アートはわかりづらいか 〜オラファー・エリアソン『ときに川は橋となる』を観て
いくつかの舞台芸術をつくってきて、難しいとかわかりづらいとか言われたことが何度かあります。そのたびに僕は、「わかってもらうために次の作品はどうしようか」と「いや、無理にわかってもらう必要はないんだ」のあわいで鬩ぎあいます。
いつも結局、鬩ぎあったまま、答えを出せないまま、作品は完成してしまう。真剣に考えてはいるけど、ひとたび作品が走りだしてしまったら、もはやそんなことを気にしている余裕は失われてしまいます。
最近、またあたらしい戯曲を書きはじめようとして、いろいろと苦心していたんです。過去作品『夢の旧作』や『No. 1 Pure Pedigree』でやった詩集形式に別れを告げて、違う形式を模索していたので、最初の1ページ目を書いて、「これは違う」、「これも違う」……を繰り返していました。
今日、ちょうど、「これはいけるんじゃないか?」と言いたくなるような鉱脈に遭遇して、明日からより深いところを採掘してみようと考えているところです。
同時並行で書いている小説と比べたら、決して読みやすくないし内容も把握しづらいと思います。が、これでよいのだと思います。この戯曲は「読む=体験する=アート」のようになってくれたらよい。
心身二元論を体験する
東京都現代美術館で開催されているオラファー・エリアソンの『ときに川は橋となる』で印象的だった作品のひとつが、「あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること」です。
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