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三浦芳聖伝 27、相沢中佐事件公判闘争(№147)

🟡はじめに

戦前、皇国維新運動に邁進していた三浦芳聖を理解するには、相沢中佐事件公判闘争は避けては通れない重要項目です。

芳聖は、この相沢中佐事件の公判闘争について「永い過去の維新運動中この時ほど精魂を傾けた時は無いでしょう。名実共に不眠不休全身全霊を挙げて活躍致しました。」と述べています。

この事件の処理いかんによっては、我が国の命運を決定づけた、二・二六事件も無謀な支那事変も大東亜戦争も起きなかったと言われています。

今を去ること85年前の事件ですが、現在の我が国が置かれている状況と密接に関連している事件ですので、是非お付き合いください。


1、相沢中佐事件とは


相沢事件新聞

先ずは『ウィキペディア』相沢事件より引用します。

 相沢事件(あいざわじけん)は、1935年(昭和10年)8月12日に、皇道派青年将校に共感する相沢三郎陸軍歩兵中佐(陸軍士官学校第22期、以降「陸士」と略す)が、統制派の軍務局長永田鉄山少将(陸士第16期首席、陸軍大学校第23期恩賜)を、陸軍省において白昼斬殺した事件である。被害者側の名前から、永田事件、永田斬殺事件とも言う。
 統制派が皇道派を追放しようとしたことに反発し(村中孝次歩兵大尉(陸士第37期)、磯部浅一一等主計(陸士第38期)の停職に憤激したことが動機であり、その後の二・二六事件に繋がった出来事の一つである。

 1931年に三月事件、満州事変、十月事件が起こり、日本陸軍においては国家総力戦を戦い抜くため、統制経済による高度国防国家への国家改造を目指す統制派が革新派の青年将校や皇道派と対立し、1934年11月の士官学校事件、1935年7月の皇道派の教育総監真崎甚三郎大将(陸士第9期、陸大第19期恩賜)の更迭により、反対派を一掃しようとした。
 陸軍大臣林銑十郎大将(陸士第8期、陸大第17期)から辞職勧告を通告されると、真崎は「これは真崎一人の問題ではなく陸軍の人事の根本を破壊するものだから承知できん」と反論した。皇道派の将校らは林大臣の行動を統帥権干犯と非難した。

教育送還更迭

 義憤を感じたとされる相沢は、総監更迭の事情を確かめようと、1935年7月18日に上京。翌19日陸軍省軍務局長室において永田少将と面談し、辞職を勧告して一旦帰隊した。
 相沢は真崎の更迭に際して配布された「教育総監更迭事件要点」や「軍閥重臣閥の大逆不逞」と題する怪文書を読み、教育総監更迭の「真相」を知って統帥権干犯を確信した。また「粛軍に関する意見書」を読み、磯部浅一、村中孝次の免官(8月2日付)を知ると、このままでは皇道派青年将校たちが部隊を動かして決起し、国軍は破滅すると考え、元凶を処置することによって国家の危機を脱しなければならないと決意した

 同年(昭和11年)5月7日死刑の判決が言い渡された。翌8日に上告したが、6月30日上告棄却が言い渡され、死刑判決が確定した。1審、2審とも判決内容が事前に漏れていた。
 同年7月3日午前5時、東京衛戍刑務所内において、判決謄本の送達さえ行われず、弁護人の立ち会いも許されず、銃殺刑は執行された。

【参照】皇道派(統制派)の主な比較
皇道的精神主義(覇道的物量主義・天皇機関説)国体主義(全体主義・ナチス主義)平和主義・侵略反対(高度国防国家体制・総力戦体制構築)軍略主義(政略主義)満州事変終息(満州事変、支那事変、蒋介石を相手にせず、日支全面戦争)対ソ連策優先(南進政策)大義名分あり一国で戦い得る戦争主義(覇権主義、多国間同盟主義)。

【参照】青山 第1師団司令部・師団軍法会議と相沢中佐(2・26事件)

【参照】 相沢三郎 – 2.26事件 一般社団法人仏心会

2、相沢中佐事件の公判闘争

相沢中佐事件は皇道派と統制派の思想的対立の中から起きたものだったので、昭和11年(1936年)1月8日、相沢事件の第一回公判が始まるや、皇道派の人達は、公判闘争で統制派を追い詰め、昭和維新を断行し、粛軍はもとより、真の国政改革への道を開こうと考えていました。

公判闘争で相沢中佐を弁護することは、なぜ相沢中佐が永田軍務局長を斬殺しなければならなかったかを明らかにし、統制派幕僚が陸軍省・参謀本部を蹂躙していたかを明らかにする事だと考えたからです。

