率直なフィードバック #太陽と鉄と毛抜 #演劇note
『太陽と鉄と毛抜』の稽古が順調に進んでいる。先週末は初めての通し稽古をする予定だったけれど、ちょっとしたアクシデントが生じたためにできなかった。けれど、まあ、進捗的には問題ないと思う。会場入りまであと1週間。
アクシデントがあっても、それほど頭を抱えるようなこともなく、過ごしていられるのは進捗の「貯金」があったからだと思う。稽古が始まった当初から、わりに順調にシーンが組み立てられていった。それは、原作小説のおかげであり、台本のおかげであり、やはり演者のおかげだと思う。
今回の稽古では、演出家と演者のあいだでのフィードバックが、うまく機能していたように感じる。稽古中に、演者が率直にフィードバックをしてくれるので、安心して稽古を進めていくことができた。そして、相手から率直なフィードバックをされると、自分も率直なフィードバックをしやすくなるものだ。だから、自分もできるだけ率直にフィードバックをしようと思っている。
フィードバックが活発に交わされる創作現場をつくるために、これまでの公演ではさまざまなことに気をつけようとしていた。例えば、「オープンな雰囲気」をつくったり、「ブレインストーミング」っぽいことをおこなったり、ときには「ワークショップ形式」にしたり、演者や演出家に「個々の時間」を与えて自分自身のアイデアを探究してもらったり……じつにいろいろなことをしてきたが、それらはつまるところ小手先でしかなかった。ほんとうに大切なことは、フィードバックを率直にしあえるかどうか、ということに掛かっているのだと思う。
今回、率直なフィードバックをする/されるために自分なりに気をつけていることがある。それを「フィードバックのガイドライン」として、簡単にだけれどもまとめてみることにした。
とくに、フィードバックを受ける際のガイドラインが重要だと思う。すべてのフィードバックに対して感謝を忘れず、しかしながら、すべてのフィードバックをかならずしも受け容れなくてもいい。フィードバックを取捨選択することで、自分なりの個性や尊厳が担保される。そうすることによって、双方向のコミュニケーションと相手を尊重することの両方が成り立ち、それを維持していくことが可能になるんじゃないかなと考えている。
こんなふうに、フィードバックについて、わりと真剣に考えるようになったきっかけはこれまでの公演での「失敗」にある。僕は演者に対してフィードバックをするのがほんとうにへたな演出家だった(いや、正確に言えばある時点からすこぶるへたになってしまったのだが、ここではその「ある時点」には触れない)。そのくせ、僕は演者からのフィードバックを求めたと思う。当然、フィードバックは飛んでこない。自分が率直にフィードバックをしていないのに、率直なフィードバックが返ってくるわけがなかった。
フィードバックが飛んでこない、という状況は僕を随分とこわがらせた。そして、自分以外の全員が「得体の知れないもの」に見えるようになっていった。いつも通り、猜疑心のかたまりになって公演初日を迎え、公演を終える。そんな悲しいサイクルを続けていくうちに、どうしてこんなにつらい思いをしてまで演劇を続けているのだろう、と考えるようになった(そして、つらい思いをするために演劇をやっているのだ、と自分自身を説得して過ごしていた)。それはほんとうにつらい日々だった。誰かが発言をするたびに、新たな敵が現れたような気さえした。「自分がなにをしているのか、お前にはわかってるのか?」と方々から怒鳴られているみたいだった。そのたびに話すペースが速くなって、脈絡もなくなっていった。どんよりとした空気が漂っているような気がした。息苦しくなってますます早口になった。
ある公演が終わったあと、演者がフィードバックをくれた。演技の良い/悪いの基準がわかりづらかった、ということだった。演出家は演技を再現することを求めているが、良い/悪いの基準がきちんと提示されていないので、なにを再現するべきで、なにを再現しないべきなのかがわかりづらかった。この率直なフィードバックは、時間が経った今でも僕の心に突き刺さっている。というのも、自分では良い/悪いの基準を示せていると思いこんでいた。けど、演者の立場からするとそれでは不十分だった。同じあやまちを犯すことは許されない。なにが良くて、なにが悪いのかをきちんと伝えよう。遠慮せずに、伝えてみようと思った。