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村上・鶴岡の旅_新潟県村上_村上城址_2023年6月

藤基神社をあとにして
村上城址へ向かいます。
だいたい10分ちょっとで
登城口に着きます。
公衆トイレがあるので助かります。
山上にトイレはないので
用を済ませておきます。

登城口
大きな村上城址碑と
コンちゃん
村上の街 案内図
村上城址解説板
一文字門跡
一文字門解説板

戊辰戦争まで存在していたという。
一文字門の門櫓は桝形で村上城内で
ひときわ立派な櫓門だったそうです。

城址碑背後の石垣は
一文字門の一部とのこと
登城いたします
ユキノシタの群生
花びらが1枚だけなのは
開花のピーク過ぎたから
一文字門跡からの七曲り道
整備されているので歩きやすい
ほどほど傾斜のある登城道です
地元の年配女性が散歩がてら
登城していました
七曲りというが8回曲がった気がする
石垣が見えてきました
四ツ門跡の手前あたり
四ツ門跡への石垣
四ツ門跡
三の丸、二の丸、七曲り道(大手道)、
鉄砲櫓への四方向の門扉があった
四ツ門跡
低めの石垣
中世遺構散策コースは立入禁止
見所多いそうです。行けず残念💧
村上城址案内板
今回は七曲り道コースのみ
通行できました
三の丸
麓の光徳寺さんや藤基神社さんも
三の丸なのですよね
広いなぁ
御鐘門跡が見えてきた
二の丸と三の丸を分けていた門
御鐘門跡
四つ門よりも高い石垣
草むらに可愛いヤブヘビイチゴの実
ヤブヘビイチゴの花
御鐘門跡
御鐘門跡の石垣
二の丸にある休憩場所
村上城の東方向
雲多い日だったので朝日・飯豊連峰が
見えているのかいないのか…😅
晴れていたらもっと
眺望良さげですね
オドリコソウ
ヒメジョオン
出櫓跡見えてきた
ここから見る石垣は迫力
山頂によく築いたものです
出櫓跡
出櫓石垣の脇を通ります
ちょいと石の上で休憩の
コンちゃん
黒門跡
二の丸は段差のあるふたつの構造で
その間に黒門があったそうです
本丸へ続く道
グッと細くなっている
苔むした石垣に歴史を感じます
本丸の石垣
本丸石垣の左側
本丸石垣の右側
本丸石垣
埋門跡
中世遺構コースへの入口
行きませんでしたが
埋門の先はこんな感じ
ワクワクしますが
つくづく中世遺構見たかったです
本丸虎口
冠木門跡
本丸内から見た冠木門
枡形門
冠木門跡の上から本丸内を見る
冠木門の石垣(多分)
櫓跡の石垣
本丸にある秋葉神社跡
天守台跡

堀氏の藩主時代に天守が築かれたそう
ですが播磨姫路藩主から移封してきた
松平直矩により天守や櫓などが寛文
元年〜5年(1661-1665)に大幅に改修
されたそうです。
ところが寛文7年(1667)落雷火災で
天守は焼失しその後再建されることは
なかったそうです。
山上にそびえる天守はさぞや
勇壮だったかと想像しました。

本丸の周囲は帯郭で囲まれている
本丸から見た帯郭
舞鶴(村上)城址碑と
コンちゃん
村上の街と海と
コンちゃんと
日本海の色は青灰色
鮭が遡上する三面川が見える
本丸から見える村上の街
鳥瞰図
村上城址北東方向

本丸から四方がよく見渡せるので
敵兵の動きが容易にわかります。
中世に本庄氏が築いたと推定される
村上城は上杉謙信との戦いでは幾度も
籠城や実戦を経験したという。
ただ、平地が少ないので長い籠城は
無理そうだし、包囲されたら海や川へ
逃れるのもちょっと難しそうです。
それでも本庄繁長は上杉軍に対して
一年余りも頑強に抵抗したのだから
万全の備えと城の防備と巧みな戦術が
あったに違いない。
本庄繁長のこと知りたくなりました。

本丸から眺める景色はとても
素晴らしくずっと眺めていたい。
冬には荒々しく波うねる日本海だけど
6月の海は雲の色を海面に映して
穏やかそうな表情に見えました。
幕末における越後村松藩の歴史から
村上藩に興味を抱いて半ば唐突に
旅を決めた私でしたが改めて幕末の
東北史を知りたいと思いました。

静かな表情の村上の海

勝手な妄想だけれど
独立心旺盛な国人領主本庄繁長の
気高い反骨精神は繁長が村上を離れても村上人の気風として残っているのかも
しれない。

ノアザミ
ヒヨドリバナ
本丸冠木門跡石垣
矢穴石
ゆっくりもしていられず
そろそろ下山します
洞のある樹木
調練場跡(三の丸)
吉田門跡
枡形門だったそうです

この日はずっと曇天で
雨降らないうちに村上城へ
無事に登城できて良かったです。

次へ向かいます🌿




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