳聖の母・元子の墓、太神山、聖岳を串線する神秘的な神風串呂です。

三浦芳聖が霊感・霊通・霊力を備えた超能力者であり、神様と霊的交通の出来る「聖」「大神」であったことを昭示しています。

三浦芳聖は、「中部国民道場」を建築するに当たって、事前に串呂を引いてこの地を選定したと思いますが、この串呂は、串呂主宰神により芳聖の為に用意されていたと思います。


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

💟皆様方の御支援をお願い致します!
読者の皆様方のご支援に感謝しています!現在、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。一日も早く完成したいので、今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。

🟡前号(№141)
🟢次号(№143)

*******************
🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
*******************

串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!