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乗り物としての文体、あるいはChatGPT(AI)と書き手の問題

先日、自分の文体とは違う文体で書くことを要請される案件があり、僕は首を280度くらい、左右に振りながら延々と試行錯誤を続けていた。

僕にはよくわかっている。作家が——作家に限らなくてもいい、あらゆる書き手が——途端に文章を書けなくなってしまう、ほとんどの原因は自分の文体に懐疑的になるときだ。

自分の文体に「ツッコミ」を入れると文章は止まる。いや、ある程度はツッコミを入れて推敲する必要ももちろんあるのだが、ツッコミが過剰になると、いったい自分がなにを書こうとしているのかさえわからなくなってしまう。

文体とは乗り物である。しかし、文体は車や自転車といった装置としての乗り物ではなく、言うなれば馬のように自分とは別の意志を持った乗り物である。馬を乗りこなすためには、じょうずに手なずけてやらないといけない。馬との信頼関係を築く必要がある。同じように、文体にも、文体独自の意志があるのだ(文体独自の意志——僕はこれを「リズム」と呼んでいる)。


自分の文体を信じること。自分の言葉を、文体の意志(リズム)に乗せていくこと。


このまま書きあぐねていてもしかたないと思い、ChatGPTをつかってみることにした。僕がChatGPTをつかうのはこのときが初めてだった。僕は半信半疑で以下のように指示を出した。


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