6/24『マナートの娘たち』読書会のご案内&『恋しくて』(村上春樹編訳)『楽しい夜』(岸本佐知子編訳)をご紹介 #短編小説を読もう
さて、前回の記事で翻訳ミステリー大賞について書きましたが、私は翻訳ミステリーシンジケートの後援のもと、大阪読書会の世話人を務めています。
そして今年(2023年)の6/24(土)に、注目の若手作家ディーマ・アルザヤットによる『マナートの娘たち』(小竹 由美子訳)を課題書として 、オンライン読書会を開催いたします。
ご興味のあるかたは、下記の案内をご覧ください。オンラインですので、世界のどこからでも参加できます。読書会初心者のかたも大歓迎ですので、お気軽にお問い合わせください。
短編小説を課題書にするのは、2022年1月にローレンス・ブロック『短編回廊』(田口俊樹他訳)で読書会を開催して以来です。
この『短編回廊』と同シリーズの前作『短編画廊』は、芸術をテーマにした短編が収められたアンソロジーで、ローレンス・ブロックをはじめ、スティーヴン・キング、ジョイス・キャロル・オーツといった現代の一流作家による粒ぞろいの物語がぎっしりつまっているので、ぜひ読んでみてください。
そこで今回は、そのときの読書会でおすすめの短編小説集として名前の挙がった、『恋しくて』(村上春樹編訳)と『楽しい夜』(岸本佐知子編訳)を紹介したいと思います。
『恋しくて』は、村上春樹が自分で選んで自分で訳したラブストーリーが収められている。といっても、実際の恋愛がそうであるように(知らんけど)、甘いばかりではなく、苦い味が残る話も多い。
各短編のあとに、まるでミシュランのように、村上春樹による「恋愛甘辛度」の採点があるのがおもしろい。実はこの本、初読時にも別のブログで紹介したのだが、当時の感想を読み返すと、まったく救いのないラブストーリー「薄暗い運命」(リュドミラ・ペトルシェフスカヤ)がいちばん心に残ったと書いていて驚いた。というのも、今回もやはり「薄暗い運命」がいちばん好みだと思ったので。訳者解説ではこう書かれている。
甘いラブストーリーを気に入る日は来るのだろうか?(来ない気がする)
そんな一筋縄ではいかないラブストーリーがつまったこの本のなかでも、とくに読みごたえがあるのは、ノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローによる「ジャック・ランダ・ホテル」だろう。
主人公ゲイルは、恋人だったウィルが若い女とオーストラリアへ向かったことを知り、自らもカナダから飛行機に乗って追いかける。そしてウィルの居場所を突きとめたゲイルがとった行動とは……。
訳者解説で「誰に対しても、不思議なくらい感情移入ができない」と書かれているとおり、ゲイルの行動はあまりにも奇妙で理解できない。だが人生において、何かに突き動かされて奇妙な行動をとってしまう瞬間は、誰にでも訪れるのではないだろうか?
ゲイルが手紙を書く場面で、「常々文章を書くのが苦手だった」自分が、「精妙でいかにも嫌みな文体」をすらすら書けてしまうことに驚くように、自分自身でもまったく理解のできない行動をとってしまうときが、生きていたら一度くらいあるのかもしれない。
人生のそんな不思議な瞬間をすくいあげることにかけては、アリス・マンローにかなう者はいないとあらためて感心させられる一編。
また、ローレン・グロフによる「L・デバードとアリエット――愛の物語」も心に残った。「愛の物語」という――原題も“A Love Story”と書かれている――いささか古めかしい題が示唆するように、「大河ドラマを思わせるような壮大な歴史小説仕立て」(訳者解説)の物語。
世界大戦が終盤にさしかかった1918年のニューヨークを舞台とし、1908年のロンドンオリンピックで金メダルを獲ったデバードは脚の悪い少女アリエットに水泳を教えるよう依頼される。水泳を通じて、デバードとアリエットの距離は縮まっていくが、スペインやインドで猛威を振るっていた疫病がニューヨークにも忍び寄っていた……
戦争、疫病、八方塞がりの愛と息詰まる状況が描かれているからこそ、水面に浮上して息を吸いこむ素晴らしさが心にしみる。こんな情熱的な恋に落ちたい!とは思わなかったが、水につかって手足を伸ばしたくなる物語だった。
