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山形県鶴岡市_旧風間家住宅丙申堂_2023年6月

去年6月の山形県鶴岡市巡りは
とても思い出深く心に温め過ぎしまい
まとめられず今に至っています。

鶴岡巡り最終日は昼過ぎから小雨で
訪れた旧風間家住宅丙申堂は
正直なところあまり期待して
いなかったのですが…(ごめんなさい)
ところが来てビックリ‼️
見事な建物、素晴らしさに
とても感動しました。

さて、風間家とは?
旧風間家住宅内にある
「金屋 風間家歴史年表」から
引用させていただきます。
風間家の出自は信濃国の諏訪氏が
風間姓を名乗ったことにはじまるそう
時代は下り風間家は越後新発田藩
支藩沢海藩に仕える藩士でしたが
沢海藩主溝口政良から政親へ代わる際
風間新五兵衛は浪人となり越後村上へ
移住し新五兵衛の息子彦市が村上で
「宮川屋彦市」という店を開き
商売は繁盛したということです。
彦市の長男は村上を離れ庄内酒田で
薬種店「金屋彦惣」を構えました
2代目彦惣の孫が初代風間幸右衛門と
して庄内鶴岡で商いを始め鶴岡城下の
武士や町民・農民を相手に繁盛し
庄内藩主酒井家の御用達の店となり
庄内地域では酒田の本間家に次ぐ
豪商へ発展したということです。

金屋風間家歴史年表
旧風間家住宅丙申堂 薬医門

風間家7代目幸右衛門が明治29年
(1896)丙申の年、武家屋敷跡に
店舗兼住宅を建てたことで丙申堂と
いわれるそうです。

薬医門をくぐると庭があり
その先の小さな門をくぐります
主屋への入口
主屋の入口の土間
石敷の土間
荷車ごと入れたのかなぁ

受付で拝観料を納めたあと
案内の方から風間家住宅に関する
簡単なビデオを観ませんか?と
勧められました。
帰りの特急時間に余裕があったので
ビデオを拝見しました。
ビデオ終了後、案内の方が来て
建物の中をガイドしてくださいます。

順不同で長いですけれど
建物内部を🆙いたします。

この杉皮葺の石置屋根は圧巻
昔は庄内地域によくある屋根
だったそうですが現在ではとても
貴重な屋根ということです
約4万個の石が置かれてるそう
凄い重量ですね
瓦と比べてどっちが重いのかなぁ
この瓦は庄内藩主酒井家より
拝領された瓦を設えたもの
藩主様の御紋瓦を使うことは
許されないと思いますが藩主酒井家と
風間家の特別な繋がりを感じます
聖徳太子光子無量堂
聖徳太子は建築・土木の神様として
長らく大工棟梁宅にお祀りされてきた
ご本尊はお寺へお堂はこちらへ
移転されたそうです
荘内銀行本店
風間家創業の風間銀行、六十七銀行、
鶴岡銀行、出羽銀行が合併して設立
主屋の長い石敷の土間
上はガラス小窓になっているので
閉め切っても昼間なら
真っ暗にならなさそう
窓のない廊下
電灯ないと真っ暗です
段差の上の段からは客間
陶器のトイレ
床は畳敷き(汚せませんね笑)
来客用かと
風間家の家紋でしょうか
小座敷からの庭
江戸時代にタイムスリップしそう
小座敷
客間として使われたそう
映画「蝉しぐれ」に
使用されたお部屋とのこと
見事な堆朱の座卓
庭園
庭園
座敷
6月だったので五月人形が
飾られていました
床の間と違い棚の間の
板に彫り物
飾り釘隠し
こちらも飾り釘隠し
座敷の隣りは仏間
筬欄間(多分)
下座敷
立派な山水画の屏風
松林桂月の作品
当主の寝室
華美でなく質実な佇まい
庭園
上と違う場所から撮った庭園
廊下のガラス窓
素敵な花模様
主屋内にある土蔵
金庫❗️
ダイヤルはイロハニホヘト…❗️
炊事場
約60畳分の広さあるという板の間
たくさんの奉公人達が
行き交ったことでしょう
囲炉裏場
ご飯食べたりお茶飲んだり
忙しい束の間の休憩場だったかも
天井がすごいのです
圧巻の見事なトラス工法の梁
洋式トラスと和式トラスを
合わせた工法だそうです
明治27年に起きた酒田地震を教訓に
このような耐震設計で建てられた
気になる階段です
板の間に続く階段の脇に女中部屋
階段箪笥
階段箪笥気に入ったこんちゃん
階段の上から
トラス状の梁が迫る
2階は大工部屋
広い建物なので大工さんは
常駐していたそうです
中蔵・奥蔵
主屋とは風呂場・便所を挟んで
渡り廊下で繋がっているそう

旧風間住宅丙申堂だけでも
大変見応えありましたが隣地には
旧風間家別邸無量光苑釈迦堂が
あります。
次の項で🆙いたします。

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