視えない闇に趣をかんじる
「わたしの彼氏のイヤなところはわからないことがあるとすぐにグーグル検索をするところです」と、3,4年前いっしょに仕事をした女性が言っていた。
それまで人がすぐに検索をするかどうかなんてどうでもよかったけど、彼女の愚痴を聞いてから魔法にかけられたようにすっかり着目するようになってしまった。会議など結論を出すことを要する場では、わからないことがあったらすぐに調べた方がいい。でも、日常のなかでふっとわいた疑問については一緒に考える時間を大切にしたい。
「豆腐は、『豆』が『腐』ると書くけれど、納豆だって大豆を発酵させたものでしょう。そのように考えると、納豆も豆腐の一種として考えることはできないだろうか?」
こんな知っても得しない事柄を、検索せずに飽きるまで一緒に考えて過ごせたらどんなに素敵だろう。検索すれば会話は一瞬で完結してしまう会話も、一緒に考えればどちらかが飽きるまでずっと、ああでもないこうでもないと、おはなしすることができる。
つい答えを出すことに急いてしまう。僕の人生はおよそ100年あるらしい。のこり77年。果てしなく永いようが気がする。されど77年。永すぎる人生のうちの1年くらい立ち止まったっていいじゃないの。ずっと走り続けていたら疲れてしまう。今より早く走るためには滋養と休息も必要なんだ。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。