ぷく助雑記🍀

趣味で歴史巡り歩きをしています。 自分の思い込み過多の拙くユルいまとめです。 樹木やお…

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趣味で歴史巡り歩きをしています。 自分の思い込み過多の拙くユルいまとめです。 樹木やお花も好き🌲🌳🌸日々のことなども時々。TVや映画の感想も時々。ちいかわ萌え。X垢→ぷく助https://x.com/pukusukenanoda?s=21

最近の記事

摺上原古戦場の会津蘆名四部将の墓碑を訪ねて_2024年6月

6月最終土曜日、慧日寺資料館主催の 徳一菩薩についての講演会が午後から なので、午前中は磐梯町に点在する 会津蘆名氏四武将の墓碑を訪ね歩く ことにしました。 蘆名氏は三浦義明の子、佐原義連を 祖先に持つ一族で三浦氏推しの私は 以前より蘆名氏に興味がありました。 奥州藤原氏との合戦の恩賞として 会津地域を所領とした義連ですが 宝治の乱で三浦氏嫡流等が滅んだ後 北条泰時の妻だった三浦義村の娘が 泰時との離縁後に再婚したのが 義連の子、盛連でした。 盛連の子、光盛が後に蘆名を名乗

    • ピーター・セテラ脳内再生

      最近寝る前にシカゴの「If You Leave Me Now 邦題:愛ある別れ」をYouTubeで聴いている。この曲は個人的にピーター・セテラ氏がソロで歌うよりもシカゴ時代の方が好きだ。 改めて聴くとつくづくメロディが素敵だなぁと思う。歌詞の和訳を読むと限りなく甘い未練のバラードだけれどあんなに素敵なメロディにのせてセテラ氏の美声で歌われたらたまらないなぁ。 この頃のセテラ氏はカジュアルでちょいとダサめな服を着ている。(失礼) シカゴを脱退する頃になると劇的に体型がシュッとし

      • 慧日寺跡を訪ねて②_福島県磐梯町2024年5月

        磐梯町駅からゆるゆる歩き 慧日寺跡の立派な表示石碑を見て とうとう来たなぁという思いでした。 赤い橋を渡ってしばらくは民家に 囲まれた参道(多分)を歩きます。 慧日寺は明治時代になり 廃仏毀釈により一時廃寺に。 塔頭の観音院が法燈を受け継いで 現慧日寺になったということです。 現在は真言宗磐梯山慧日寺と。 本堂は元禄15年(1703)建立。 次は慧日寺跡の方へ向かいます🌿

        • 夢のお話し

          先日の夜半過ぎ、去年亡くなった母が 初めて夢に出てきた。 私の霊感は大したものではなく 子供の頃からナニカを見たり感じたり 亡き人が夢に出てナニカ言いたいことを 聞いたりした程度。 病院で最期を迎えた母を実家へ運んだ 翌日、訪問客の対応や部屋の整理で 実家の仏壇のある部屋の座卓で書類を 整理していた時、隣室の母を安置して いる部屋から仏壇のある部屋を通り 私の背後を通過して、いつも母が 寝起きしていた部屋へ誰かが移動して いった気配をはっきり感じた。 姿は見えなかったけれ

        摺上原古戦場の会津蘆名四部将の墓碑を訪ねて_2024年6月

          慧日寺跡を訪ねて①_福島県磐梯町2024年5月

          今年のGWは特に予定を立てずに 行きたいところへ日帰りで行こうと 決めていました。 在来線乗り鉄が好きなので 磐越東線乗りに行こうと思い 地図を検索していたらうっかり指が グイッと西へ移動して磐梯西山麓の 地図が表示されました。 そして以前つけていた慧日寺跡の 🚩印を発見… 以前、慧日寺跡へ行きたくて地図に 印をつけていたのでした。 そうだ、慧日寺へ行こう。 磐越東線乗り鉄旅はまたの機会にして 日帰りで慧日寺跡へ行くことに。 福島県耶麻郡磐梯町にある慧日寺を 創建したの

