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フォークロア的実験小説。

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フォークロア的実験小説。

最近の記事

0028

「どうしてエステベスなの」 エステベスが旅立った日の晩、サンタグリータはアンドレアスに尋ねた。 「あいつ、もうすぐ大人になっちゃうから」 「大人に」 「うん、だから今すぐ行かないと」 「モラナスには何が在るの」 「何も無いよ」彼は夕食のロクロを頬張りながら「だから行くのさ」 そうして何人見送っただろう、ミンダスの子供達は十六歳になるまでにどこか聞いたこともない町へと旅立って行った。 子供の姿が一つまた一つと無くなり、サンタグリータも静かに年をとっていった。親達は我が子の安全を

    • 0027

      「大人に煩く言われてやるのは本当の勉強じゃないよ」 アンドレアスにそう言われると、皆そういう気になった。勉強がどんなものか、誰も考えたことなど無かった。 「大人も貴方の話を聴きたがるんじゃない」 彼女がそう尋ねると、彼は寂しそうに微笑んだ。 「だって大人はもう間に合わないから」 或る時、エステベスという青年が町を出ると言い出した。十六になる彼もアンドレアスに教えを乞うていた。 突然の申し出にエステベスの両親が問うた。「どこへ行くと言うんだ」 「モラナス」 「何故そこへ行くの」

      • 0026

        アンドレアスと暮らすようになってどれくらい経っただろうか。 サンタグリータは時折彼に色々なことを尋ねた。 両親は、故郷は、いつからあの洞穴にいたのか、どうして色々な物事を知っているのか、何故右眼は白濁しているのか。 だが相変わらず、そうした当たり前のことはわからないままだった。 「うちの子も色んなことに興味をもつようになったよ」 住人達には彼の教室は喜んでもらえているようだった。 だが鍛冶屋の女将であるヒベラにはこう言われたこともあった。 「あたしはフェディスの出だけどね、あ

        • 0025

          窓の外にアンドレアスが駈けてくるのが姿が見えた。 サンタグリータには姉やハラバナルとの日々と、町の様相が一変したように感じた。町も住人も、そして太陽や風すらも、すべてが真新しい。過去との縁を切った心地で、だから過去を振り返ることもできた。 「おかえり」 「ただいま、母さん」 彼は出逢った時からサンタグリータをそう呼んだ。彼女も驚くほど抵抗無く受け入れられた。むしろそれが当たり前と感じた。 「どう、うまくやれた」 「うん、チチェロの奴が真面目にやらないけど、まぁ大丈夫だよ」 ア

          0024

          洞穴には人影が在った。少年だった。髪は伸び放題で薄汚い格好だったが、こちらに屈託の無い笑顔を向けてきた。 何してるの、お母さんは、どこから来たの、それらの問いに彼はすべて小首を傾げて応じた。 言葉が話せないのかと想い、最後に名前を尋ねた。 すると彼は答えた。 「アンドレアス」 アンドレアスを家に連れ帰り、食事をさせたり風呂に入れたりしながら色々訊きはしたが、名前と、歳が十一歳であること以外、よくわからない反応をした。 あの人に似ているような似ていないような、それ自体どちらでも

          0023

          だから前よりも店に籠るようになった。すると壁の向こうにあの人の気配が渦巻いて、もはや町にはそれしか存在しないかのような気がした。それが店内にも侵食して、作業机に肘を突いて見下ろしてくるあの人へと像を結んだ。 店の外へ駆け出すと町は変わらずそこに在った。が、何かが違って見えた。 それから間もなく店を畳んだ。窓の外、ドアの前、机の下、あの人がどこにでもいて、何も手がつかなくなった。絹に空けた小さな針穴からあの人が覗くこともあった。壁のフックに吊ったブラウスの向こうから手を握ってく

          0022

          サンティエスは方々から医者を連れてきたが、誰にも的確な病名をつけられなかった。 姉の全身から水気が無くなっていった。自分が空想したあの人の最期のように。ひゅうひゅうと、樹々の間を風が通り抜けるように彼女は何事かを告げたが、それを理解ができるのは彼女の息子だけだった。 そして姉は死んだ。虫喰の枯れ木が横たわっていた。 サンティエスは彼女の言葉ならぬ言葉を聴き、旅立った。何をしようとしているか想像はついた。旅立つ前に餞別をやると彼はこう言った。 「準備が整ったんだ」 下らないって

          0021

          ふと、あの人が昔言っていたことを想い出した。 「俺がいるのはここで、どこかだ」 別れる少し前だったから自分への執着心で言っているだけだと、その時は思った。 元々妙な物言いをする人だったからその意味も深くは考えなかった。ただ気味が悪かった。 何故想い出したのか、わからなかった。 それからイベルタはあの人と出逢う前のような快活さを取り戻し、サンティエスの面倒をよく看た。あの人のことを口にすることも無かった。イベルタだけじゃなく、町の女達皆がそうだった。あの人なんて初めからいなかっ

