世の中の大半の大学生は”学生”じゃなくて”大学在籍者”説

就活の面接でバイトリーダーをやっていたこと、バイトをがんばったこと、をアピールする人がたくさんいるという話を聞いたことがある。

でもよく考えると、私は大学3年生でこの春から4年になるだが、身の回りでバイトリーダーを経験したことのある人は一人しか知らない。そんなにバイトリーダーをやっている大学生が世の中には本当にいるのか!とふと疑問に思った。(まぁ私があまりアルバイトに必死になる必要がない子たちが多いような大学に通っているから余計)

就活を終えた兄が「バイトリーダーなんて就活あるあるじゃん」なんて言うもんだから、「『バイトリーダーとしてバイト頑張ってましたみんなのことまとめてました』なんて裏を返せば『あんま勉強してこなかったです』って言ってるようなもんだと捉えられるくない?」と聞き返した。すると、兄は「そもそも学業を重視してる会社なんて大手でもそうないよ」なんて言うもんだから、私はますます大学機関の立ち位置がわからなくなった。

少し脱線するが、大学での勉強大事発言とか、大学の成績の付け方ブラックホール過ぎて開示してほしい発言をすると、すぐに「大学生活は勉強が全てじゃないからな」みたいな旨の反論返ってくるんだけど、だれも「友達もサークルもバイトも全部どうでもよくて勉強だけしてればいい」なんてことは言ってないし、勉強が全てじゃない発言は評価ブラックホール問題に対する返答になってない。大学教授だって忙しい発言も然りだ。

「学生」には”学問をしている人””学校で勉強する人”という意味が含まれてる。でも必ずしも大学に籍を置いているからと言って皆が十分に学問しているだろうか。学生と呼ばれるに相応の勉強をしているのだろうか。大学生という身分を生きてる以上、いくら大学生活の時間の使い方は個人の勝手と言えど、人が興味を持つものは千差万別ではあるが、大学生は”学生”なのだから、授業をきってないである程度は勉強したらどうかとどうしても思ってしまう。

別にバイトに精を出すことが悪いことだと言ってるわけでも、休学して学生起業にいそしむことが悪いことだと言ってるわけでも、学生ボランティアに明け暮れることが悪いことだと言ってるわけでもなければ、そう主張したいわけでもない。私立大学の授業料や返済義務のある奨学金という名の借金をせざる負えない学生の多さを見れば皆が大学に入ってるからといって学問にいそしめる余裕があるわけではないことがわかるし、大学卒と高卒での就職機会格差や給料格差を見れば、学びたい人だけが好きにいけばいいと断言できもしない。

大学教育が形骸化し、ただ大学が学ぶために行く場所でなくなった今、大学生は大”学生”ではなく、ただの大学”在籍者”になっているのではないか

この私の個人の勝手な暴論も、私がたまたま授業料を全額払ってくれ、バイトに明け暮れなくとも最低限度の生活を送れるようサポートしてくれる親を持ち、たまたま専攻の勉強内容も私の興味を十二分に刺激してくれるようなもので勉強が楽しいと思える環境にいる、強者の主張にすぎないのだろうか。

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。