          慧日寺跡を訪ねて①_福島県磐梯町2024年5月

          山形県鶴岡市_旧風間家住宅丙申堂_2023年6月

          去年6月の山形県鶴岡市巡りは とても思い出深く心に温め過ぎしまい まとめられず今に至っています。 鶴岡巡り最終日は昼過ぎから小雨で 訪れた旧風間家住宅丙申堂は 正直なところあまり期待して いなかったのですが…(ごめんなさい) ところが来てビックリ‼️ 見事な建物、素晴らしさに とても感動しました。 さて、風間家とは? 旧風間家住宅内にある 「金屋 風間家歴史年表」から 引用させていただきます。 風間家の出自は信濃国の諏訪氏が 風間姓を名乗ったことにはじまるそう 時代は下り

          山形県鶴岡市_旧風間家住宅丙申堂_2023年6月

          「終活チェアがほしい」続き もちろん、穏やかな最期を迎えられずに呆けてしまったり病気で入院…てことも重々ありえる。震災に遭ってベッドの上で最期を迎えられないかもしれない…自宅で最期を迎えると警察の検死がある…まぁ色々ありますが夢は持ち続けていたい、時々そんなこと考えています。終

          「終活チェアがほしい」続き もちろん、穏やかな最期を迎えられずに呆けてしまったり病気で入院…てことも重々ありえる。震災に遭ってベッドの上で最期を迎えられないかもしれない…自宅で最期を迎えると警察の検死がある…まぁ色々ありますが夢は持ち続けていたい、時々そんなこと考えています。終

          「終活チェアがほしい」 仕事リタイアしたら、毎日座る椅子をもっとゆったり座れて時にはうたた寝できるようなチェア欲しいなぁと考えています。本を読んだり何か作ったり…自分の理想はチェアに座って眠るように穏やかに最期を迎えることなのです。それで自分勝手に終活チェアと言ってます笑

          「終活チェアがほしい」 仕事リタイアしたら、毎日座る椅子をもっとゆったり座れて時にはうたた寝できるようなチェア欲しいなぁと考えています。本を読んだり何か作ったり…自分の理想はチェアに座って眠るように穏やかに最期を迎えることなのです。それで自分勝手に終活チェアと言ってます笑

          群馬県みなかみ町_義民_杉木茂左衛門と松井市兵衛の史跡を訪ねて_2024年1月

          表題画像は利根川に架かる 月夜野橋です。 だいぶ以前より群馬県沼田から みなかみ町を巡り歩きしたいと 思っていました。 中世の沼田〜みなかみは境目の地域、 上杉氏・武田氏・小田原北条氏大名達 の狭間を巧く泳ぎ生き抜いてきた武将や 領民達の歴史はとても興味深いです。 調べていたら江戸時代この地域に 幕府へ越訴した領民2人もがいたという 歴史を知ってビックリ。 なんか尋常じゃない。義民の名前は、 松井市兵衛と杉木茂左衛門。 他にも数人直訴した領民がいたという ことですが今回

          群馬県みなかみ町_義民_杉木茂左衛門と松井市兵衛の史跡を訪ねて_2024年1月

          鎌倉プチ散歩_浄妙寺(足利義兼開基のお寺さん)_2024年1月

          1月6日は鎌倉で講演会がありまして その前に鎌倉プチ散策をしてまいりました。 鎌倉駅上空に浮かぶ雲が面白い 大きなエイが飛んでるみたいな。 朝9時頃の鎌倉駅前は正月三が日を 過ぎたからか人は少なめでした。 駅前は閑散としているけれど 小町通り入ってすぐの イワタコーヒーさんの開店前から 並ぶ人達を横目に見つつ 少し先の二の鳥居へ行く脇道を 右折して段葛の道へ やはり鎌倉へ来たら段葛の道を 少しでも歩きたい私でした。 早朝の冷たい空気を顔に受けながら 歩くのは結構好きです

          鎌倉プチ散歩_浄妙寺(足利義兼開基のお寺さん)_2024年1月

          村上・鶴岡の旅_新潟県村上_村上城址_2023年6月

          藤基神社をあとにして 村上城址へ向かいます。 だいたい10分ちょっとで 登城口に着きます。 公衆トイレがあるので助かります。 山上にトイレはないので 用を済ませておきます。 戊辰戦争まで存在していたという。 一文字門の門櫓は桝形で村上城内で ひときわ立派な櫓門だったそうです。 堀氏の藩主時代に天守が築かれたそう ですが播磨姫路藩主から移封してきた 松平直矩により天守や櫓などが寛文 元年〜5年(1661-1665)に大幅に改修 されたそうです。 ところが寛文7年(1667)