むずかしい愛ばかり語られているわけではなく、冒頭のマイリー・メロイによる「愛し合う二人に代わって」は、高校時代の同級生の恋愛がたどる道のりを描いた、比較的ストレートな恋愛小説である。内向的な男子と夢を追う女子という組み合わせもいじらしい。
原題は“The Proxy Marriage”(代理結婚)となっている。主人公のふたりがイラクへ出兵する兵士の代わりとなって結婚式を執り行うため、このタイトルになっているのだが、それを「愛し合う二人に代わって」と訳したのはさすが村上春樹だと感じた。
村上春樹編のアンソロジーのお楽しみとして、この本のために書きおろされた短編も収められている。「恋するザムザ」というタイトルが示すように、カフカの「変身」をベースにしたいわば二次創作である。
虫のようなものに変身した「変身」のザムザとは反対に、人間に変身した、あるいは人間にもどったザムザの物語。右も左もわからないザムザだが、家にやってきた背の曲がった娘の姿を見ていると、なぜだか胸が熱くなり、この不可思議な世界を彼女と一緒に解き明かしたいと願う。読んでいる私たちの胸も、ザムザと同じようにほんのりと温かくなる一編。
『楽しい夜』は、岸本佐知子が自分で選んで自分で訳したアンソロジーである。ルシア・ベルリン、ミランダ・ジュライ、ジョージ・ソーンダーズといった岸本訳でおなじみの作家たちの作品も収められ、個性豊かな、というか、豊か過ぎる個性にあふれていて、どの短編も読んでいてほんとうに楽しい。
冒頭のマリー=ヘレン・ベルティーノによる「ノース・オブ」は、こんなふうにはじまる。
そう、家族の食卓にボブ・ディランがしれっと加わるのだ。
ルシア・ベルリン「火事」は癌で死にかけた妹に会いに行く物語で、ルシア・ベルリンのほかの短編と同様に、奇想を描いているわけではないのに、その唯一無二の切り取り方によって日常ががらりと色を変える。
ミランダ・ジュライ「ロイ・スパイヴィ」では、飛行機の中で主人公がハリウッドのセレブと出会う物語。ただでさえ現実から数ミリ浮遊しているようなミランダ・ジュライの物語が、文字どおり“雲の上の“セレブといううってつけの登場人物によって、現実という重力からより解き放たれて自由に漂う。が、最後にはシビアな現実が待ち受けている。
ジェームズ・ソルターによる表題作の「楽しい夜」は、楽しかったのだろうか?と思いを馳せてしまう物語。いや、きっとそのときは楽しかったにちがいない。生きることとその喜び、それぞれの刹那について考えさせられる。
この本でいちばん興味をひかれたのは、アリッサ・ナッティングによる奇想を描いた二編、「アリの巣」と「亡骸スモーカー」だった。
「アリの巣」は、地球が手狭になったため、人類はほかの生物を体表か体内に寄生させる義務が生じた世界を舞台にしている。大半の人はフジツボやカツラネを選ぶが、主人公はアリを体内に飼うことにする……
「亡骸スモーカー」は、遺体の髪をタバコのように吸うと、遺体の生前の記憶が映画みたいに脳内に映し出されると語るギズモと、そんなギズモに恋をしたわたしの物語。身体から切り離される髪の毛と、失ったり上書きされたりする記憶との結びつきにはっとさせられる。
二編ともきわめて短いショートショートなのだけど、短いのに、あるいは短いゆえか、奇想と心の動きがシンクロすることによって生じるインパクトはいびつで大きく、くっきりと胸に刻まれた。
アリッサ・ナッティングの短編は、B・J・ホラーズが編集した翻訳アンソロジー『モンスターズ: 現代アメリカ傑作短篇集』(古屋 美登里訳)にも収められている。
前々回の『アメリカへようこそ』、前回の『彼女は水曜日に死んだ』、そして今回紹介したアンソロジーを読んでいると、短編小説にこそ翻訳小説を読む楽しさがつまっている――そう言いきってしまいたくなる。
とくにふだん翻訳小説になじみのない人は、まずは短編小説から読んでみてはどうでしょうか? ミステリー、恋愛小説、奇想小説、ありとあらゆるものがつまったアンソロジーから、海外文学への扉をあけてみよう。