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では何故自分は家のベッドに寝たままなのか。手を上げることも頭を擡げることもできず、今が夜なのか昼なのかもわからない。できるのはここに横たわり続けて昔の想い出に浸るだけ。

昔。昔とは何か。

死んだイベルタに想い出す昔の記憶など見当たらなかった。

自分はどう生き、そして死んだのか。

何故ここにいるのかわからない不安、死ぬとは不安そのものなのかも知れないという諦念。大切なものを喪った惜しさ、煩わしいものをかなぐり捨てた気楽さ。それらが次々に湧いては消えた。

ただ、誰かに守られ誰かに恋し誰かに愛を注ぎ誰かに看取られた。一体誰に。

部屋の角に人の気配が在った。

顔を白く塗った中年の男だった。真っ赤なだぼついた服にくすんだ影が落ちていた。左右の脚の長さが違うのか、肥えた体を傾きながら支えている。

「誰」そう問うたが、声を発したのか彼女自身もわからなかった。

男は右の口端を上げた。頬の表面が薄く割れた。

「あんたこそ誰なの」

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