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「よこたわるもの」に挑む

当時を振り返って まえがき
自分が書いたものを読んでいただくとき、解釈(どのように受け取るか)はその人に委ねたい、というのが僕の基本的方針です。あまりにひどい解釈(例えば、筆者への誹謗中傷につながりかねない誤解)などがあったら、適宜注釈は入れていきたいと思いますが。

2023年3月24日


3月18日から『No. 1 Pure Pedigree』の稽古がはじまりました。感染症対策に神経を注ぎながら、ではありますが、日々稽古を重ねられていることに、こころからの感謝をこめながら。



シアター・ゲームを導入しました


稽古初日。まずおこなったのはゲーム形式のワークです。

演劇の稽古の一環としておこなうゲームを、シアター・ゲームと呼ぶのですが、ぼくはあまりそれらを好きになることができなくて、ぺぺぺの会のこれまでの稽古場ではほとんどやってきませんでした。


今回、突如としてシアター・ゲームを導入した理由は、「ぺぺぺの会では詩をつかって演劇をしています!」「詩を読解してください!」「詳細は進んでいくうちにわかります!」……ではあまりに不親切だなと反省したからです。

どういうところに気をつけて、詩を読解をすればよいのかを、ゲームをとおして明示したいと考えました。



ゲームを終えたあとに想ったこと


シアター・ゲーム自体はそれほど悪いものではないのかもしれない。たいせつなのは、ゲームが目的をもってきちんと運用されているかどうかなんだと感じました。

今回、『No. 1 Pure Pedigree』でおこなったシアター・ゲームで伝えたかったことは、私たちはおなじ日本語をつかってはなしているけれど、各人がことばにたいして抱いているイメージは多様であるということです。

辞書には正しいことばの意味が記載されているけれど、私たちはかならずしもそのとおりにことばを使用しているわけではありません。むしろ辞書のほうが改訂をして、私たちがつかうことばの意味に寄り添ってきます。


過去のnote:『ことばにしていくたいせつさ──でも、すべてはことばにならない』
> そもそも、「ことばそのもの」が事象を定義するのではなくて、「事象から生まれたことば」が事象を定義することを忘れてはいけません。

それでも私たちが、ことばをつかってコミュニケーションをはかることができるのは、ことばとことばのあいだに「よこたわるもの」のおかげです。

グローバル化の波は日本に現在よりも多くの外国人を運んでくるでしょう。そのとき、「言わなくてもわかる」という暗黙の日本文化は崩壊します。「よこたわるもの」を解明しようとする気概は、国境のなくなった時代でおおいに役に立ちます。


それから、「よこたわるもの」は、ときに軋轢を生みだします。

ツイッターの炎上のほとんどは誤読が招いた結果だとされています。140字という制限のうちで、筆者は主張・理由・証拠……といったすべてを書きこむことは不可能です。

だからこそ、前後のツイートのあいだに「よこたわるもの」を、また筆者の立場と当該ツイートのあいだに「よこたわるもの」を的確に捉えなければなりません。


これらの理由から、今こそ詩が必要とされる時代であると考えています。私たちはもとより和歌でやりとりをしたりするなど、行間を読むことに長けていました。



『No. 1 Pure Pedigree』の稽古場では連日、上演台本の詩集戯曲を読解し、内容を議論し、深めあっています。

読み解きに正解 / 不正解はなくて、発言の頻度も各人に委ねられています。そういう自由な解釈の場を、観に来てくださる皆さまにも提供できますように、日々研鑽に励んでおります。

また、創作の現場をひらく活動の一環として、ワークインプログレスを実施しています。当日は、参加者の皆さまと冒頭に記したシアター・ゲームをやりたいと考えております。

いっしょに「よこたわるもの」に挑みましょう!



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