見出し画像

慧日寺跡を訪ねて②_福島県磐梯町2024年5月

磐梯町駅からゆるゆる歩き
慧日寺跡の立派な表示石碑を見て
とうとう来たなぁという思いでした。

遠くからでも確認できそう
立派な表示石碑
徳一の功績を誇りに思う
地域の皆様の思いでしょうか
赤い橋
赤い橋は大谷川に架かります
寺域の境界のように感じる

赤い橋を渡ってしばらくは民家に
囲まれた参道(多分)を歩きます。

オレンジ色のサツキ
ギシギシ?
樹木の周りに石塔が
集められている
こちらは庚申塔も
現慧日寺の入口にはやはり
水路が境界のように流れている
萌えたつ新緑の銀杏
石橋を渡ります
現慧日寺山門
現在の山門は江戸時代中期の
建立とのことですが元々の山門は
平将門公の寄進と伝わるそうです
山門を横から
現慧日寺本堂
現慧日寺案内板

慧日寺は明治時代になり
廃仏毀釈により一時廃寺に。
塔頭の観音院が法燈を受け継いで
現慧日寺になったということです。
現在は真言宗磐梯山慧日寺と。
本堂は元禄15年(1703)建立。

戦没者供養碑
スズラン
花はこれからのようです
ヤマザクラの仲間(多分)
ほとんど散り終わっていました
現慧日寺境内の周囲を
細い水路が巡っています
境内を歩いていたら
リスとカナヘビの歓迎
リスは速すぎて撮れず
松の枝ぶりがいい
松と銀杏が山門の脇に侍るように立つ
萌え出る草たちの清々しいみどり
本当に美しいと思う
クルマバソウ(多分)
シャガ
この花はお寺の境内に似合うなぁと思う
日支事変に出された馬達の供養碑
馬と共に暮らし大事にしてきた
人々の馬への哀悼の気持ちを思う
アマドコロ(多分)
シバザクラ
如蔵尼の供養墓
如蔵尼は平将門公の三女と伝わり
将門公は慧日寺に帰依したといわれる
将門公が討たれ一族は坂東を追われて
将門公の三女は慧日寺へ逃れて
門前の庵に住んだと伝わる
会津藩の儒学者、安部井澹園が
元亨釈書の記述をもとに
創した文が刻まれているという
享保2年(1803)建立
案内板より
薄くてほとんどわからない
如蔵尼の伝説にどんな想いを込め
文を記したのでしょうか
ここにも古峰神社石塔

次は慧日寺跡の方へ向かいます🌿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?