芳聖は、「国家総力戦を戦い抜くため、統制経済による高度国防国家への国家改造を目指す統制派」を、ここで粛清できなければ、大日本帝国滅亡の危機だと直感していました。

この事件の弁護人となった菅原裕氏は、下記のように述べています。

 弁護人となりこの事件を調査、研究するにしたがって、事件の意義が深刻、重大であることを覚った。これはただ突発、偶発のものではない。陸軍だけの部分的な混乱、相剋といったことではない。もしこれを小手先の細工で表面を糊塗するようなことですませば、禍根は長く拭い難い傷痕を与えずにはおくまい、とさえ思われた。日本国家をも故知らぬ滅亡の大渦の中に巻き込もうとする悪魔の手がひしひしと感ぜられた。相沢中佐は、至誠に燃え尊皇絶対の信のもとに隻手もって国難を防ぎとめようとした不惜身命の行為であることを識るに至ったのである。
(『相沢中佐事件の真相』2頁、1971年、経済往来社)

この相沢中佐事件の公判闘争は、大日本帝国浮沈の分水嶺であったように思います。

我が国の将来を心底から心配していた芳聖には、それが明瞭に見えていたのではないかと思います。

芳聖の考えや、実践が良く分かると思いますので、芳聖の当時の軌跡を追ってみたいと思います。以下、芳聖の著書からの引用です。

 昭和十年暮より十一年二・二六事件勃発に至る迄、私は相沢公判を通じて合法的に現状維持派を追い詰めて、純正維新へ誘導せんとして、恐らくは永い過去の維新運動中、この時ほど精魂を傾けた時は無いでしょう。名実共に不眠不休全身全霊を挙げて活躍致しました。
 この合法運動に失敗したら、それこそ現役青年将校は必ず部隊を率いて決起し、遂に叛乱の汚名を受けて討伐せられ、民間の我々も総弾圧を受けて維新運動は全く崩壊せしめられ、現状維持派に依って国民の目を対外問題に集中せしめるべく、日支戦争を勃発せしめ、強力統制に依って全国民を戦争に追い遣り、
 前述の如く遂には米英ソ支一連を敵として戦わざるを得なくなり、遂には皇国を滅亡せしめるに至るのは火を見るより瞭(あきらか)なりとして、(当時発行せる「非常時在郷軍人の使命」なるパンフレットには極めて大胆にこの予言がしてある。)大活躍をし、当時相沢公判廷へ東海郷軍同志会が署名調印を取って提出した歎願書は約十万枚にのぼりました。
 然るに軍並びに内務当局は此の合法運動に徹底的弾圧を加え、私の家へは毎日無名の脅迫状が何十通となく参りましたが、私は此の運動で斃(たお)れる事を覚悟していましたので、脅迫状等意に介せず不眠不休の活動をやっていました時に、軍の統制派の廻し者の拳銃二人組の壮漢に襲撃せられました。
 然し一発も命中せず天佑神助に依り難を免がれ、この壮漢の一人は私がこの事を警察及憲兵隊へ届けもしなかったのに感激して、後に私の門人となりました。(三浦芳聖著『姓名鑑定秘法』47頁/1955年。読み易くする為、改行、句点、送り仮名を補うなど、編集しました事をお断りします。)

この公判闘争の指導思想は、昭和9年(1934年)1月15日、第三師管在郷軍人大会で提出された「昭和維新断行の緊急動議」と同一基調のものであり、当時芳聖が発行した「非常時在郷軍人の使命」なるパンフレット(発禁処分となる)には極めて大胆にこの予言がしてありました。

日本の将来を的確に見通した、これらの卓越した見識は、日本と日本国民を心底から愛し、皇国の将来を案じていた三浦芳聖だから洞察できた事ではなかったかと思います。

3、真の敵はイルミナティーだった

誠に残念ながら、相沢中佐事件公判闘争中の昭和11年(1936年)2月26日、芳聖ら皇道派の人々が危惧していた通り「二・二六事件」が勃発してしまいました。

この相沢中佐事件や、相沢中佐事件の公判闘争は、表面的には皇道派と統制派の争いでしたが、その後の先哲の努力により、実は統制派の背後には、イルミナティーとかカバールとか呼ばれる「欧米金融財閥」が隠れていたことが明らかになっています。コミンテルンもその背後は同じです。

この事は、無謀な戦争に誘導され、敗戦後、米国の属国(欧米金融財閥の金融奴隷)となっている今日の我が国の状況と密接に関連しています。

下記の動画資料をご視聴されますと、真の敵の姿が明瞭に浮かび上がって参ります。この世の真実を知るためには、避けては通れない資料です。

日本の真相(DVD鬼塚英昭)必聴情報。歴史観を変えなければいけない。
明治憲法に天皇不可侵を盛り込んだ伊藤博文の意図がわかる

昭和天皇はイルミナティ世界権力の道具だった!(太田龍)必聴情報。
(我が国に天皇は、いらっしゃるんでしょうか!)

昭和天皇ヒロヒト&財界の為の戦争 アヘン事業 侵略ビジネス


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🟡バックナンバー(総合)

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2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
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