          村上・鶴岡の旅_新潟県村上_村上城址_2023年6月

          村上・鶴岡の旅_新潟県村上_藤基神社_2023年6月

          光徳寺さんを後にして ほど近くの藤基神社さんへ。 藤基神社さんは光徳寺さん同様 村上城三の丸にあります。 度重なる跡継ぎ早逝の禍いから 護るため内藤家江戸屋敷に 家祖内藤信成の霊廟をお祀り したのがはじまりということです。 村上藩主として入府した内藤弌信が 信成の分霊勧請して社殿を建立。 (藤基神社HPより) 鳥居三十郎切腹後、家名断絶するも ひとり娘の光と恭順派である江坂氏の 息子二郎が婿養子として結婚。 明治16年(1883)家名再興したと 言うことです。 この結婚は

          村上・鶴岡の旅_新潟県村上_藤基神社_2023年6月

          村上・鶴岡の旅_新潟県村上_光徳寺さん【村上藩主内藤家菩提寺】_2023年6月

          宝光寺さんを後にして 坂道をテクテク下ると あとは平坦で長閑な道を歩きます。 村上城三ノ丸にある内藤家菩提寺。 三ノ丸には代々の村上藩主菩提寺が おかれていたそうです。 目まぐるしく藩主が交代したのは 村上が左遷の場所だったのかなぁ。 内藤弌信が享保6年(1721)村上藩主 として入府し明治維新まで内藤家の 藩統治が続きました。 弌信の家祖、内藤信成は徳川家康の 異母弟にあたります。 弌信は江戸で生まれのちに陸奥棚倉藩 内藤家の養子となり棚倉藩主になるも 駿河田中藩へ移封、

          村上・鶴岡の旅_新潟県村上_光徳寺さん【村上藩主内藤家菩提寺】_2023年6月

          母の葬儀にいただいた供花で余った花達を葬儀屋さんにお願いしていくつか花束にしていただき、親戚と実家に配りました。我が家ももらえたので、花丈を短くカットして仏壇に供えました。 小さいほうはワンカップ容器です。ワンカップ容器は便利です笑

          母の葬儀にいただいた供花で余った花達を葬儀屋さんにお願いしていくつか花束にしていただき、親戚と実家に配りました。我が家ももらえたので、花丈を短くカットして仏壇に供えました。 小さいほうはワンカップ容器です。ワンカップ容器は便利です笑

          10月7日土曜日午後、母の入院先から連絡、呼びかけても穏やかに眠る母の様子を見て一旦帰宅しようと駐車場から見た夕空に天使の梯子が現れた光景を見て母のお迎え近いと予感。その夜に母は永眠。 母を実家へ帰宅させ準備して夜遅く帰宅した夜空に下弦の月が浮かんでいました。

          10月7日土曜日午後、母の入院先から連絡、呼びかけても穏やかに眠る母の様子を見て一旦帰宅しようと駐車場から見た夕空に天使の梯子が現れた光景を見て母のお迎え近いと予感。その夜に母は永眠。 母を実家へ帰宅させ準備して夜遅く帰宅した夜空に下弦の月が浮かんでいました。

          名古屋巡りへgo_2022年6月🔹締めは名古屋城…

          1年以上もあたためてしまった 名古屋周辺巡り歩きの最終です。 犬山城を後にして小牧山城址へ 行こうと思い名鉄犬山駅から乗車。 ところが乗る路線を間違えてしまい 名古屋駅に到着。アハハ…😅 小牧山城址はまた次の機会に お邪魔したいです。 名古屋に着いて帰京の時間まで まだ余裕あるので名古屋城を 見に行こうと思い時間短縮で タクシー🚕で向かいました。 名古屋城は徳川家康が公儀普請という 名目で主に豊臣寄り諸大名達に命じて 築城したという。 大阪城に豊臣秀頼が居たにもかかわら

          名古屋巡りへgo_2022年6月🔹締めは名古屋城…