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スノーデンの時代に。平壌のホテルにて情報戦を繰り広げる

 E・スノーデンが暴露した、アメリカにおける情報収集、盗聴、通信傍受の実態を見ると、怒りや恐怖よりもぼくたちはもはや世界のどこからも逃れられないのだというあきらめにも似た気持ちが浮かぶ。

 街の防犯カメラは急速にその数を増やしたし、車には車載カメラ。ぼくたちはもう色々なものから逃れられなくなっている。

 スノーデンが暴露した同盟国同士でも盗聴する世界。それと戦うのはもはや不可能だろう。ぼくたちは既に盗聴されていて、送受信する情報は常に盗られていると考えるのがもはや自然だ。

 人気ドラマ「愛の不時着」でも象徴的なシーンがある。主人公のリ・ジョンヒョクが平壌のホテルの部屋を探るといくつもの盗聴器が出て来た。このシーンも、大いに北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国側を刺激した代表的なシーンのひとつと言えるだろう。

 よく聞かれる。「北朝鮮のホテルで盗聴はされているのですか」と。

 知らぬ。

 ただし、こんな話を聞いたことがある。ある在日コリアンの知合いが平壌に到着し、ホテルの部屋に入るやいなや「寒いなぁ」と思わず呟いたところ、次の日掃除のおばちゃんが電気ストーブを持って来て早口で「これを使うんだよ!」と指示してくれたと。ある日本人は、台所の水回りのひどさに「これはひでえよなぁ」と呟いた。すると次の日部屋に帰って来ると、水回りはすっかり直されていたと。

 少なくとも日本人は日本語だが、在日コリアンの知合いはさて、何語で呟いたのだろう。朝鮮語?日本語?

 ただの偶然だろう。心遣いのきめ細かなホテルが、遥か日本からやって来た在日コリアンの寒さを察し(平壌の寒さは東京の寒さとは段違いである)、水回りの修理は残念、ぎりぎり間に合わなかったのだろう。

 ところでリ・ジョンヒョクよろしく、家探しして盗聴器を見つけたところでどうしようというのだ。盗聴器なるものはゴキブリといっしょで、ひとつ見つけたら百個あるというのは定説で、部屋にあるすべての盗聴器を見つけ出すなんてそもそも無理。不毛。

 日朝首脳会談でも、盗聴はされているだろうという前提で日本政府は対応し、むしろそれを逆手に取り対応したと聞く。

 だから平壌の普通江ホテルでぼくも小泉純一郎のように考えた。まずノートパソコンを立ち上げるとボリュームをMAXまで上げ、デスクトップに保存してあった北朝鮮の音楽をメドレーで流した。しかし悲しいかなノートパソコンのスピーカーでは出力が足りない。

 作戦を変更。テレビをつけた。朝鮮中央テレビのボリュームをぐんと上げテレビを見ることにした。そしてその日の報告書をノートパソコンで書き始めた。

 ドラマが終わり、ニュースに変わった瞬間金正恩委員長が出て来た。ぼくは手を止め立ち上がると聞こえるように叫んだ。「좋다!(チョッタ=いいね!)」と。ニュースは続く。次のニュースにも金委員長が出て来た。続いて「만세!(マンセー=万歳)」と叫ぶ。熱烈なる拍手も加えた。

 以降、報告書を書きあげるまで、ぼくは金委員長がテレビに映る度に叫び拍手し、歌が流れたら知っている歌だったので歌った。歌が終わると拍手もした。歌詞は当然、国と指導者と朝鮮労働党を讃える歌である。隣室の人には大迷惑だっただろうが構わぬ。ぼくのほとばしる喜びよ響け!ぼくの心の叫びよ誰かに届け!この熱い想いよ轟け!とばかりにぼくは拍手し叫び歌った。

 喉が少し乾いたところで報告書は書きあがり、ぼくはバーに出かけることにした。ドアを開け左右を見渡す。右ヨシ!左ヨシ!そしてスキップしながら行きつけのバー「銀河水」へ赴き、いつものように女性接待員をからかい、閉店までカウンターで粘って帰って来た。

 さて翌朝。ぼくはウキウキで目覚めた。シャワーを浴び着替えて、朝食を食べ、部屋にいったん戻って用意をして部屋のキーをフロントに預ける。赤ら顔のフロントの男性をじろりと見る。さて、昨日君はぼくの心の叫びを聞いたかと。ぼくの歓喜の歌をとくと聞いたかと。

 顔なじみになったフロントの赤ら顔の男性はにっこりと笑いながら「今日はどこへ行かれるのですか」と聞く。「うーーん、市内観光みたいです」とぼくは答えたが違う。違うだろう。ぼくが聞きたいのはそんな話じゃないんだ。フロントの奥にいる立場の高そうな人の顔をじろりと見ると「どうしました?」と訝し気な視線が返って来た。

 まだだ。まだ終わらぬよ。その日の日程を終えると、フロントの男性は入れ替わっていた。またぼくが男性の顔をじろりと見ると「部屋番号は何番ですか」と聞いてくるのだ。

 違うだろう!昨日の心からの喜びと歓喜の歌が聞こえたなら「我々は、先生さまのわが国とわが国の指導者への熱い気持ちを深く深く理解しました。こちらの鍵をどうぞ。今日からウルトラエグゼブティブスイート、特別室に泊まって頂きます」と返すのが筋だろう。だが、普通江ホテルの部屋は最終日まで変わらず、ぼくは空回りした喉を少し腫らせて帰国したのだった。北朝鮮とぼくの情報戦は、かくして引き分け。むしろぼくの空回り、負けで終わった。

■ 北のHow to その56
 世界のどこに赴いても「盗聴されている」と考え生きるのはもはやひとつの常識なのでしょう。特にこの先北朝鮮とビジネスや外交交渉をするというのであれば、当然その原則に従うべきです、大事なことは筆談で。部屋での言動に注意する。特に最高尊厳関連の発言には気をつけた方がいいでしょう。

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