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鎌倉プチ散歩_浄妙寺(足利義兼開基のお寺さん)_2024年1月

1月6日は鎌倉で講演会がありまして
その前に鎌倉プチ散策をしてまいりました。

鎌倉駅前

鎌倉駅上空に浮かぶ雲が面白い
大きなエイが飛んでるみたいな。
朝9時頃の鎌倉駅前は正月三が日を
過ぎたからか人は少なめでした。

段葛

駅前は閑散としているけれど
小町通り入ってすぐの
イワタコーヒーさんの開店前から
並ぶ人達を横目に見つつ
少し先の二の鳥居へ行く脇道を
右折して段葛の道へ
やはり鎌倉へ来たら段葛の道を
少しでも歩きたい私でした。

早朝の冷たい空気を顔に受けながら
歩くのは結構好きです笑
八幡宮前の信号を右折
しばらく歩いて宝戒寺の前で
T字路となり左折
あとは道なりにずっと歩きます。
このあたりまで来ると歩いている人は
私と地元の方々くらい。

黄千両
蝋梅

季節なじみの植物が道端に。
小町小路から金沢街道へ道は
滑川沿いにあり住宅街ながらも
鎌倉の自然を感じながら歩きます。
杉本寺さんを過ぎるとそろそろ
浄妙寺駐車場が見えてくるので
駐車場とチバ薬局さんに挟まれた
道を左折します。

浄妙寺 山門

格式の高さを感じる浄妙寺さんの山門。
鎌倉五山の第五位臨済宗建長寺派で
最盛期には七堂伽藍を完備し
塔頭寺院は23院あったそうです。
境内は国指定史跡。

解説板

浄妙寺さんは足利義兼の開基。
退耕行勇の開山で創建され
当初は極楽寺といい密教の寺院
だったそうです。
退耕行勇と言えば源頼朝や政子と
関わりの深い僧侶ですね。
足利義兼は足利宗家2代目
直系の子孫に足利尊氏。
源頼朝の母由良御前は熱田神宮宮司の
藤原季範の娘ですが義兼の母は
季範の養女。(季範の長男範忠の娘)
頼朝と近しい縁の義兼は頼朝の挙兵に
早い段階から従っていたそうです。
足利嫡流の館は代々浄妙寺の近くに
あったらしく鎌倉公方の館も
この辺にあったらしい。

受付前の灯籠

山門をくぐると左側に受付があり
拝観料を納めます。
こちらで御朱印をお願いできるので
御朱印帳を渡して御朱印代を納めて
番号札を受け取ります。

整然とした庭と参道
参道の右側の庭
参道の左側の庭

参道を挟む左右の庭は自然の様を
表現しているような気がしました。

ちはほらと白梅が
可憐な白梅にほっこり
花塚
本堂は宝暦6年(1756)再建という
本堂
堂々とした建物
庭から本堂を眺める
初心者🔰マークのような雲
この雲があとで変化…
喜泉庵
平成3年(1991)に再建
枯山水の庭園が素敵です。
中へ入れるようでしたが
時間の都合で外から
伝・足利貞氏墓所
伝・足利貞氏の墓所
尊氏・直義兄弟の父
浄妙寺さんの中興開基の貞氏
法号は浄妙寺殿なので寺名に
大河「太平記」緒形拳さんの
苦悩の貞氏が浮かびます。
明徳3年(1392)銘の宝篋印塔には
逆修の文字があるそうで
貞氏ではなく足利氏の誰かの
宝篋印塔では?とも。
伝・貞氏墓所の隣にある
源将祖先裔廟
喜泉庵の横から
石窯ガーデンテラス前の
坂道を上ると竹の短い小径が
風情を感じます。
竹の小径の先に
足利直義墓所があります。
石窯ガーデンテラスの辺りは
かつて大休寺があったそうです。
直義の法号大休寺殿から寺名
足利直義墓所
やはり大河「太平記」の
高嶋政伸さんの直義が浮かびます。
兄尊氏を補佐した実直な政治家
という印象があります。
足利一門の墓所でしょうか
こちらも足利一門の墓所かなと
ヤブツバキ(多分)
足利直義墓所から少し戻って
本堂裏山への細道を上ると
小さな庭があり衣張山が見えます。
スイセン
面白い形の雲
多分、さっき見た初心者🔰マーク
みたいな雲が上空の強風によって
変化したのかも
本堂前にある銀杏の大木
本堂前に控える松
受付まで戻り御朱印を拝受し
鎌足稲荷さんまでの道を
教えていただきました。
本堂横の坂道を行き右折すると
鎌足稲荷さんへの石段が現れます。
鎌足稲荷さん
お参りします

名前でだいたい想像つくと思いますが
浄妙寺さん寺伝によると西暦646年に
藤原鎌足が鹿島神宮参詣のおり
由比の里(現在の鎌倉)に宿泊した際
霊夢を見てお告げの通りに浄妙寺の
裏山へ鎌槍を埋めたというのが
諸説ある鎌倉の由来伝説のひとつに。

更に奥にはやぐらがあり
石塔見えますが立ち入れない
ようになっています。

浄妙寺さん散策はこれでおしまい
喧騒を離れた静かな場所なので
またゆっくり散策したいお寺さんです。

御朱印を拝受

読んでいただき
ありがとうございました🌿

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