          0020

          サンタグリータはサンティエスを背に負い、縫製屋を切り盛りした。あの人のことがあって、住人達は自分達姉妹に同情的だった。社交的だった姉は夢遊病のように彷徨い歩き、人とのかかわりを避けてきた妹は幼子の世話をしながら店に立つ。 あの人が消え、この子が現われた。それでもまだイリダスに居場所はあった。 或る時、イベルタが店に来た。彼女の眼はあの人に夢中だった頃のように輝いていた。 どうしたの、と尋ねるとこう言った。 「ようやく準備が整ったわ」 意味がわからなかったから重ねて尋ねても、イ

          0019

          森でニパクアの実を集められる当てが有った。これと特別な薬を混ぜれば遅効性の毒ができる。薬は反物を仕入れる行商人から手に入れられた。 丸薬を姉に渡した。どうするか、彼女に委ねた。 子を産む心細さより、身重の彼女を顧みない不義理への怨嗟が勝った。あの人は毒を呑み、町を去った。 町に出入りする行商人達からそれとなくあの人のことを訊いてみたが、その行方は杳として知れなかった。毒が効いてくるはずのひと月が過ぎても、噂一つ耳に入らなかった。 イベルタは罪悪感からか、或いはまだ愛が残ってい

          0018

          だが、あの人はこう言った。イベルタを選んだのは、彼女を選べば他の女達が諦めるし、自分に逢うことも簡単にできるからだ、と。 不思議なほど嬉しさが込み上げて来なかった。それほど姉を大切に想っていたからなのか、やはり自分は人と深く付き合うことができない人間だったということか。 あの人は姉の眼を盗んで店に顔を出した。姉と一緒に来ることもあった。 あの人は何か言うでもするでも無く、ただ姉と自分との間に身を置いて、自分の視界に常にいるようにした。 あたかも人一人を背負っているかのような重

          0017

          あの人は黙っていた。店に来てもさほど言葉を交わさなくなった。町の女達の眼が在ったからだったが、彼女達にしても二人の仲を疑うことは無かった。 イベルタに打ち明けられた時も、勿論話しはしなかった。終わったことだと思いながらも、冷水を浴びせるような言葉を無意識に発していた。 姉は端から、人付き合いのできない妹の言うことなど聴く耳を持たなかった。姉はその人付き合いのよさから、町の女達の間でも一目置かれる存在だったから、彼女があの人に接近していくと自然に道が拓いた。女達から相応の妬みは

          0016

          サンタグリータは窓の外を見遣っていた。 姉が死に、甥は町を出て行った。 時々、あの人のことを想い出す。あの人が姉に執心するまでの短い間だったけれど、自分が真っ先にあの人と恋仲になれたことは誇らしかった。姉からあの人のことが好きだと聞いて、あっさり譲ってやったことも。 あの人とのことは誰にも打ち明けなかった。 細々と縫製屋を営んでいても、町の住人とは余計な言葉は交わさない。姉と違って昔から人付き合いが苦手だった。 だが、あの人が皮を売りに店に来た時、自分でも知らない内に言葉が溢

          0015

          「誰が四十年前と」 「酒場の主人だ」 いつの間にか音も無くムルは通りのさらに奥へと身を退き、もはやその表情は見えない。 「その酒場の主人とやらは、はて何年前の人間かね」 「どういう意味だ」 「酒場の主人なんていない、ここで生きてるのは町だけさ」 「あんたはどうなんだ、あんたも亡霊か」 「私は亡霊じゃないよ。言やぁ、町と一緒さ」 「町と一緒」 「そう、あいつの力で生まれた」 遠くにいるムルの眼がサンティエスの許に光を届けた。黒い右眼も同じように黒い光を彼に突き立てた。「目覚めた

          0014

          「町が作り出したもんさ。言やぁ、町の亡霊だね」 「町の亡霊」 「ここには人なんてとっくの昔にいない。けど町だけは在り続ける。だから町が人を生み、暮らしをさせて、町を興させ続けてきたんだ」 「俺が遭ったのは」 「あんたが誰に遭ったのか知らないが、昔いた奴か、その成れの果てだろうね」 「何故そんなことに」 ムルはもう一度甲高く哄笑して、サンティエスを睨み付けた。その右眼には白眼が無く、痣に侵食されたように黒かった。 「あいつのせいさ、あんた探してんだろ」 「ハラバナルを知っている

          0013

          「そうだよ」 甲高い声にサンティエスが振り返ると、狭い通りの暗がりに、目深にフードを被った人物が立っていた。「町は生きてるさ」 フードを取り去り、爬虫類を想わせるようなぬるりとした顔を突き出してきた。顔の右半分が黝い痣に覆われていた。そのせいか、表情が読み取れない。 「町が生きてる」 「そう、生きてる。生きてるというより、生きようとしてると言った方がいいかな」 「あんたは」 「何でもいいさ、ムル、とでも」 「ムル」 ムルは空を見上げた。腰は少し曲がっているが、年老いているのか