愛を本物にした痛みは何処に。ケン・リュウの短篇「愛のアルゴリズム」をご紹介
ごきげんよう、いかがお過ごしですか? 私は最近ハマっている、現代中華SFの短篇集をいくつか読んでおりました。
冒頭で引用した言葉も、今日読んだ小説の中に出てきた言葉です。
名言の多いケン・リュウの作品ですが、今回読んだ作品の中では、この引用部分がいちばん心に刺さりました。
というわけで、本日はおすすめ中華SFの作品を1篇ご紹介いたします!
ケン・リュウ「愛のアルゴリズム」
今回紹介させていただく作品は、ケン・リュウの短篇作品「愛のアルゴリズム」です。
訳・編者は古沢嘉通。早川書房から出版されている『ケン・リュウ短篇傑作集① 紙の動物園』に収録されています。
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収録されている珠玉の7篇は、いずれもうつくしい愁いを帯びた作品です。そこはかとなく切なくて、静謐なものがたりたち。
あるいはSFというよりも、幻想文学と呼ぶほうがより相応しいのかもしれません。
どのお話も、それはそれは素晴らしい物語なのですが、今の私に深く刺さった作品は「愛のアルゴリズム」だったため、その感動をお伝えすべく、筆を執った次第です。
作者・ケン・リュウとは
まずは、作者のケン・リュウ氏の簡単な紹介をいたします。
彼は中国で生まれ、11歳の時から現在までアメリカに在住している作家です。弁護士やプログラマを経験しつつ、中国語書籍の翻訳者として働きながら、創作活動をなさっています。
この、《中国系アメリカ人》というのがポイントなのだと思います。
彼の作品には、東洋のしきたりや伝統、考え方をベースに創られたものが多く存在します。そして、それがとてもしっとりとした叙情を生み出して、彼の作品にとって欠かすことのできない、深いスパイスとなっているのです。
日本では「紙の動物園」や「もののあわれ」などの短篇SFが有名ですが、「蒲公英王朝記」(原題「The Grace oh Kings」)などの長編作品も執筆しています。
「愛のアルゴリズム」
これは、「人間が機械を機械として判別できるか?」というチューリング・テストを下敷きにした、機械人形をめぐる物語です。
人間と見分けのつかない高度なAIを搭載した児童型ロボットのお話は、プログラマでもある作者にとって、うってつけの題材だと思います。
AIが、生きてきている人間と全く同じ人格を持てたとして、果たしてそれは、愛する誰かの代わりとなることが、可能でしょうか。
プログラマなら、誰でも一度は考えたことがあるだろうこの問いに、著者は真っ向から向き合って、ひとつの答えを提示してくれたように感じます。
◤◢◤◢⚠以下ネタバレ注意⚠◤◢◤◢
わたくしも、1ミクロンたりとも興味が無かったにせよ、仕事でSEの真似事をしていたので、会社でこのような話をよく耳にしたことがありました。そのことについて意見を聞かれ、必死にそれらしい考えを述べたこともございます。
なので、実はほんの少しだけ、読むのが苦しい作品でもありました。大嫌いな会社のことを思い出してしまうから。(初めてこの作品を読んだのは、精神を病んで入院しているときだった。主治医の先生が、暇を持て余した私に貸してくださったのである)
でも、それでも続きを読みたいと思わせてくれたのは、著者と編者にものすごい力量があったからでしょう。
彼の紡ぐ言葉の数々が、どれもおそろしいほど切なくて、心がふるえて。
たとえばこの言葉。
思考。
すべてあらかじめプログラミングされた「思考」は、本当に思考と呼べるのでしょうか。ルールブックに則っただけの、意識のない会話は本当に会話と呼べるのでしょうか。そもそも人間に、意識は存在するのでしょうか。
自分が自由にオリジナルで考えていると思っていることも、既に誰かが考えたことをなぞったコピーなのではないのでしょうか。
またたとえば、相手の機嫌を損ねないように放つ言葉は、意思が籠った言葉とは言えないでしょう。意思の無い言葉は、すなわちルールブックに載った文字列に過ぎないのではないでしょうか。まるでかの有名な、「中国語の部屋」の実験や、哲学的ゾンビのよう……。
そんなことを考えて、考えて、思考が止まらなくなるときがあって、怖くなります。それすら幻想なのかもしれないけれど。
お気に入りのシーン2選
さて、それでは最後に、とくに好きな場面を2つ、引用してご紹介いたします。
おわりに
「愛のアルゴリズム」は、日常で考えるには重厚すぎる、哲学的な問いを切実に読者へと訴えかける作品です。
短篇集に収録された作品はどれも素晴らしい作品ですので、気になったお方はぜひご一読を!
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